54、本当に二人暮らし


 ご飯を食べて、お風呂に入ったあと、二葉先輩との勉強は始まった。


「げ、数Bまったく分からないの?」


「文系ですから」


「そうは言っても……」


 俺の隣に真向かいに腰を下ろした彼女は、鉛筆をくるりと手で回した。


「国語は良いけど、英語が目もあてられない」


「ですよね……」


「ナルくんは卒業したらどうするの?」


「何も」


 数字の羅列られつを見ていると、目がチカチカしてくる。


「特にやりたいことがある訳でもないんです。この高校に入ったの、なんとなく模試受けていけそうだったからだし」


「うちの高校、まぁまぁ偏差値高いのに」


「高校受験はなんとかいけたんですよ。でも入学してからは、てんでダメでした」


 持っていた鉛筆をコロコロと転がす。

 コーヒーの入ったマグカップにぶつかって、カチンと音を立てた。


「成績がずっと下の下なんです」


「地頭は良さそうなのに」


「逆です。地頭が悪いのを、なんとかごまかしていただけです」


「そんなこと無いと思うけどな」


「あるんですよ。努力しても、どうにもならないことって」


「それはそうだけどさ」


 先輩は俺の方に鉛筆を転がしてきた。


「私だって特にやりたいことないよ」


「でも東京の学校行くって」


「たまたま推薦が取れそうなだけ。学部も適当。ナルくん風に言うなら、なんとなくだよ。お兄ちゃんに迷惑かけたくないっていうのが、ちょっとあるかな」


「そうだったんですね……」


 俺よりもずっと、成績が良いはずなのに。

 そう言うと、二葉先輩は頭を横に振った。


「そりゃあね。剥不ちゃんみたいに、秀でるものがあれば良いんだけど、私は違うもん。みんなから注目を浴びる人にはなれないし……高校生だから、何にでもなれるって言う人いるけど、あれって嘘だよね」


「嘘……?」


「嘘だよ。まるで、みんなが何かになれるみたいじゃない。本当はみんながみんな、特別じゃないって、知ってるはずなのに」


「なんか随分と……暗い意見ですね」


「ぼっち期間長いから、性格ゆがんだ」


 先輩は肩を落として、うっすらと微笑んだ。


「私はね。毎日、悲しいことより、楽しいことが沢山ある人になりたい」


「それは夢というより、願望な気が……」


「それが難しいんだよ、きっと」


「そうなんですかね」


「知らんけど」


 先輩はクスクスと笑いながら、マグカップに口をつけた。


「そうだ、良いこと思いついた」


 彼女はハッとした感じで、カップをテーブルに置いた。そして目をキラキラと輝かせて、身を乗り出して言った。


「やることがないんならさ。ナルくんも東京の学校行かない?」


「東京……」


「そう、私と一緒にこの町を出るの。それで向こうで一緒に暮らそうよ」


「……あ」


「どう?」


 その提案に思わず、呆気に取られてしまう。頭の中で超速で、知らない街で二葉先輩と一緒に暮らす妄想が、はかどった。


 とても良い。


「素敵です」


「だよね!」


「とても素敵です」


「ほんと? やる気出てきた?」


「がぜん」


 さっきまで、ぼんやりと見えていた教科書の文字が、やけにはっきり見える。


 ペンを握る手にも力がこもる。


 我ながら単純な人間だ。

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