第81話 ひらかれた扉


 うちの家族は毎年わたしが夏休みになるとパパとママ、それぞれの実家におじゃますることになっている。よく晴れてとても暑い、すごく夏らしい日。今年もその日がやって来た。


 パパとママ、そしてわたし、それから弟のたくみ。家族四人でうちの大きい方の車に乗り込んで出発した。

 里帰りと言っても大旅行じゃない。パパもママも、実家は同じ県内の隣の市、しかもお互いに歩いて行けるぐらい近所にある。だからどちらも家から車で1時間もしないうちに着いてしまう。



§



「おじーちゃん! おばーちゃん! 遊びに来たよっ!」


「はは、むっちゃんはいつも元気だねえ。

 ようこそいらっしゃい」


 いつも優しいおじいちゃん。

 いつも綺麗なおばあちゃんも玄関口で待っていてくれた。その脇を転がるように通り抜けていく匠の姿。


「こらったくちゃん! 上がるときは靴ぬぐのー!」


 今日の弟はいつにも増してテンション高めで、車の中でも一人大はしゃぎ。思った通りそのままの勢いで、おじいちゃんちに上がり込もうとしていた。

 わたしの一声が届いたおかげで気がついたらしく、匠は上がりに座り込んで靴を脱ぐのに一生懸命。


 そんな弟の様子を見つつふと振り向くと、大人たちは開け放ったドアの外でごあいさつの真っ最中。暑くないのかなーと考えつつ、靴を脱いだ匠が廊下を駆け出すのをぎりぎりの所で引き留めて、二人一緒にエアコンが効いて涼しいリビングルームへ。

 ボフンとふかふかのソファーに飛び込むけど、匠はまだ落ち着かないらしくてソファーの背もたれで飛び降りたりよじ登ったりを繰り返してる。


「もう! たくちゃん、そんなに暴れてケガしても知らないよ!」


 そう言って叱るけどどこ吹く風。

 そんな調子でソファーの周りをぐるぐるしている匠を目で追うのにもそろそろ疲れてきた頃、大人たちがリビングに集まってきた。


「まあまあたくちゃん、待ちきれなかったのね。いまアイスクリーム出すわね」


 おばあちゃんがそう言ってキッチンに向かおうとする。それを聞いてアイスクリームだぁってわたしの期待がビュッと上がったところで、ママが言う。


「ママ、まだおやつの時間には早いから、麦茶でいいよ」


 なんて言ってやんわりと制しにかかる。

 せっかくアイスを食べられるチャンスだったのに、ざーんねん。こういうとこ、ママは結構厳しいんだよねぇ。ともあれ、人数分の麦茶が出されて、大人たちは会話の続きを始めた。

 匠は大人の会話に混ざれるはずもなく、出された麦茶に口を付けたと思ったらすぐに動き回り始めてしまう。そしてそれをリードするのは当然、姉であるわたしの仕事になった。


 リビングから飛び出していく匠、それを追いかけてわたしも廊下に出ると、玄関の上がりには家から持ってきた匠のおもちゃ箱が置いてあった。匠はめざとくそれを見つけると、いつものようにおもちゃで遊び始める。わたしも匠に付き合ってしばらく遊んであげていたら。


ねぇね、おしっこ」


 なんて匠が言い出した。


 わたしは慌てて匠をトイレに連れて行く。


 わたしが今の匠よりも小さい頃から、おじいちゃんちには何度も来ている。そのせいか分からないけど、この家のどこに何があってというのは物心が付いた頃にはわたしは全部分かってて、おばあちゃんにも誉められたことがある。

 だから今回も何の疑問も持たずに匠をトイレに連れて行って、そして案の定少しばかりミスしてこぼれたおしっこをトイレットペーパーで拭き取ったあと、しまってあった除菌クリーナーを引っ張り出してきて、こうして後始末をしている。


 でも。


 わたし自身は今までここでこの除菌クリーナーを使ったことはないはずだった。どうして知りもしない物のありかが分かるんだろう。


「ねえ、ねぇね


 匠がわたしの服の裾を引っ張りながら呼ぶ。

 その声にわたしは我に返る。


「なぁに? たくちゃん」


 振り向いて視線を匠に向けると、なにかを欲しそうな彼の目が見えた。


「上、いこ」


 そう言いつつ、少し離れた所にある階段を指差す匠。


「上って、二階のこと?」


 わたしが上に向けて指を突き出すと、彼は黙って首を縦に振る。

 それとともに服の裾をさらに強く引っ張って来た。


「わかった、わかったから。

 これを掃除してから、ね?」


 手早く掃除を終わらせて、わたしたち二人は階段を上る。

 匠にとってはまだ一段一段が高いのか、両手両足を使って上っていく。わたしはその後から付いていった。

 そして最上段まで上りきると、廊下の先にある閉ざされたドアに向けて匠がとてとてと歩いて行く。


 そのドアはおばあちゃんから開けないでと言われていた。

 匠の背ではドアノブに手は届かないだろうと高をくくっていたら、なんと彼は背伸びをして器用にドアを開けてしまう。


「そこはだめだよ!」


 思わず声を上げて、ドアに向かって走る。

 つま先立ちのままドアに体重を預ける形になっていた匠がゆっくり倒れていく。

 右手が間に合って、彼の衿首を掴んだ。


 開け放たれたドアの前で、わたしに襟首を掴まれたまま前のめりにキャッキャ喜ぶ匠と、どっと疲れ果てるわたし。


「おっもいなぁ、もう」


 思ったよりも重かった匠をゆっくり床に座らせて、わたしは開いたドアの奥を見る。一番奥にある窓には分厚く暗いカーテンが掛けられている。でもその割に部屋の中はほんのり明るい。

 なにかが光っているみたいだった。


 匠を後ろに従えて、光の元が気になったわたしは慎重に部屋の中へ進む。



 部屋の真ん中には、大きなハンマーのようなものと、大きな鎌のようなものが並んで静かに、柔らかな光を放って浮かんでいた。



「……なんだろう、これ」


 わたしは興味に駆られて、その鎌のようなものに歩み寄る。


 なんだろう、と思いはしたものの、それとは別にこれは危険なモノという意識もまた心に浮かぶ。それでもわたしは手を伸ばすのを止めなかった。


 そして、わたしの手がその鎌のようなものの柄に触れた瞬間。



 世界のスイッチがオフになった。

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