第10話 着陸
六日目の日の出に、やっと〈放浪の山〉は歩みを止めた。
巨大な岩の亀裂に十本もの足をするりともぐり込ませ身を沈めると、それ以降ピクリとも動かなくなったのだ。
だがそんな〈放浪の山〉の様子に驚いている暇などなかった。ラスラもイオも、全く別のものに気を取られていたのだ。
「森だ……」
懐かしさのあまりイオは声を震わせた。
もう村を飛び出したのが何十年も前に思えた。木々の緑、湿っぽい土の匂い、目の前にある光景が夢ではないかと疑った。
ラスラはナイフをベルトに差し込み、〈放浪の山〉のごつごつした肌に足を引っかけた。さすがに六日も経てば水分はなくなり、ぬめり気は一切なくなっていた。
「もう完全に岩って感じだな。このまま雨が降るまで待つつもりなのか?」
何気なく言ったラスラの言葉に、イオは目を見開いた。
「そうかもしれない。身体の水分がある内じゃないと動けないんだ。だから一度も休まずに動き続けてたんだな」
二人は慎重に〈放浪の山〉を降りた。いきなり起き出したらどうしよう、と何度か頭をかすめたが、〈放浪の山〉は完全な山となり沈黙したままだった。
久々の地面に降り立つと、真っ赤な岩の上でも感慨深くなる。イオは足元を確認して、少し離れた場所に群生する森に目をやった。
森、と一口に言ってもそこに生えている木々はイオも知らない種類ばかりのようだ。背が低く横に枝を伸ばしている。そんな木の中で、一際高く立派な巨樹が他の木を覆うように立っているのが見えた。
そのさらに奥には、砂埃でよく見えないが巨樹よりもはるかに高い、石でできた柱が天に向かっていくつも伸びていた。あれは一体何だろう?
「これからどうしようか」
ぽつりとイオは言った。
目的は果たした。イオはトカゲの長に会えなかったが、トカゲの長が人間を敵視しているとなると危険を冒してまで近付きたいとは思わない。
ラスラも賛成とは言わないが、数日前のことを思い出したのか表情は暗かった。
もう、いい頃合いだろう。村に帰るべきだ。
イオは〈放浪の山〉の歩いてきた道を見やった。この足跡を辿っていけば、きっと最初にやって来た岩山まで辿り着けるだろう。ただし、〈放浪の山〉が休まず歩いた丸五日を、自分たちの足ならどのくらいかかるだろうか。
イオが考え込んでいる横で、ラスラがはっと血相を変えた。
「イオ、なんか来る!」
二人が〈放浪の山〉の影に隠れると、やがて離れた岩から三つのシルエットが飛び出してきた。
二本角の馬。一目見た瞬間に、ラスラはびくっと身体を震わせた。
「あいつらだ」
イオもそっと顔を出して確認した。馬の上には確かにフードをかぶった三つの人影。一番後ろの一人はなんだかバランスが悪くて危なげだ。残りの二人はそれに気遣いながら、しかし速度を落とさないように森に向かって駆けていた。
「なんてこった。いつの間にか追い越してたんだ!」
ラスラの顔色は青白かったが、それでも気はしっかり保っていた。
イオは何も言わず、食い入るようにトカゲの長の動きを観察していた。
二人の見ている前で、トカゲの長たちは森の前で一度止まった。三人で何か話しているようだ。その内の一人が森の向こうの石の柱を指差したのを、イオは見逃さなかった。
何かもめているようだったが、すぐに結論が出たようで、三人は森へは入らず森に沿って馬を走らせ始めた。迂回するルートを選んだようだ。
彼らが見えなくなるのを確認し、イオは腰を上げた。
「ねえ、ラスラ。ぼくが今何を考えているか分かる?」
「あいつらを追いかけようとか言うんじゃないだろうな? おれは反対だからな! 命がいくつあっても足りない」
「半分正解だ。でも、別に物見遊山に行きたいわけじゃない。ちょっと、彼らの乗っている馬を拝借できないかと思ってさ」
「馬を?」
ラスラは目を瞬かせた。
「だってこれから徒歩で岩山に戻るんだぞ。あの馬に乗れたら、きっとずいぶん楽に旅ができる。今までは食べ物にも水にも困らなかったけど、帰り道ではそうはいかないだろ?」
ラスラはイオの提案をじっくり噛みしめた。
「まあ、あれに乗って行けたらおれも最高だと思うけど」
「なら、決まりだな」
イオがさっさとうなずいたので、ラスラはあわてた。
「おいおい、トカゲの長相手に盗みを働こうっていうのか? ばれたらただじゃすまないぞ!」
「ばれても逃げればいい。それに、盗むんじゃない。少し借りるだけさ。本当にあれが馬なら、ぼくらが移動した後でもちゃんと自分の主人のもとに帰れるよ」
「でもさ……」
なおもラスラが言おうとするので、イオはくすくす笑った。
「なんだよ。怖気づいたの? いつもは負けん気の塊のきみが」
ラスラはかちんと来て言い返した。
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、問題はないね? あいつらは森の向こうの、石柱まで向かおうとしているみたいだった。森を突っ切っていったら、ちゃんと追いつけるはずだ」
ラスラは何か言いたげだったが、結局口をつぐんだ。
この時、イオを殴ってでも止めなかったのを、ラスラは生涯悔いる事になる。
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