第9話 〈放浪の山〉号

 それから五日間、イオとラスラは岩の世界を漂流する羽目になった。


 イオはこの足が十本もある巨大生物を〈放浪の山〉と呼んだ。〈放浪の山〉号は二人の期待も空しく、昼夜休まずまっすぐ移動を続けた。

 途中、器用な足を二本くねらせて岩の間を探り、コウモリや見たこともない獣を捕らえては足の間に放り込んだ。どうやらそこに口があるらしい。

 骨をかみ砕く振動が足元に響くたび、次は自分たちなのではとイオは青ざめた。幸いなことに、〈放浪の山〉は自分の背中に小さな生き物がいることなど全く気が付いていない様子だった。


 ラスラはそんな環境にも、二日もすれば慣れてしまった。暇さえあれば背中の上を飛び回ったり、〈放浪の山〉の側面のくぼみを伝って探検したりした。

 這うように進む〈放浪の山〉号は、揺れも少なかったので乗り物としては快適であった。背中に生えた木の中には種や果実をつけているものもあり、食糧に困らないのもありがたかった。

 それでもラスラは木の実ばかりの生活に辟易して、よくぼやいた。


「捕まえた獲物を、同居人に分けてくれる優しさがこいつにあればいいのにな! 一体おれたちをどこまで連れて行く気なんだ?」

「気が済むまで止まらないんじゃないかな。〈放浪の山〉には、ぼくらを運んでいるつもりなんてないんだから」


 二人が乗ってしまったのはただの事故であり、互いにとって予期せぬ出来事だったのだ。

 結局、〈放浪の山〉の気が向くままに任せる他なかった。

 イオは退屈な時間のほとんどを、景色を眺めるのに充てた。様々な形に風化した岩を眺めては、あれはゲバに似ている、あれはヤギの横顔だろうか、と想像を膨らませた。

 そうして過ごしている内に、新たに発見したこともある。

 いつものように双眼鏡を覗いてイオが岩を観察していた時、何となく動き回っている〈放浪の山〉の足に目を向けてあることに気が付いた。


「これはすごい。ラスラ!」


 木登りの真っ最中だったラスラは、枝から飛び降りてぼよんと一跳ねした後、イオのそばまでやって来た。


「あそこのくぼみの下あたり。よく見てくれ。丸い穴がたくさん空いているのがわかる?」


 イオが指差した所には、確かに表面にでこぼこした部分があり、小さな丸い穴がびっしりと空いていた。まるでのぞき穴付きのタイルをはめ込んだようだった。


「模様にしちゃ変わってるな。あざか何かかな?」

「違うよ。あれそのものが生き物だったんだ」


 怪訝な顔をするラスラに、イオが『動植物大全』の一ページを開いて見せた。


「ほら、これ。フジツボっていう生き物なんだ。本当は岩に貼りついているんだけど、たまに大きな魚や船に集まることがあるんだって」

「うえっ。あの丸い穴一つ一つが生きてんのかよ! こんな珍妙な生き物、よく載ってたなぁ」


 ラスラは感心して本を裏返した。背表紙にはぼろぼろの刺繍で『L・カシバ』とあった。


「問題は、このフジツボが海辺に生息している生き物だってことだよ」

「だって、ここはもともと海だったんだろ?」

「でもここが海じゃなくなってから相当な時間が経っているはずじゃないか。〈放浪の山〉はここが海だった時代からずっと今まで生きてるってことになる」


 ラスラはぎょっとして、うなじをなでているイオを見た。


「そしたらこの大きさにも納得だな。案外〈放浪の山〉も、もともとは海の生き物だったのかも。だけど、海が干上がってしまったから陸でも暮らせるように変化したんだ」

「変化って。そんな簡単に?」

「簡単な話じゃないよ。多くの魚や生き物がここには生きていたはずだ。それが全部死んで、その内生き残った一握りの命が環境の変化に適応したんだ。トカゲの長みたいにさ」


 イオは海の夢を思い出した。森以外であんなに生命にあふれたところをイオは知らない。それが、何かの拍子に全て奪われた。

 ラスラは目を瞬かせ、足元をまじまじと見やった。


「お前も、大変だったんだなぁ」


〈放浪の山〉はまた大きな岩の柱に足をからめて押しのけた。歩調は相変わらず緩む気配はない。

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