第6話 邂逅
二人は夜明けと共に岩山を出発した。
昨晩、コウモリが飛んでいった方向を目指して、ひたすらに歩き続けた。平坦に見えた荒野はいろんな形の岩が無造作に転がっていて、時々岸壁を滑り降りたり、よじ登ったりしなければならなかった。
振り返ってみると、遠くに鳴った岩山は山というより石の塔のようだった。荒れ果てた大地にひときわ高くそびえている。あの上から降りてきたのだと思うとぞっとする。
ところで、イオの予想は当たっていた。
ひたすら歩いていくうち、灰色だった風景に突然、木々が点在し始めたのだ。ぽつりぽつりと立っていた木は進むにつれて数を増やし、少しばかり視界に彩りが出た。
ラスラは岩の天辺に立っている木を見て、口笛を吹いた。
「すごい生命力だよな。岩があろうがおかまいなし」
「むしろ岩を割りそうな勢いだ。やわらかい地面がなくても彼らは生きていかないといけないからね。そういう風に進化してきたんじゃないかな」
「トカゲの長もそうだといいのにな。ここまできて骨折り損なんて、やってられない。ところでイオ、この木の実って食べられる?」
「ラスラってさ、食べることしか考えてないでしょ」
手の平サイズの緑の果物を枝からとってきたラスラに、イオは呆れた。
「昨日の教訓だよ。飯は確保できるときに確保する!」
「いい心がけだとは思うけど、正直ぼくはまだ食欲がないよ」
昨日のコウモリの味を思い出したのか、イオの顔色は青ざめていた。
それでもベルトに挟んだ本を引っ張り出してくれ、岩の陰で植物の項目をそろって覗き込んだ。
「あった。カンジュトウ。モモの仲間みたいだな。一応食べられるけど、素手で触るとかぶれるって」
「どうりで手がちくちくしてきたと思った」
ラスラはあわててコートの裾で果実をくるみ、ズボンに手をこすりつけた。
よく見ると、皮に小さなとげがびっしりついているのだ。触った感触もざらざらしている。これが持った時に手に刺さってしまうのだろう。
しかしラスラがナイフで半分に切ってみると、大きな種とその周りの白い果肉が姿を表した。繊維が固く噛むと小気味よい音がしたが、よく知っているモモよりも砂糖に似た甘さが口いっぱいに広がった。ラスラはこの変わった果物がすぐに気に入った。
カンジュトウの木はたくさん育っていたが、実がなっている木はとても少なかった。ラスラは青々としたカンジュトウを見つけるたびに取り上げ、コートのフードの中に放り込んだ。
気付けば肩に重みを感じるほどフードはカンジュトウでいっぱいになっていた。
いくつ目かの丘を越え、天然の岩のアーチをくぐった時である。
「あ」
ラスラは声を上げて上空を見た。
額にぽつり、と冷たい感触が落ちてくる。
「やばいな。雨だ」
「本降りになる前に、雨宿りのできる場所を探した方がいいね」
「おれがちょっと見てくるよ。イオはこれ見といて」
収穫したカンジュトウの山をどさどさとイオの足元に置き去りにして、身軽になったラスラは岩道をよじ登った。
時々ひび割れた地面に足をとられそうになる。
地面の裂け目を飛び越え、あちこちを探索してみた。が、雨をしのげるほどの岩陰はなかなか見つからなかった。
その間にも風が強くなり。雨粒も大きくなってくる。
これは嵐になるな、とラスラは直感した。
となると、ただ雨がしのげる所ではなく、昨日のように岩の隙間の空洞になっている所を探すべきだ。
どれほど歩いただろうか。イオからずいぶん離れた場所までやって来た時、ラスラは一度戻った方が良いかもしれないと思い直した。別方向の一帯を探すのだ。これだけ岩に囲まれた荒野だ。ちょうどいい雨宿りの場所がないわけがない。
引き返そう。そう思ってきびすを返しかけた時、ラスラはふと足を止めた。
話し声が聞こえた気がしたのだ。
(こんな所に一体だれがいるっていうんだ? きっと風が鳴っているだけだ)
そう思ったが、好奇心にとうとう負けた。
きっとイオが一緒だったら、不用意に近付くべきじゃない、と警告しただろう。しかしラスラ一人ではそんな考えにさえ思いつかなかった。
ラスラはフードを頭から引っかぶる。すると、カンジュトウの甘い香りが鼻をくすぐった。
狩りの時に獲物に気付かれないようにするように、ラスラは足音を忍ばせて声が聞こえたと思う方に足を伸ばした。
ブムルルっと馬のため息が聞こえた。
こんな馬を見たことがないと思った。
村の農場で飼っている馬なんかよりがっちりと筋肉質で大きかった。そして頭に二本の角がねじれて生えている。よくみると足は鳥のそれと同じで毛がなく、四本の指に分かれていた。
馬は月毛と栗毛二頭、みんな近くの木にくくりつけられていた。背には大きな鞍。真っ黒な革はいったい何の動物だろう?
乗り手は馬のすぐそばにいた。ラスラは見つからないように気配を殺し、岩の向こう側の様子を探った。
ぼそぼそと交わされる会話は、何をしゃべっているかわからなかった。数人で狩りをしているようにも見えたが、どうやらそうではなさそうだ。一人は眠そうに岩にもたれかかっていたし、もう一人は地面に座り込んでいたから。
三人組はみんなラスラと同じようにコートを頭からかぶっていた。ただ、ソライモムシほど滑らかな布ではない。麻のようにがさがさとしている。それにしても、三人ともものすごく背が高かった。確かに、彼らを乗せて運ぼうと思ったら、馬の方も普通の大きさではいられないだろう。
もう少し近くに寄れないだろうか。
ラスラは四つん這いになり、思い切って前方の岩場にすばやく移動した。
三人はラスラの存在に気が付かなかったようだ。長い槍の先で背中をかきながら、一人が何かを言い、他の二人がしゅっしゅっしゅっと音を立てた。どうやら笑っているらしい。
そっと岩の陰から覗いて見ると、ラスラは息を呑んだ。
二股の槍を持った手が、光沢ある赤い鱗にびっしりと覆われていた。つめが長く、指と同じぐらいの長さがある。さらに、フードから突き出た顔は鼻に向かって出っ張っており、口は自身の頭を飲み込んでしまうほど大きかった。
心の中で叫んだ。
トカゲの長!
ラスラは衝撃によろめいた。
その瞬間、ラスラはとんでもない失敗をしでかした。
無意識に握りこんでいたナイフを、岩に肩がぶつかった拍子に取り落としてしまったのだ。
カシャンッ。
無常な金属音が荒野に響く。ラスラはその場に凍りついた。
「そこに隠れているのは誰だ」
三人のトカゲの長の内、一人ががさついた声を張り上げた。
ラスラはそろそろとナイフを拾い上げた。耳の奥でどくどくと心臓の音がする。知らず足が震えていた。
三人六つの視線が、彼らの持っている槍のように鋭くラスラの隠れる岩に注がれているのが分かる。
まずい。
まずいまずいまずい!
ラスラは息を大きく吐いた。一度肺の中を空っぽにし、新しい空気を取り込む。
そして、全力で駆け出した。
あんな大きな槍で串刺しにされたら、ひとたまりもない。
とにかくイオに知らせなければ。イオは近くにトカゲの長がいることを知らないのだ。
ところが焦る気持ちとは裏腹に、体が思うように動かなかった。まるで夢でも見ているようだ。早く走ろうとすればするほど、泥に足を取られたように踏ん張りがきかなくなる。後ろからの圧力に押しつぶされそうだった。
それでも岩のいくつかを越え、這いつくばるように逃げた。
とうとう圧力に負けて息ができなくなった時、背中にどんと衝撃を覚えて倒れこんだ。トカゲの長が追いついたのだ。
「貴様、ここでなにをしている? なぜヌイを返さない!」
暴れるラスラの首根っこを押さえ込み、トカゲの長がしゃがれた声で詰問した。
「どこの氏族だ! 答えねばこのまま首をへし折るぞ!」
ラスラはうめき声を上げた。胸にのしかかっていた圧力が、ぎりぎりと万力のごとく締め上げてくる。質問の意味もよく分からないまま何もかも白状したくなった。
「子供か」
「こんな所に一人で? トハーンの者か?」
トカゲの長が乱暴にラスラの腕をひねりあげた。そのまま強い力で無理やり立たされる。ラスラは肩が外れそうな痛みに悲鳴を上げた。
だがラスラの声はトカゲの長たちに届かなかった。トカゲの長たちがもっと大きく叫んだからだ。
「鱗がない!」
腕をつかむ力が一瞬緩んだ。
ラスラはその隙に腕を払い、とっさに相手を突き飛ばした。
それほど力は入らなかったが、突き飛ばされたトカゲの長が鋭い悲鳴を上げた。自分の腕をかきむしって悶絶する。
他の二人がひるんでいる間に、ラスラは再び走り出した。腕が痛みにしびれている。目をやると真っ赤にぬれているのが端で見えた。
圧力はすっかり消えていた。息苦しさもずいぶんましだった。しかししばらく走る内にまた胸を締め付けられる痛みがぎりぎりと襲いかかってきた。
立ち止まらなければいけない、とラスラは思った。そうでなければきっと胸がつぶれてしまう。
だが、同時に立ち止まったら終わりだと分かっていた。トカゲの長たちは人間を許さないだろう。あの槍で八つ裂きにするつもりなのだ。ラスラはあえぎながら、必死に足を引きずった。
やがて雨が本降りになり始めた。ぽつぽつと地面をぬらしていたしずくが、やがて水の塊になって降り注ぐ。光が迸り、頭上で雷まで鳴った。
この雨が少しでもトカゲの長たちの視界をさえぎり、ラスラの足跡を消してくれればいいのに。そうすればちっぽけな人間の子どものことなど、彼らは諦めるかもしれない。
ああ、苦しい。
イオはどこへ行ったのだろう。
まさかトカゲの長に捕まったのか?
(そうなんじゃないか? だってさっきの場所に戻ってもいなかったじゃないか。きっと二人とも捕まってしまうんだ。村から出たばっかりに。ほら、もう走ってもむだだ。あきらめるんだ)
いやだ、と心の中の声に言い返した。まとわりつこうとする絶望に無我夢中で抗う。
すがるように、イオの名を呼んだ。
しかし豪雨の打つ音はラスラの耳を覆ってしまい、自分の声さえ聞こえなかった。いや、そもそも声など出ていなかったのかもしれない。
もうダメだ、とついに足が止まりかけた時だった。
「ラスラ!」
遠くでイオの声がした。
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