第2話 箱を開けなければ中のねこの毛の色は分からない

 それから十五分くらいアレフは自分の知っている教訓について話し続けた。


 ラスラが何度か急かしてようやく二人は解放された。


「もう、ありがたい話なんてうんざりだ!」


 人気のない村の外れまでイオを引っぱって行って、やっとラスラはわめいた。ずっと切り株に座っていたから、足がさびついてしまったのではないかと思うほどだった。


「ごめん、ラスラ。こんなに長くなるはずじゃなかったんだけど」


 イオは申し訳なさそうに言った。いったん興味を持つと周りが見えなくなるのはいつものことだった。

 それでもラスラの腹の虫はおさまらなかった。ナイフ研ぎを遊びだと言われたのを根に持っているのだ。


「星の主も、トカゲの長も、本当にいるのかどうか分からないじゃないか。あんなにもっともらしく言うけど、アレフだってトカゲの長を見たことがないんだぞ!」

「だけど、ぼくはじい様がうそをついているとは思わないな。村のどの本にもトカゲの長の話は出てくる。これが全部作り話だとは、ちょっと信じられないよ」


 イオは物知りのアレフ老を敬意を込めて「じい様」と呼んでいた。

 言い返されたので、ラスラはさらにむっとなった。


「うそをついていなくても、だまされてるって可能性はあるだろ。大昔の人が言ったほら話を伝えているだけかもしれないし」

「なんのために?」


 イオはくすくす笑った。


「もちろん、おれたちを村から出さないためさ!結界なんて言ってさ、村の外が安全じゃないなんて証拠もないじゃないか」

「じい様も言ってただろ。『箱を開けなければ中のねこの毛の色は分からない』ラスラの言う通り危険かどうかは分からないけれど、逆に安全かどうかも分からないよ」


 イオにまで村の大人みたいにさとされて、ラスラは意地になった。


「じゃあ、箱を開けてみようじゃないか。この先をずっと行ったら、結界とやらがあるんだろ?トカゲの長ってやつを、この目で確かめてやる」

「本気かい?ばれたら小言どころじゃすまないぞ!」


 あわてた様子のイオに、ラスラはにやっと笑った。


「ちょっと狩りに行ってたって言えばいいのさ。今までだって二、三日帰らなかったことがあっただろ。ゲッコウアゲハあたりの珍しい生き物を見つけたから追いかけてたって説明すれば、だれも疑ったりしないさ」


 ゲッコウアゲハは鱗粉が光る蝶の名前だ。きれいな水の所にしか現れないので、この村の近くではなかなかお目にかかれない。


「だけどぼくたち、村の外なんて知らないじゃないか。危ない動物がいたらどうするの?自殺行為だよ」

「イオならおれの狩りの腕前をよく知ってると思ったけどな。イオはトカゲの長がどんな姿なのか見たくないのか?アレフの話だけで満足?おれは嫌だ。見て、確かめないと知ったことにならない」


 イオは言葉を飲み込んだ。

 ずるい手だ、と我ながら思った。だって、イオほどの知りたがり屋なんか村にはいないんだから。

 さらに、イオが反論を思いつく前に、ラスラは追い打ちをかけた。


「おれは一人でだって行くぞ。だれかさんと違って臆病じゃないから。後でついて来ればよかったって言っても、知らないからな」


 とうとうイオが折れた。空を仰ぎ、深々とため息をつく。


「分かったよ。でもお互い手ぶらで行くことないだろ。一度村に戻って準備をしよう。結界の外に行くのはそれからだ。いい?」


 こうして、まずは二人でラスラの家に行くことになった。

 ちょうど収穫の季節なので、ラスラの家はすっかりもぬけの空だった。親も兄弟も村の果樹園で働いているのだろう。ラスラも本当は手伝わなければいけないのだが、こっそり抜け出して来たのだ。

 ラスラは家の玄関口に立てかけてある弓とえびらを引っつかんですぐに出てきた。えびらにはラスラお手製の矢が束になって刺さっていた。


「コートも持って行きなよ。日が暮れたら冷えるぞ」


 イオに指摘されて、ラスラは自分のコートを羽織った。ソライモムシの糸で編んだコートは、そでがなく身体をすっぽりおおってしまうのでコートというよりローブと言った方がしっくりくる。



 次にイオの家へ向かった。イオの母さんは薬師なので、家の中は香草や薬草を煮つめる匂いがつんとした。


 イオの準備は念入りだった。皮の袋に血止めのなんこうや消毒用の強い酒のびんをつめた。それからゲバ(長い毛のびっしり生えたカバみたいな生き物。村ではヤギや牛といっしょに育てられている)のひげで結ったロープ。方位磁針。双眼鏡。たき火に必要な火打石。水袋。家の裏にかかっていた干し肉に手を伸ばそうとしたところで、ラスラが引き止めた。


「いざとなったらおれがなんか捕まえてくるから!」


 しぶしぶ食べ物を持ち出すのをあきらめたイオだが、本棚にあった分厚い『動植物大全』だけはゆずらなかった。


「食べた野草が毒だった、なんてことになったら大変だろ。ぼくらが行くのは誰も見たことがない村の外なんだぞ!」


 イオは恐ろしく重い本をベルトの間にむりやりねじこみ、その上からラスラと同じコートを着た。

 さあ出発しようかという時に、ちょうどイオの母さんが帰ってきた。


「二人とも、どこへ行くつもり?」


 遊びに行くには大げさすぎる荷物に、母さんが目を丸くした。

 イオはしれっと答えた。


「ちょっと狩りに行ってくるよ。ラスラがいい狩場を見つけたんだ」

「そう。でもあまり遠くへ行ってはいけないわよ。そうだ、グレリオについて来てもらったら?二人じゃ危ないわ」


 グレリオは二人よりも七つも年上の若者だ。体つきもがっしりしていて狩りもうまいが、いつも人を小ばかにした笑みを浮かべていてラスラはあまり好きではなかった。

 イオも同じ意見らしく、あわてて言った。


「二人で行けるさ。大丈夫。それに、グレリオだって忙しそうだったよ。羊の毛刈りの最中で、ばたばたしてたのが見えたもん」


 心配性なのはイオもイオの母さんもよく似ている。出かけていく二人に釘をさすのを忘れなかった。


「何も獲れなくても日暮れまでには戻って来るのよ。それから無茶は絶対にしないようにね!」

「ああ。これで帰って来てからの小言が一つ増えたな」


 小さくイオがぼやいた。隣にいたラスラには聞こえてしまったので、思わずふき出した。

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