第1話 語り部アレフ

 この世界は丸くて青くて、宝石みたいに闇の中でひときわ輝いて見えるらしい。

 語り部アレフの言うことを信じれば、の話だ。ラスラは村一番の喋りたがりの話を信じていなかったが、親友のイオが熱心に彼の話に耳を傾けるので、仕方なく付き合って切り株に腰を下ろした。


「今日はトカゲの長について話そうか」


 アレフは村を取り仕切る長老でもあるから、いつだって落ち着いた様子でゆっくり話す。こんな調子でのんびりと長話を始めるものだから、村の子ども達はみんなアレフに捕まらないように必死だった。


 ラスラも早々に飽きてしまって、父さんからもらったナイフを研ぎ始めた。三日月形に曲がったナイフはラスラの宝物だ。


「トカゲの長って、どんな姿をしているの?」


 隣に座っているイオが尋ねる。イオはつやのある金髪をしていて、いつだって青い目を好奇心いっぱいに満たしていた。

 本当に世界が青いのなら、きっとイオの目みたいなんだろうな、とラスラは時々思う。ラスラはイオのきれいな瞳の色がうらやましかった。ちなみにラスラは髪も目も真っ黒だ。おまけに毎日狩りや水浴びをして遊び回っているから、肌もこんがり焼けていた。


「トカゲの長は、星の主によく似た姿をしているそうだ」

「星の主って?」

「我々の住んでいる宝石を作ったお方だよ。我々人間も、トカゲの長も、この世界に生きる全ての生き物は星の主が創造されたのだ」


 うそばっかりだ、とラスラはこっそりため息をついた。星の主なんか、誰も見たことがないじゃないか。


 ラスラのひそかな不満に気付かず、語り部アレフは長いひげをしごきながらとつとつと話し始めた。




「遥か昔、この世界にはトカゲの長が暮らしていた。もっともその時の姿は今とかけ離れたものだった。

 巨体で猛々しく、獣もおののく自然の支配者だったという。


 しかし星の主は、蹂躙の限りを尽くしていたトカゲの長たちに世界をめちゃくちゃにされることを恐れて、世界に長い長い冬をもたらした。


 トカゲの長たちの内、賢い種族はまだ温かい地面の奥深くにもぐってそれをしのいだが、ほとんどのトカゲの長たちは凍えて死んでしまった。こうして一度はトカゲの長の時代は終わった」



 ラスラが横目で見やると、イオがそわそわしていた。きっと質問したくてたまらないのだろう。だけど、アレフの話をさえぎると小言をもらう上に話が横道にそれる可能性があるので我慢しているのだ。


 あと三十秒くらいかな。


 アレフは深呼吸を一つして、また語る。




「星の主は考えた。


 この星を豊かにするためには、きっと知能の高い生き物に任せればいいのではないか。


 こうして星の主は、自分ほどの賢さを持った生き物を創造された。それが我々人間だった。

 最初の内、人間はうまく自然と共存した。子孫を増やし、繁栄し、持てる英知で文明を作った。


 しかしその賢さゆえに、人間は傲慢になり始めた。知恵を持たない他の生き物たちを軽んずるようになり、星の主のものを自分本位の世界に作り変えようとしたのだ。

 おかげで多くの生き物が死に絶え、多くの生き物が自由を奪われた。

 かつて青かった我らの世界も、やがて輝きを失うようになり、代わりに人間の作り出した偽りの光で埋め尽くされるようになった」

「ねえ、生き残ったトカゲの長たちはその間どうしていたの?」


 そらきた。イオがとうとう我慢できずに口をはさんだのである。

 しかし幸いにして、アレフがへそを曲げることはなかった。きっと話をするのに夢中になって、少年の不作法に気が付かなかったのだろう。


「彼らはずっと地中の奥底で眠っていたのだ。あまりに深すぎて人間たちには見つけられなんだ。しかし長き眠りから覚めて地上に出た賢きトカゲの長たちは変わり果てた大地に驚き、世界を変えてしまった人間たちに激怒した」

「〈転換点〉ですね」


 イオはうなずいた。

 ラスラだって〈転換点〉のことは知っている。


 世界の頂点に立っていた人間が引きずり下りされ、トカゲの長に支配者の座を明け渡した日。




「人間は賢かったが、かつて星の主に授かった力を失っていたのだ。最も星の主に近かったはずの人間が、もはや星の主から最もほど遠い存在に成り果ててしまっていた。


 逆に生き延びたトカゲの長たちは星の主の祝福を受けていたから、星の主によく似た姿を取り、星の主から授かった強い力を持っていた。

 人間は文明の力を持ってトカゲの長に対抗したが、非力ゆえに追い詰められ、やがて狩られる側へと変わっていった。


 かつて六十億といた人間たちは絶滅の危機に追いやられた」



「だけど、滅びなかった」

 イオは手を広げて見せた。

「ぼくたちはまだ生きています」

「その通り。星の主の憐れみがなければ我らは今ここにいないだろう。ラスラ、相手が話している時は目を見て聞くようにと教わらなかったかね?」


 突然矛先を向けられたので、ラスラはぎょっとして砥石を取り落した。


「遊んでいないでちゃんと聞くんだ。星の主より我ら人間に課せられた使命を、お前たちはきちんと理解せねばならん」


 遊んでなんかいないと言い返しそうになったが、アレフの険しい顔を見て口をつぐんだ。

 仕方なくナイフをしまい、ラスラは居住まいを正した。




「どこまで話したかな? ああ、そうだ。人間が滅んでいくのを見かねた星の主は、トカゲの長たちをいさめたのだ。


 人間の英知と言葉を分け与える代わりに、人間たちにこれ以上手を出さないように、と。


 そしてさらに星の主は、身を守る術を持たない人間に祝福を与えた。

 人間の血はトカゲの長たちにとっての猛毒に変わった。


 こうして人間は世界のかたわらで謙虚に生きることになり、世界は英知を得たトカゲの長たちの手にたくされた」



「じゃあ、トカゲの長がぼくたちを襲わないのは、ぼくたちの血がトカゲの長を苦しめるから?」


 イオはすっとんきょうな声を上げた。

 ラスラは肩をすくめる。


「確かに、猛毒の虫をわざわざつぶそうとは思わないもんな」

「それもあるが、この村の周りにはトカゲの長たちに見つからないよう結界が張ってある。我々がここに暮らしていることは、外の彼らには分からん」


 ラスラはぐるりと周りを見渡した。

 村は鬱蒼としげる森に囲まれている。三人が今いる広場の向こうにも覗けた。

 この向こうに結界とやらがあるのだろうか。


「それで、ぼくたちの使命ってなんなの?さっき言ったでしょ。星の主がぼくたちに使命を与えたって」

「では、逆に問おう。我々は同じ世界に住まう隣人をトカゲの長と呼んでいるが、トカゲの長たちは我ら人間を何と呼んでいると思う?」


 イオは頬をなでながら真剣に考え始めた。

 ラスラも考えたが、さっぱり分からなかった。そもそもトカゲの長さえ見たことがないのだ。

 分からなかったので、ぱっと思いついたものを当てずっぽうで口にした。


「チビ、とか?」

「これ。誰だ、お前にそんな汚い言葉を教えたのは?」


 アレフは顔をしかめた。


「地表の民、でしょうか」


 続けてイオが言った。これも当てずっぽうだとすぐに分かった。

 二人の回答にゆるりと首を振り、アレフは正解を教えた。


「戒めの民、だ」

「戒め?」

「人間も、トカゲの長も、かつてあやまちを犯した。星の主が人間にトカゲの長の毒を与えたのは、世界を制するトカゲの長がふたたびあやまちを犯さぬよう見張るためだと言われている」

「なんだ、お目付け役ってこと?」


 ちなみにラスラにもお目付け役がいる。二つ年上のユジーンだ。姉貴分でもある彼女は、いたずら好きで一所でじっとしているのを嫌うラスラにいつも目を光らせ、ぐちぐちと小言を言う。


「あんたに何かあったら、あたしが責任とらなくちゃいけないんだからね!」


 別に頼んでいない、とラスラが口を尖らせると、ユジーンは彼の頭にごちんっと一発くれるのだ。

 そんなユジーンも、今日はお産をひかえた母親の世話にかかりきりだった。

 今なら何をして遊んでもユジーンの小言を聞かなくてすむ。


 だというのに、せっかく遊びに誘ったイオはアレフの話に夢中なのだ。


「だけど、村の人たちはだれもトカゲの長を見たことがないよ。どうして見張ることができるの?」


 はやく話が終わってくれないかな。ラスラは足元の小石を軽くけった。


「『目に見えぬものをこそ思え。されば心が真実を見るであろう』」


 おごそかにアレフが言った。アレフはこういう教訓を語るのが大好きなのだ。


「異変があれば、我らは必ず気が付く。それといった印が現れるはずだ。さもなければ……」

「さもなければ?」


 アレフはにっこり笑った。


「星の主が我らを導くだろう。我らがそれに気が付かなくてもな」

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