第54話 とあるお盆の日

 窓を介してさえ届く熱気と蝉の声。

 ジワリと湧いた汗がまつ毛に触れる。


「……あっつ……」


 もっと眠りたかったが、夏を浴び過ぎたせいか乃亜は目を覚ましてしまった。


 太陽は一番高いところに登りつつあるが、睡眠時間は正味5時間ほど。

 夜更かしな乃亜の日常は、夏休みのせいで余計に不健康になっていた。


 シンと静まり返ったリビングに、トーストをかじる音だけが響く。


テレビをつけると女性キャスターが異様にハツラツした声で喋っている。


『お盆ということで、こちらの運動公園は大混雑!』

「へーそう」

『夜には花火が上がるということもあり、今から期待感が高まっています!』

「それはウソだろ。持続せんやろ期待感」


 テレビと会話していたところ、玄関から鍵の開く音が聞こえた。

 その途端、乃亜の眉間にシワが寄る。


「乃亜、起きるの遅いわよ。昨日何時まで起きてたの」

「……なんでいるの?」

「いるに決まってるでしょう。お盆なんだから部活も休みなの」


 返答もせず、乃亜は先ほどよりも早くトーストを食べ進める。


「あなた、今日は何してるの?」

「……どうでもいいでしょ」

「良くない。少しは家のこと……」

「あーはいはい外行くから!友達と約束してるから!」


 そこで強引に話を打ち切ると、乃亜はトーストを残して自室へ引っ込む。

 そうしてすぐに家を出ていくのだった。

 

 もちろん約束などない。

 仕方なく渋谷にまで足を伸ばすが、当然のように人でごった返していた。


 1人でいるせいもあり、200mごとにナンパされる始末。


「ファッ○ンお盆……」


 暑さと人いきれで脳がぼんやりとしてきた乃亜は、比較的人が少ないだろうミニシアターに入った。


 鑑賞する映画はテキトーに選び、すぐさま劇場に入る。

 場内はひんやりとしていて、客もまばら。

 ひとまず落ち着いた乃亜だが、頭が冷えたところで察する。


「(休日の渋谷、ミニシアターとはいえこの客入り……この映画、大丈夫?)」


 大方の予想通り、トンデモ映画であった。


 ゾンビウイルスを乗せた宇宙船が衝突し、小惑星がゾンビ化(は?)。

 地球に向かってくるゾンビ小惑星を1000年の眠りから目覚めた体長500mの巨大ザメが食い止める(なんて?)。

 そうして飛び散ったサメの肉片を材料に、負け犬男がステーキハウスを始めて人生をやり直していく(ずっと何言ってんの?)。


 上映が終わると、乃亜の体にどっと謎の疲労感がのしかかる。


「(何を見せられたんだろう……もしかして夢?アタシ寝てたのかな……?)」

 

 脳に奇々怪界な情報を押し込まれた乃亜は、フラフラと映画館を出る。

 カフェに入り、ひとまず頭の中の整理に努めた。


 ふと、自身の斜め前の席につく2人組に視線を奪われた。


 10〜20代の女子と、40〜50代の男性。

 醸し出される雰囲気から、親子関係でないことは分かる。


「(やってんなぁ)」


 それはまるで、過去の自分を見るような、どこか懐かしい光景。


 彼女は金欠なのだろうか。

 それともかつての誰かのように、孤独なのだろうか。


「(これは皮肉でもなんでもなく……あの子が幸せになりますように)」


 そもそもパパ活かどうかも分からないが、乃亜は名も知らぬ女子に祈るのであった。


 陽が傾き出すと、暑さはやわらいだが人混みは一層厳しくなる。

 乃亜は逃げるように帰りの電車に乗り込み、渋谷から退散した。


 歩き回って疲れたから、少し横になりたい。

 だが帰宅すれば、母親がいる。

 

 そうして乃亜が選んだ先は――。


「お邪魔しまーすつって、誰もいねぇー」


 梶野家だ。

 しかし先日知らされた通り梶野もタクトも帰省中で、誰もいない。


「ふほうしんにゅーやで……いやまぁ、いつもだけどさ」


 タクトの散歩という大義名分でもって渡された合鍵を、タクト不在でも使用。

 罪悪感と非日常感が入り混じる。


「ふふふ……」


 向かった先は、梶野のベッド。

 寝転ぶと、体に溜まっていたネガティブな感情がため息となって吐き出た。


「カジさん……同じ空の下にいるのかな」


 はるかはるか遠く――栃木県にいる梶野へ語りかける。


「栃木の空はどうですか、カジさん。餃子の雨は降っていますか?」


 栃木のイメージが異常に薄い乃亜であった。


 それから徐々に、意識が薄れていく。


 不意に響いたスマホの通知音で、乃亜はハッとする。


「やば、ガチ寝しちゃった……」


 5時間しか眠れてなかったせいか、乃亜は小1時間ほど寝落ちしていた。


 スマホに届いたのは、神楽坂からのメッセージだ。


『おばあちゃんちから花火見てるよ〜。キレイでしょ〜』


 添付されていた、夜空に咲く花火の写真。

 乃亜は、つい笑みをこぼしてしまった事実に悔しさを覚えた。


『おまえも花火に巻き込まれて華麗に散れ』

『辛辣マインド〜!』

『だからマインドの使い方がちょっと違うんだよキサマ』

『そういやお土産だけどさ、なんかお菓子の方がいい?』


 そこへ、今度はえみりからメッセージが飛んできた。


『了くんがいっぱい飲まされてヘロヘロになってまーす』


 添付された写真に写っていたのは、真っ赤な顔で机に突っ伏す梶野である。


「ウヒョ〜〜〜レアショット〜〜〜!!」


 梶野家の寝室に奇声が響いた。


『超感謝っす!!えみり先生、一生ついていきます!!』

『イヤですマインド』

 

 だからみんな、マインドの使い方がちょっと違うんだよなぁ。


 そして今度は乃亜から、梶野へとメッセージを送ってみた。


『カジさ〜ん、飲み過ぎには注意だよ〜。もうカジさん1人の体じゃないんだよ〜』


 ほんのり愛を滲ませたメッセージ。

 送って1分ほど経った頃、「あれ、なんか気持ち悪いセリフだな……」と自覚。


 消そうかと思ったが、すでに既読がついていた。そして返信が届く。


『誰のマインドなのよ、そのセリフ』

「ふぅ〜流石カジさん!マインドの使い方分かってるぅ〜!」


 勝手に盛り上がる乃亜。

 立て続けにメッセージを送り合っていると、孤独感は薄れた。


 しかしそれも束の間のこと。

 やり取りが終わると、再び寂しさに包まれる。やけに静かな梶野家が、余計に心を凍えさせた。


「早く、お盆終わらないかな……」


 自然と、本音が漏れた。


 久々の1人きりを体感したお盆。

 乃亜はある意味で貴重な時間を過ごしたのだった。


「……あれ、そういや日菜子さんは?」


 1人足りないことに気づく。

 皆と同じく帰省しているらしい日菜子。

 彼女とのやり取りは、温泉テーマパークをめぐる問答から停止していた。


「ヒナミチめ、連絡を怠るとは何事か」


 こんな憎まれ口を叩くほど、乃亜と日菜子は年の差はありながらも親密な関係だ。

 だからこそ、妙に気になった。


「日菜子さん、何してるのかなぁ」


 日菜子は今、同じ空の下で何を思い、何をしているのだろうか。

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