第36話 今カノ(仮)と元カノ(妄想)
吉水さんとは、もう会わない方がいい。
そう、梶野は言いたかった。
「吉水さんとは、もう……」
「え……?」
しかし、伝えるに至る前に、乃亜がその発言の不自然さに気づいた。
「なんで吉水さんって名前、知ってるの?」
梶野は過去2回、その名前を見聞きした。
しかしそのどちらとも、乃亜の記憶にはないのだ。
「それは……」
梶野はまず、どう誤魔化すか思案した。
だが、乃亜の強く真剣な瞳を前にして、ついには頭が巡らなくなった。
「……ごめん。実は、乃亜ちゃんに隠していたことがあるんだ」
そうして梶野は、告げた。
乃亜の記憶にはもうない、酔った時の発言。そしてつい先日、期せずして見てしまったスマホの通知。
乃亜の顔から徐々に血の気が引いていく。
梶野はどんな誹りも受け入れるつもりだ。
だからこそ説明を終え、乃亜がボロボロと落涙し始めるのも、想定内だった。
「ごめん、乃亜ちゃん。やっちゃいけないことをした。どう謝ればいいか……」
「っ……ちっ、違うっ……」
ただ、その涙の意味は、梶野の想像とは異なっていた。
「通知っ……見られてショックなんじゃなくてっ……アタシのウソをっ……」
「……ウソ?」
ウソとは、何か。
どのウソを指しているのか。梶野のウソか、乃亜のウソか。
「っ……ご、ごめんなさいっ……」
「乃亜ちゃん!」
乃亜はそのまま、走り去っていく。
追いかけなきゃダメだ。
直感的にそう思った梶野は、タクトと共に走り出す。
しかし、アラサーの体力の衰えとは無情なものだ。
「(高校生っ……速っ……!)」
みるみるうちに小さくなる乃亜の背中。
ついには梶野は、脇腹を抑えながら足を止める。
タクトだけがそのまま乃亜を追いかけようとし、リードに阻まれる。
「いや……体力なさすぎじゃないですか……?」といった顔で振り返るタクト。
そうして乃亜の背中を見つめ、小さくおすわりしていた。
◇◆◇◆
「それで、乃亜ちゃんが来なくなって3日になるわけだ?」
「はい……」
ソファに座り、犬を撫でながら見下ろす姪と、正座する叔父。
女王と下僕のような構図である。
「連絡はしてないの?」
「電話は……出てくれない。でもメッセージを送ったら、『少し頭を整理したいので、すみません』って返ってきた」
えみりは大きなため息をつく。
「なんでその吉水さんって人のこと、もっと早く乃亜ちゃんに聞かなかったの?パパ活の相手だって分かっていたんでしょ?」
「それは……スマホの通知を見ちゃったっていうのが、気持ち悪がられるかなって」
「故意じゃないなら別にいいでしょ」
「それに、そこまで踏み込んでいいのかなって。乃亜ちゃんにとっては良くしてくれた人らしいから……僕が干渉するのは、どうなんだろうなって」
「…………」
ジトっとした目で梶野を見るえみり。
呆れたような口調で告げる。
「こういうことでしょ。乃亜ちゃんがカノジョで、吉水さんが元カレだとして……」
「いやいやそんな……」
「いいから聞きなさい。カノジョのスマホに元カレから『会いたい』と連絡が来ました。今カレのあなたはどうするのが正解?」
「それは……カノジョがどうしたいか聞いた上で、できるだけ意見を尊重するかな」
「いや大人か!!」
「大人だよ……アラサーなんだよ……」
「違うでしょ!乃亜ちゃんくらいの年代だったら、一も二もなく止めてもらいたいに決まってるじゃん!」
「いや、そもそも別に僕は彼氏でも、吉水さんは元カレでもなくて……」
口答えをした途端、えみりはティッシュを1枚丸めて振りかぶる。
梶野の態度にかなり苛立っているようだ。
が、えみりは振り上げた腕を下ろしたかと思うと、脱力するようにうなだれる。
「了くんがどう思おうと勝手だけど、これだけは言えるよ。了くんが乃亜ちゃんに、吉水さんと会っちゃダメって言わなかったせいで、吉水さんはまたその気になっちゃったよ」
「え……」
「そりゃそうでしょ。プレゼントを直接受け取りに来てくれた時点で、まだ気があるって思っちゃったよ、吉水さん。もし了くんが忠告していれば、乃亜ちゃんも受け取りに行ってなかっただろうに。了くんがウダウダしてるせいで、また動き出しちゃったんだよ」
「…………」
えみりのストレートな意見に、梶野はぐうの音も出なかった。
「だいたい、2ヶ月も乃亜ちゃんのこと見てたら分かるでしょ。乃亜ちゃんは干渉されて嫌だと思うタイプじゃないよ」
「そうかなぁ……」
「了くんはもう一歩、人の心に踏み込めないよね。だからモテないんだよ」
「うぐ……」とボディブローを食らったような声を漏らす梶野。
そしてえみりは、何故かにこやかだ。
「やっぱり了くんは私がいないとダメだね」
「だなぁ……えみりが彼女だったらもっとしっかりしてたかもなぁ」
「うふふふ(ごめんね乃亜ちゃん。乃亜ちゃんが元カレと近づいてる間に、私も元カレと近づいちゃったかも)」
えみりの『元カノ感』を形成する一因に、梶野の無意識の思わせぶり発言があるのは言うまでもない。
「かわいそうなのはタクトだよ。あれから散歩行けてないんでしょ?」
「ちょうど今、仕事も立て込んでて、僕も連れて行けてないんだ」
「私が行ってあげたいけど、もう夜だから私は出歩けないし……」
タクトは「ほんとですよ。3日も散歩行ってませんよ。大変なことですよこれは」といった不満げな顔をしていた。
「早く乃亜ちゃんと仲直りしなきゃだよ」
「そうだな……」
今日も梶野家は、やけに静かなまま過ぎていった。
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