第2話 パパ活JKと社畜アラサーと犬

 これは、約24時間前のこと。


 陽も落ちていないうちに退社する梶野と、同僚の花野日菜子。

 しかしその表情は晴れやかでない。


「いくら退勤時間を早めても、残った仕事を家でやるんじゃ意味ないですよねぇ」

「まあねぇ」

「そもそも人的リソースが不足してるのに、私たちの作業効率のせいにして……」

「こらこら花野さん、会社の目の前でお上に噛み付くもんじゃないよ」


 安穏となだめる梶野。

 花野は不満げに頰を膨らませる。


「一番大変なのは梶野さんじゃないですか。店内広告のデザイン修正、5月いっぱいって言われたんですよね?」

「まぁ、うん」

「そもそもあの店、納期も無茶だし、注文も抽象的だしで……どうなんですっ?」

「まぁ、がんばるよ」

「……梶野さん、更に痩せてません?」

「……うん、3ヶ月で3キロ減」

「梶野さーん……このままじゃ消えて無くなっちゃいますよー……」


 花野は力なく首を垂れた。




 梶野が扉を開けた瞬間、タクトはまるで待ち構えていたかのように飛びついた。


「あーあー元気だなー、ただいま」


 タクトは尻尾を振りながら「今日どうすか??散歩ぶっかましますか??」といった瞳で梶野を見つめる。


「ごめんなタクト。今日も行けないよ、仕事いっぱいで……あー分かった分かった。じゃあそこのコンビニまでな」


 根気に負け、リードを手に取る。

 再び外に出たまさにその時、お隣の娘さんが自宅に入ろうとしていた。


「こんばんはー」

「あ、はい」


 彼女はそう言い家の中へ消えていく。

 派手な見た目とは裏腹に無機質な返事と表情。「今時の子だなぁ」と梶野は嘆息する。


 近いようで遠いお隣さん。

 きっと彼女とは今後も、一切関わりを持つことはないのだろう。


 そう思っていた、はずだった。

 24時間前までは。


 ◇◆◇◆


 その乃亜が今、リビングでティーカップを口元に傾けているのだから、人生分からないものである。


「犬の散歩、よろしく」


 先ほど梶野が提示した

 より詳細な説明を受けるため、乃亜は更に一歩、梶野の家に踏み込んでいた。


 口数は少ないが、怖がっている様子はもう無いらしい。


「この子の散歩に行けばいいってのは、分かったっす……でも、なんで?」


 タクトを撫でながら、乃亜が話す。


「仕事が大変でさ。最近散歩してやれなかったから、困ってたんだ」

「でも、まだ7時前ですよ?昨日もこれくらいの時間にいたでしょ?」

「仕事が残ってるから、家でもやらなきゃいけないんだ」


 乃亜は目を見開き、なぜか両手をあげる。全身で感情を表現するタイプらしい。


「家でも仕事?おじさん社畜ってヤツ?」

「いやまあ……前まではこんな忙しくなかったんだけど、上司が1人辞めちゃってね。僕がその穴を埋めるようになってから、仕事量も増えちゃって」

「え、出世したってこと?」

「まあ、繰り上げでだけど……」

「じゃあ部下に仕事押し付ければいいじゃん。偉いんでしょ?」

「……うーん」


 眩しすぎる純粋さ。

 梶野は焼けそうになる目を覆い隠した。


「でも理由は分かったっす。アタシのパパ活を告げ口しない代わりに、リアルに犬の散歩すればいいだけでしょ。なら安心だね」

「安心って?」

「いやーって何かの淫語かと思って、鬼くそビビっちゃった」

「何を言っているんだ君は」

「てっきり私が犬になるのかと」

「鬼くそ引くわ、その発想力」


 とにもかくにも脅迫の皮をかぶった契約は成立した。


「(ま、パパ活をするよりは健全だろう。十分怖い思いもしただろうし……4、5回散歩してもらったら解放しよう。それでもまだパパ活するようなら、もう知らん)」


 梶野の小さなお節介から始まった、乃亜との関係。

 その日、近いようで遠いお隣さんとの距離は、わずかに縮まった。


「ところで犬の散歩って何すればいいの?」

「えっ……」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る