宇宙レベルで好きなんです

野水はた

プロローグ

第1話 桜色にウケる

 収縮していく闇の中。


 四肢が離れていくような感覚に包まれながら彼女を見た。


 この手は届かないけど、声をかけることもできないけど。


 もう、救われることはないのだろうけど。


 これでいいのだ。


 夢も温もりも、後悔も全部手放して目を瞑る。


 どうか。


 どうか幸せに。

 

 きっと。


 ――これでいいのだ。






 ぽこっ、ぽこっ。


 カップに入ったケーキが盛り上がっていくのをぽけ~っと見つめていると、後ろの壁が叩かれて私の背中が揺れる。後頭部で叩き返してそれを返事とすると、重い腰を上げて鉄板を引っ張り出した。


 何重にもした手袋の代わりに、顔が熱気の犠牲になる。


「あつい」


 すぐさま冷房の効いた部屋に移動して、出来たてホヤホヤのカップケーキと私の体を冷ます。


「さむい」


 初雪はまだにしろ、紅葉も散り終えたこの頃はまだ室内も肌寒い。・・・・・・いや冷房の温度が19度になってるのが悪い。誰だいじったの。


 丁度いい温度を探しながら彷徨って、結局1番大きな銀のドアを開けた。


「遅い。どうせまたつまみ食いでもしてたんでしょ」

「してないって。実の娘の言うことを信じてくれないの?」

「実の娘だから信じられないのよ。ほら、早く手袋外して。お母さんこれから町内のビンゴ大会に出なきゃいけないんだから」


 お母さんが帽子を脱ぐと、スチールウールみたいな髪がもこ、と飛び出した。よく燃えそうだ。


 って、そんなことはどうでもよくって。


「えー! パンの成形は手伝うけど店番はやらないって約束だったじゃん! しかもビンゴ大会に出るからってなに!? 大人が仕事を抜けだす理由としてそれは果たして適当なのでしょうか!」

「そんだけ喋れたら大丈夫よ」


 はいこれ、と接客用の帽子を渡される。いや受け取ってはいないのだけど、無理やり頭の上に乗せられた。


「じゃあよろしく~」


 最初から私に押しつける魂胆だったらしく、テキパキと引き継ぎ業務を終わらせたお母さんはのれんをくぐって出て行ってしまった。


「もう」


 お母さんは田中菜々香たなか ななかという人間の絶望的コミュ力を楽観視している節がある。そりゃ実の親にくらいなら口は聞けるけど、それ以外の人となんてまともに会話をしたことがない。それなのに知らない人がわんさか商品を持ってきて、それに対して失礼のない対応をするだなんて、初期装備のまま最後のダンジョンへ行くようなものだ。


 そんな縛りプレイ、ゲーム実況者くらいしかしないと思う。


「最悪だ・・・・・・」


 店内を歩き回りながら、自分の焼いたパンを眺めて呟いた。


 ここ『田中ベーカリー』は私の家が経営するパン屋さんだ。物寂しい町の端にある、物寂しい老舗。外装も内装もボロっちくて、前なんて看板が風で飛んでいったこともある。


 そんな事情もあってお客さんの出入りが悪いのが不幸中の幸いか。


 今も店内には私だけしかいないし、閉店までこの調子でいけばいいんだけど。あ、いいこと思いついた。鍵閉めよっかな。カーテンも下ろせば誰も来ないでしょ。


 ふと浮かんだ名案に突き動かされ、出口の鍵に手をかけた。


「およ?」


 ほぼそれと同時。頭上から聞こえた声に顔を上げる。


「もしかして、もう閉まっちゃうカンジ?」


 ガラスの向こうに、桜が咲いていた。


 ああ、いや。もうじき雪が降るこの季節に桜は咲かない。ただ、目の前で揺れた薄桃色がそう思わせたのだ。


「い、いぇ。どぞ」


 一度閉めた鍵を回して、扉を開ける。


「どもー」


 その気さくな挨拶の仕方に、私と同じ学校の制服。ウェーブのかかった栗色の髪は毛先に近づくにつれ薄桃色に染まっている。そして、私の二回りほども大きな、胸とお尻。見比べることすら不要である、圧倒的格差。


 そんな見覚えのある彼女は、確か。


 同じクラスの浅倉咲良あさくら さくらさんだ。


 教室でも彼女の元気な声はよく耳にする。私とは正反対の、生粋の陽キャさん。そんな印象だ。当然私のような陰キャとは関わる機会も必要もなく、たった今のが初会話となる。


 あっちも私に気付いたらしく「あ」と視線を滑り込ませてきた。


「ど、ども」


 さっきの挨拶と同じセリフのはずなのに、私のども、は妙にぎこちなかった。


「あ、あー! 同じクラスの、えっと。・・・・・・佐藤! 佐藤じゃん! 久しぶり! 元気してた?」

「えっと、田中です」

「マジか」


 どうやら、私の顔は見覚えあるけど名前までは知らない、そんなようだった。まぁ、私なんて学校じゃ全然目立たないし当然っちゃ当然なんだけど。


 確率およそ数十万分の一の賭けに失敗した浅倉さんはバツの悪そうに頬をかいた。


「ごめん。名前まで覚えてなかったわ。田中、田中ね。おっけ、もうバッチシあたまにインポートしたから」


 それを言うならインプットでは?


「てか、そっか。だから田中ベーカリーなのか。あー理解理解! でもあたしお使いとかでケッコーここ来るんだけど田中のこと見たことなかったよ?」

「そ、そっか! 私あんまり接客はしなくて、いつも後ろに引っ込んでるから。今日はたまたま、お母さんに任せられて、あ、任せられたんですよー! いらっしゃいませ!」

「そうなん? ウケるね」

「う、うけ」


 ウケられてしまった。


 けど、彼女の笑う顔はどこか柔らかくて、髪の色や立ち振る舞いから少しだけ怖い印象を抱いていた私の心情は現在進行形で回れ右をしていた。


「あたしの家すぐそこなんだー。ほら、八百屋さんの向かいに青い家あるっしょ? 昔から住んでたのに、今の今まで田中に会わないって逆に奇跡じゃね?」

「あ、あそこなんだ! ウミウシみたいな色で綺麗だなーって前から思ってた!」

「う、ウミウシ?」


 浅倉さんが怪訝な顔をして「あー」と呟くと、そこで会話が終わった。


 初めての会話にしては上出来なのか、そもそもやっぱり私のコミュニケーション能力が低いのか。指標とするサンプルすらないのでそれも分からずじまいだった。


 それから浅倉さんはカスタードデニッシュ、あんぱん、マフィンを二つずつ買って店を出た。


 当然、じゃあ明日学校で~みたいな会話もなく、普通に店員とお客として事務的な受け答えしかしなかった。


 浅倉さんの姿が見えなくなったのを確認すると、私は急いで店の外に閉店の札を下げにいき、鍵を閉めた。


 最後にカーテンを下ろしながら思う。


 ウミウシって言ってもいろんな色の種類がいるから、例えてもわかりずらかったのでは。


 うーん、と唸って。


 私は次のに取りかかった。

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