なんでもない日々

夜依

なんでもない日々 1/2

 新型の感染症がパンデミックと騒がれるようになって一年と半年ほど。何度目かの緊急事態宣言のおかげで、進学後二度目の夏も家でのんびりと過ごすことになりそうだ。

 もっとも、それは期末試験の代替処置としてやって来たレポートの軍勢を片付けてからなのだが。


「コウも一緒に飲もうよ」


 パソコンで黙々とレポートを書いていると、そんな甘い誘惑と共に首筋を冷たさが襲う。首筋に当てられたのは、冷蔵庫で冷えていた缶チューハイ。もうアルコールが回ってきているのか、猫撫で気味の声が耳元に残る。

 必修の単位をかけた一大レポートを仕上げているというのに、そんなことはお構いなし。人生のほとんどを共にしている幼馴染でなければ、今すぐ部屋から追い出していたに違いない。


「レポート書いてるのが見えないのかよ」

「いいじゃん、飲みながらでも書けるって」

「そう言って中間レポート出しそびれたアホは誰だっけか」


 そう言うと彼女、水樹みずき風香ふうかは、冷蔵庫から缶をもう一本持ってきてプルタブを引くと、そのまま勢いよく口にした。

 見事な飲みっぷりだとでも言って、手を叩くのが正解だろうか。


「それ俺のなんだけど」

「あんたが余計なこと言うからでしょ」

「さようですか」


 レポートが片付いたら楽しむつもりだった酒とつまみが、目の前でドンドンと消費されていく。まあ、今度の風香が買い出しに行った時には補充されるだろうから、勝手に飲んだことに対してとやかく言うつもりはない。

 ただ、二人分を想定して買ってきたそれを一人で平らげる幼馴染の姿を見ていると「バカ娘をよろしくね」なんて言葉と共に街を出るのを見送ってくれたおばさんに申し訳なくなってくる。親同士が知り合いで、記憶も無いくらい幼い頃からの付き合いがあり、その溺愛っぷりも良く知っているからなおさらだ。

 もちろんながら、それだけの付き合いがあるので、周りからの邪推という異性の幼馴染持ちが通る道は当然ながら経験済みである。お互いの受験先を隠していたのに、受験会場で顔を合わせた高校受験以降は特に酷かった。他人のフリでもすればいいものを、自転車通学の俺を足として使っていたから、邪推は治まることがなかった。

 閑話休題。

 飲み食いをする風香に、ほどほどにしないと後悔することになるぞ、とだけ言って、視線をパソコンに戻す。

 後ろから「余計なお世話だー」という声が聞こえた気がするが、まあ、気にしないでいいだろう。


 * * *


 勢いよくエンターキーを叩けば、画面に提出済みの四文字が映った。


「あー、ようやく夏休みだ」


 途中からすっかり集中していて、気づかなかったが時刻は午前2時を回ったところ。親元を離れた大学生らしく、しっかりと昼夜逆転した生活リズムのおかげで未だに眠気はやってこない。それでも何かをする気力はないので、ベッドへと向かえば無防備に眠る幼馴染の姿があった。

 高校での周りからのあれこれも、進学すれば離れ離れになって終わりだと思っていた。だから、引っ越しの準備中に同じ大学へ進学すると聞かされた時は耳を疑った。なんとなく都内に憧れて、良く調べもせずに受けた大学は多摩川よりも向こう側、いわゆる都下と呼ばれるところに位置している。豊かな自然と閑静な住宅街が特徴的で、憧れていたような都内ではなかった。都内への憧れからそこを選ぶ莫迦が身近にもう一人とは笑えない。

 口元に僅かに涎を溢しながら眠るその莫迦こと風香は、多少身体を揺すったくらいでは起きる気配もない。一応、俺も男なのだが、全く意識されていないらしい。

 口を開けば莫迦なことばかりが飛び出すが、客観的に見ればそれなりに整った容姿と言えるであろう彼女と幼き頃のように一緒に寝れるかと言われれば答えは否。かといって、無理に起こして、20分ほど歩いた先にある彼女の部屋まで連れていくのもなかなかにしんどい。


「床しかないか」


 進学後、もう何度目になるかもわからない言葉を口にして、その辺に転がるクッションを枕代わりに、今日も床で横になる。

 たしか、最初は履修登録の最終日だった。

 時勢と睨み合った結果、入学式は中止。大学構内へは立ち入れず、同級生の顔も知らぬままに始まった大学生活は、先輩の力も借りることが出来ないとかいう狂った難易度で、送られてくる資料をひたすら読み解いて行う、自力での履修登録から始まった。

 唐突にかかってきた電話に出れば、涙声で助けてと言われて焦ったのを未だによく覚えている。何事かと慌てて部屋を飛び出せば、玄関前でパソコン片手に泣きつかれ、それを期限ギリギリ、日が変わる直前まで手伝うこととなった。提出と共に寝落ちされた時はどうしてやろうかと悩んだのも今となってはいい思い出だ。

 以来、定期的に入り浸っては、泊っていくので、この部屋は実家にある俺の部屋のように、彼女のものが両手でも数えきれないほどに置かれている。

 そんな景色を眺めながら、目を閉じる。朝になれば、二日酔いに苦しむ幼馴染の面倒も見なければいけないだろうし。

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