れきけん

秋山如雪

第1話 「れきけん」へようこそ

 東京から、親の仕事の都合で山梨県甲府市に引っ越してきた中学最後の春休み。


 俺は、引っ越しの荷物をまとめた後、自転車で、とある場所へ向かった。


 武田神社


 そこは、かつて躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたと呼ばれ、戦国時代の名将、武田信玄の拠点になっていた場所で、今や甲府市の観光名所になっている。


 そこで、俺は彼女と出会った。それは、今思うと運命的な出会いだった、のかもしれないが、その後の一連の出来事のきっかけとなるものだった。


 武田神社に参拝し、一通り神社周辺を見た後、宝物殿があることを知り、何の気なしに、そこに入ってみた。

 入館料も安く、歴史にはそれなりに興味があったからだ。


 ここには、全国の武田氏関係者から、ゆかりの宝物が奉納されており、武田家にまつわる、様々な物が置かれてある。


 屏風びょうぶ軍扇ぐんせん、刀、軍旗ぐんき甲冑かっちゅうなど、それこそ貴重な物ばかりだ。


 そんな中、かの有名な軍旗「孫子の旗(風林火山の旗)」の前で、それを熱心に眺める、一人の女の子がいた。


 シャギーの入った、ショートボブが妙に似合う、身長160センチくらいの女の子だった。


 後ろ姿だったから、表情まではわからない。


 ただ、熱心に、食い入るように、軍旗を見つめるその姿が印象に残った。


 一通り、見て回り、帰ろうとすると、その子はまだいた。


 間もなく閉館時間になるため、すでに周りの客はみんな帰っているが、その娘は、まだ身じろぎもせず、その軍旗を見つめていた。


 気がついた時には、声をかけていた。

「あの。もう閉館時間ですよ」


 少女は聞こえないようだった。

 あまりにも集中しすぎて、周りが見えてないのだろう。


「あの!」


 もう一度、大きめに声をかけると。

「あ、はい」

 驚いてこっちを見た。


 第一印象としては、まず目つきが悪い。

 人を睨むような、少し釣り目がちな眼だった。

 ただ、それ以外は均整の取れた顔立ちをしていたし、スタイルもそこそこいいし、胸も平均的にあるようだ。

 

「もう閉館時間ですよ」

 もう一度言うと、彼女は大袈裟に驚き、


「わ、もうこんな時間か。帰らなきゃ」

 そう言って、礼も言わず、さっさと宝物殿から出ていった。


 初対面から無礼な奴だと思ったが。



 その後、武田神社の敷地内をぶらぶらして、自転車が置いてあるところまで戻ろうと思ったら。


 境内にあるベンチに、先程の娘が座って、子供のように熱心に、武田神社宝物殿のパンフレットを眺めていた。


 ふと、顔を上げた彼女と目が合ってしまった。


 すると、

「あ、さっきの。ありがとね」

 無礼と思っていたが、意外に明るい声をかけてきた。


「いえ」

 短くそう言って、立ち去ろうとしたのだが。


「ねえ、君も武田信玄に興味があるの?」

「ええ、まあ。それなりに」


 実際、彼女のように熱烈に興味があるわけではないのだが、そう答えたのが、運の尽きだった。


「ホント! 私も大好きなんだ。特に、『武田二十四将』なんてカッコいいよね!」

 やたらと、暑苦しく、少女は興奮気味に叫ぶ。

 なお、武田二十四将とは、武田信玄に仕えた、有名な24人の武将で、屏風にも描かれている。


「私、高坂こうさかいろは。近くの躑躅ヶ崎つつじがさき高校に通ってるの。私の先祖は、あの高坂弾正昌信こうさかだんじょうまさのぶって言われてるわ」


 そう自己紹介してきたが、本当かどうか怪しいものだ。というか、なかなかマニアックなネタを引っ張ってくるな、彼女は。


 高坂弾正昌信というのは、武田四天王の一人に数えられる戦国武将だ。


 ちなみに、武田四天王というのは、戦国大名、武田信玄の有名な4人の重臣、山県昌景やまがたまさかげ内藤昌豊ないとうまさとよ馬場信春ばばのぶはる、そして高坂昌信と言われている。


 そんなの、某歴史シミュレーションゲームをやった奴しかわからんだろうが。

 いくらここが、かつて甲斐国かいのくにって呼ばれていたとしても。

 みんな、武田信玄くらいしか知らんだろうに。


「君は?」

鹿之助しかのすけです。今年の春からその躑躅ヶ崎高校に通います」

 俺が自己紹介する。


 すると、

「鹿之助くんか! カッコいい名前だね。あの名将、鹿と同じ名前なんて、素敵だなあ」

 彼女は大袈裟に喜びを表現していた。


 そう。俺の名前は「鹿之助」。よく、戦国武将の「鹿之助」と間違えられるが、両親は一体どういう気持ちで、この名前をつけたのか、よくわからない。


 ちなみに、山中鹿之助とは、戦国時代の武将で、中国地方の尼子あまご氏に仕えた名将として知られ、何度も主家が滅亡の危機に瀕しながらも、最期まで忠誠を尽くした武将だ。

 「願わくば我に七難八苦しちなんはっくを与えたまえ」という名言でも有名だ。


 まあ、名前だけとはいえ、年頃の女子に「カッコいい」と言われ、しかも下の名前で呼ばれるのは、気恥ずかしくもあり、また嬉しくもあったのだが。


「しかも、同じ高校なんだね。私、3年生だけど、歴史研究部の部長もやってるんだ。よろしくね」

 目つきが悪い割には、明るい表情で、無邪気に話す少女だった。


「よろしくお願いします」

 そう、これが俺と彼女との「出会い」だった。



 山梨県立甲府躑躅ヶ崎高校。


 100年以上の歴史がある古い高校だ。今も存在する武田家の館跡がある、躑躅ヶ崎館跡。現在は武田神社が建っているその場所から、およそ1キロほど離れた、武田三丁目にこの高校はあり、武田神社へと続く、武田通りに面している。


 まさに武田信玄ゆかりの地にほど近い場所だった。


 この高校に俺が入学してから、この物語は、さらに加速して、動き始める。


 俺、山本鹿之助は、どういうわけか、小さい頃から、時代劇を見たり、某戦国時代の歴史シミュレーションゲームをやったりしていたから、それなりに歴史好きには成長してしまった。

 もっとも、俺の歴史の知識は、「薄く広い」程度なのだが。


 そして、この高校に入学してから、まだ3日しか経っていない、ある日の放課後。


 友人で、同じ中学出身で、俺と同じく親の都合で、山梨県に引っ越してきた、本郷真之ほんごうさねゆき。運よくクラスメートになっていたから、放課後の教室で、いつものようにダベっていた時だった。

 本郷は、メガネをかけた、見た目はオタクっぽいひ弱な男に見えるが、自分の意見をズバズバ言う、ちょっと男らしいところがある奴だ。まあ、かなりのお調子者ではあるが。


 教室の前扉付近から、


「山本くん。君にお客さんだよ」


 と、クラスメートの女子が呼んでいる。

 ていうか、俺はその娘の名前すら知らないんだけど。


 とりあえず、行ってみると、先日、武田神社で出会った、あの女の子がいた。


 その娘は、いきなり。

「おお、鹿之助くん。あの時以来だね、久しぶり」

 俺の下の名前を気軽に呼んで、笑顔を見せてきた。


「いえ、鹿之助ですが」

 よく間違えられるから、俺は慣れていたが、とりあえず訂正しておく。


 セーラー服のリボンの色で、彼女が改めて3年生とわかり、一応敬語を使う。

 我が校では、1年生は赤、2年生は青、3年生は緑色のリボンをつけている。なお、男子はネクタイの色で同様に判別される。


「ああ、ごめんごめん。山本くんか」


 一応、謝った後、彼女は続けた。


「でも、本当にいたんだね! 君、歴史に興味ない? っていうか、興味あるでしょ、武田神社にいたんだから」

 目つきの悪い瞳ながら、好奇心旺盛な眼差しを向け、少女は食いついてくる。


 なんなんだ、この変な女。いきなり図々しい。

 改めて、話してみた印象がそれだった。

 俺は、面食らったが、ちょっと考えた後、

「まあ、歴史にはそれなりに興味はありますが……」

 一応、そう答えておいた。


 まあ、彼女がそれなりに可愛かったから、無碍むげに断るのもイヤだったから、という気持ちもあったが。


「そうなんだ。じゃ、是非、我が部に来て! とりえあず見学だけでもいいからさ」

 興奮気味にまくし立てる彼女。


 俺は少し考えてから。

「ちょっと待って下さい」

 そう言って、一旦、彼女を置いて、本郷の元へ戻った。


 机で携帯アプリゲームをやっていた彼に、

「なあ、本郷。変な女が来たんだけど、お前、一緒に来てくれない?」

 そう言うと、携帯から目をそらさずに奴は答えた。

「変な女? どんなの?」

「なんだか、いきなり歴史に興味ない? とか言ってきた」


「ああ、それ、多分『高坂こうさかいろは』先輩じゃね?」

 それは知ってるが。というか何でこいつは知ってるのか。そっちの方に驚いたが。

「なんでお前、知ってるの?」


「だって、有名だから」

 そんな簡単な回答じゃさっぱりわからない。

「どゆこと?」

「高坂いろは。我が校でも有数の『歴史オタク』らしいよ。何でも、部活動で、独自に調べて、提唱した学説が、地元の地方新聞に載ったとか」

「マジで!」


 新聞にまで載るとは、凄い。

 が、普段新聞なんて、ほとんど読まない俺が知るはずもない。


「ちょっとー、山本くん? まだあ?」

 教室の前扉から、その高坂いろはがイラつく声が聞こえてくる。


「とりあえず、お前も一緒に来てくれ」

 袖を掴むが、本郷は、

「イヤだよ、めんどくさい。お前一人で行け」

 その手を振りほどいた。


「頼むよ。後でジュース1本、おごってやるから」

 仕方がないからその一言を言うと、

「ったく、しゃーねーな。絶対奢れよ。あと、俺はついて行くだけだからな」

 と渋々了承してくれた。


 持つべき者は友だ。


 再び、本郷を連れて、彼女の元に向かうと、

「おっそーい。何してたの?」

 と、ご立腹だった。


「すいません。この本郷も歴史に興味あるらしく、一緒に行くと言ってます」

 俺が言うと、

「な、お前。俺はそんなこと一言も……」

 しかし、言い終わる前に、興奮気味の彼女の言葉に遮られた。


「そうなんだ! よし、じゃあ二人ともついて来て」

 渋々ついて行く俺たち。


「山本。貸しはジュース2本な」

 という本郷の声が怖い。1本から2本に増えてるし。



 俺たちは、まだ慣れない校舎の西側にある、文科系の部室棟に連れていかれた。

 

 やがて、彼女の足が部室棟2階の真ん中あたりで止まった。


 表札には「歴史研究部」と書かれてあった。

 そもそも我が校にそんな部活があるなんて、知らなかった。

 いや、それ以前に入学してからまだ1週間も経ってない。


 ロクに部活動見学もしてなかった。


「新入生連れてきたよ」

 元気よく扉を開け、彼女は俺たちを手招きした。


 中は、中央に事務的な長いテーブル、その周囲にパイプ椅子が置かれ、後は本棚と急須と電気ポッド、ホワイトボードだけがある、なんかよくわからない地味な部屋だった。


 ただ、本棚には、やたらと難しそうな歴史文献みたいな本が置かれてあったり、たまに歴史小説っぽい小説が挟まっているようだった。


 そして、パイプ椅子には、二人の女子が座っていた。


 向かって右側。まず目を引くのがその長身。170センチはありそうだ。女子にしては高い。胸も大きく、足も長い。

 ただ、その表情がなんか暗い。というか怖い。セミロングの前髪の先が、目を隠すように覆っているのが特徴だ。

 他人を信用していないような、暗く、冷たいような目つきだった。

 というより、なんか若干メンヘラ臭がする娘だった。


「あ、ども」

 それだけ言って、読んでいる小説に目を落とした。なんだか近寄りがたい。


 一方、その向かい側にいた女は。背丈は平均か、その少し下くらい。パーマのかかったロングヘア―が目立つ、ちょっとお嬢様っぽい雰囲気の、清楚に見える娘だった。

 スタイル抜群で、胸は平均的な方か。

 顔立ちも割と整っていて、表情も比較的明るく見える。


「はじめまして」


 彼女は丁寧に頭を下げていた。


「紹介するね。3年で私の親友の、楢崎蛍ならさきほたる。こっちは2年の藤原京ふじわらみやこちゃん」


 高坂先輩はそう説明するが。


「で、ここ、具体的には何、やってるんですか?」

 当然の質問をぶつけてみる。


 俺たちを余ったパイプ椅子に座らせ、藤原さんにお茶を淹れるように指示してから、高坂先輩は、おもむろに語り始めた。


「ここは、歴史研究部。みんなは略して『歴研れきけん』って呼んでるけどね。活動内容は、歴史の文献を見たり、フィールドワークとして、実際に史跡に行ってみたり、時には論文を書いて発表したり。ちゃんと顧問の先生もいるし、生徒会からも認められてるよ」


 聞く限りじゃ、まともそうだが。

 ただ、最初の「歴史の文献を見たり」ってところが、引っかかった。


「文献って、実際に見るってことですか? どこでそんなもの見るんです?」


「大学が近くにあるでしょ。そこの図書館に出入りできるように、顧問の先生が取り計らってくれてるし、市内の図書館に行ったり、かなあ。あと、最近だとネットでも落ちてるし」

 高坂先輩は、目つきが悪い割には、割と良心的に説明してくれるのだった。


 近くにある大学、とは、この高校の近くにある国立の甲府大学のことだろう。


 だが、正直、俺は面倒だと思ってしまった。

 フィールドワークはともかく、文献を見るとか、もう勉強と変わらない。

 なんのための、放課後だ。俺は、遊びたいのだ。


「でも、文献を見るとか、面倒ですね。俺はパスします」

 そう答えると、

「じゃあ、俺も」

 隣の本郷も釣られたのか、そう答えていた。


 ところが。

「ええっ。なんで、なんで、なんで。せっかく『鹿之助』くんなんて、カッコいい名前もらってるのに、もったいないよ!」

 子供が駄々をこねるように、高坂先輩は不満をぶちまけていた。


 いや、まあ、「カッコいい」と言われて、男として悪い気はしないが。そもそも名前しか褒められてないしな。


「名前は関係ないじゃないですか。俺は文献見るとか、面倒なこと、嫌いなんですよ。フィールドワークならまだ面白そうですが」


 そう口走ったのが、失敗だった。

 そこに彼女は食いついてきた。


「フィールドワークならいいの? じゃあ、文献は私たちが見るよ。君たちは、足を使ってくれればいいよ。それに、ウチ、女子ばかりだからさあ。重い文献とか持つの疲れるんだよねえ」


 要は、この娘、走り回れる便利な部下とか、荷物持ちが欲しいだけなんだな。

 やっぱり断ろう。


 と、思っていたら、

「わかりました、先輩! 俺が重い物でも何でも持ってあげます!」

 隣の本郷が調子に乗っていた。

 こいつは、昔からお調子者だからなあ。

 どうせ、高坂先輩がそこそこ可愛いから、そこに惹かれたに違いない。


「わあ! ありがとう、本郷くん!」

 有頂天になって喜ぶ高坂先輩と、本郷。

 あいつ、すっかりほだされたな。


「で、君はどうする?」

 当然のように、俺のところに詰め寄って来る高坂先輩。


 何だか、周りの視線が痛い。

 ここで俺だけ断るのも、なんか悪い気がする。

 だが、俺はまだ食い下がってみることにした。


「でも、歴史なんて、所詮、授業で勉強するじゃないですか? 何が違うんですか?」


 ところが、この俺の何気ない質問が、逆に先輩の心に火をつけてしまうのだった。


「全然違うよ! 学校の授業なんて、表面的なことしかやらないでしょ。大体、歴史年号を覚えたり、事件の名前を覚えたり。学校の歴史の授業や教科書なんて、ホンっとクソだよ! 歴史ってのはロマンなの。その背景にある物語、事実を知ってこそ面白いものなんだよ」

 高坂先輩は、目を怒らせるように、矢継ぎ早に言葉を吐き出していた。ようやく運ばれてきた、お茶がひっくり返りそうな勢いだった。

 クソとまで言うとは思わなかったが。

 見た目に反して、結構熱い人だと思った。


 さすがに失礼な言い方だったか。

「すいません」

「わかればいいけどさ。で、どうする? 君も一緒に歴史探索してみない? 色々と発見はあると思うよ」


 仕方なく、俺は腹をくくった。


「わかりました。入りましょう」


 まあ、ぶっちゃけ、俺には高校生活で何をやりたい、という強い希望がなかったのと、歴史自体にはそこそこ興味があったからだが。


「ありがとう!」

 大袈裟に喜ぶ高坂先輩。


「よろしくお願いしまーす」

 と軽い口調で、笑顔を見せる藤原先輩に対し、


「と、とりあえず、よろ、よろしく」

 何故かどもりながら、挙動不審な瞳を向けて挨拶する楢崎先輩が、すごく不気味だった。


 一通り挨拶を終えると、高坂先輩は、俺のところに来て、

「ねえ。君のこと、『鹿之助様』って呼んでいい?」

 と上目遣いに聞いてきた。


 可愛いけど、先輩が後輩に「様」使うか、普通。ていうか、この娘、俺のことを「山中鹿之助」と重ねて、悦に浸りたいだけじゃないかと思った。


 というか、現実にそんなことになったら、後輩の俺が先輩に「様」をつけさせている、と変な噂が立ちそうで、嫌だ。


「勘弁して下さい。なんで、先輩が後輩に『様』つけるんですか?」

「えー。じゃあ、やっぱり『鹿之助』くん。山本くんだと、『山本勘助やまもとかんすけ』みたいでカッコいいけど、山本って、ありふれてるし、やっぱ『鹿之助』様と同じ名前がカッコいいから」

 口を膨らませながら、可愛らしく言う彼女だが、やはり単に「鹿之助」と呼びたいだけらしい。


 この娘、絶対、「戦国マニア」だな。

 なお、山本勘助は、武田信玄の伝説的な軍師として有名だ。


「まあ、いいですけど」

 渋々ながら頷くと、


「やった! じゃあ、鹿之助くん、改めてよろしくね」

 明るい笑顔で嬉しそうに目を細める彼女。


 ヤバい、ちょっと可愛い、と思ってしまった。

 近くでやり取りを見ていた、本郷は複雑な表情をしていたが。恐らく、俺だけ、下の名前で呼ばれるからだろう。


 ということで、俺たちは「歴史研究部」、通称「歴研」に入部することになったわけだが。


 紹介された時は音声だけだったから、知らなかったが、『楢崎蛍』先輩の苗字、楢崎は、確か幕末の人気志士、坂本龍馬の奥さんのの元の姓と同じだった気がする。

 あと、『藤原京』先輩の名前、まんま藤原京ふじわらきょうじゃないか。

 確か、平城京へいじょうきょうが置かれる前の、日本の都だった気がする。


 不覚にもそんなことに気づいてしまう俺だった。



 その後、部室で先輩たちと話し込んでから、その日、俺は真っすぐ帰宅した。

 ある人に、聞きたいことがあったのだ。


 そして、その人は既に帰宅していた。


 2階に上り、ドアをノックする。

「はいはい」


 明るい声と共に、やがて、部屋のドアが開かれ、そこにいたのは、我が姉だった。

 ちょうど、この姉も同じ高校の3年生。こいつに聞くのが一番早い。

 だが、


「ああ、鹿ちゃん、おかえり」

 いきなりその一言か。


 俺はその「鹿ちゃん」って呼び方が嫌いなのだ。

 なんだか、まるで奈良公園で観光客にエサをねだっている奴らみたいじゃないか。

 まあ、今さら姉に文句を言ったところで、どうせ変わらないから諦めているが。


 とりあえず、姉の部屋に入れてもらう。


 姉はタンクトップ姿で、下に部屋着用のスウェットを履いて、麦茶を飲んでいた。長い髪を、後ろで簡単に縛っている。

 まだ4月初めだというのに、寒くないのか、という格好だった。


 俺の姉、山本ももは、2歳年上、同じ学校の高校3年生で、168センチの長身、ロングヘア、おまけに弟の俺から見てもスタイルがいいし、顔もまあ悪くはない。

 性格も明るいし、お茶目なところがある。

 だからなのか、男にモテた。

 男子から告白されることなど、今まで何回もあったらしい。


 が、何故か滅多に付き合おうとしない。

 過去に何回か男がいた形跡はあったが、ことごとく長続きしなかった。

 確か、最長でも3か月、一番ひどい時は1日で別れたなんてのもあった。1日って、男の俺からしたら、いくらなんでもヒドすぎだろうと思うが。相手がかわいそうだ。


 ただ、俺が思うに、姉は弟離れができないのだ。

 小さい頃から両親が忙しかったから、姉が何かと俺の面倒を見てくれた。


 だから、母親代わりみたいなところがある。俺の世話の焼いている期間が長すぎたのだ。

 実際、今も朝晩、飯をほとんど作ってくれるし、家事もやってくれるから、ある意味、俺は頭が上がらない。


 両親も、結局、姉が何でもやってくれるから、余計な心配をせずに、仕事に没頭していて、毎晩帰るのが遅い。


 長くなったが、姉にあのことを聞こう。


 とりあえず、聞きたいことがあると言って、部屋に入る。座るところがないから、ベッドに腰かけて。

「なあ、姉ちゃん。3年に高坂いろはって娘がいるんだけど、知ってる?」


 すると、姉は、

「ああ、知ってる知ってる。私もまだ転校したばかりだけど、噂になってた。確か歴女のでしょ、今流行りの。なんで? まさか鹿ちゃん、その娘と付き合う気なの?」

 と何故か、不満げに口元を歪めた。

「いやいや、今日知り合ったばっかだし」


「なーんだ」

 つまらなさそうにそっぽを向く姉。どっちなんだ、付き合って欲しくないのか、欲しいのか。

「でもね。あの娘はやめた方がいいよ」

 いきなり真面目な顔になった姉は、諭すようにこう言ってきた。


「なんで?」

「あの娘、かなりの変わり者だからね」

「そうなの? どこが? 俺には普通に見えたけど」


「行動力がハンパないらしいのよ。歴史の調査のためだ、って言っていきなり旧家に押しかけて顰蹙ひんしゅく買ったり、『信玄公祭り』に乱入したり、あちこちで騒動起こしてるから、あたしらの間じゃ有名だね」

 意外だった。


 話した限りじゃ良識的な人に見えたのに。

 まあ、一部熱いところはあったが。


 なお、信玄公祭りってのは、毎年4月12日、つまり武田信玄公の命日の前後に行われる祭りのことだ。


 そういえば、今週末が4月12日だ。なんか嫌な予感がしてきた。


「マジで?」

「うん、マジで。あたしは面識ないけど、変わり者ってことで、評判だね」


 俺が、意外だ、と思い考え込んだが、2歳年上で、同学年の姉が言うんだから、本当かもしれない、と思った。

 姉は、俺の顔を覗き込みながら、


「なに、鹿ちゃん、もしかして、『歴研』に入ったの?」

 と、突っ込んで質問してきた。

 さすがに姉だ。鋭い。


「実はそうなんだ」


 そう言うと。


「あちゃー、遅かったか」

 大袈裟に残念がる姉。


「まあ、鹿ちゃん、昔から歴史とか好きだったもんね。仕方ないか」

 そう言って、麦茶を傾けた。

「あたしは全然、興味ないけど、今、流行ってるもんね。歴女向けのアプリとか、いくらでもあるし」

「ああ、知ってる」

 一応、家族だし、付き合いの長い姉の趣味のことなどわかっている。

 姉は、どちらかというと、音楽や美術に興味を示していて、そっち方面に進みたいらしい。


「気をつけてね。もし、あの女に何か変なことされたら、すぐに姉ちゃんに言うんだよ」

 相変わらず過保護な姉は、心配そうに俺のことを眺めて、そう言った。

「ああ、わかってる」


 姉は、仕事人間で、あまり、というかほとんど家庭を顧みなかった両親に代わり、俺の世話をずっと見てきてくれたから、あまり言いたくないけど、たまに過保護すぎて、うっとうしいと思うことがあるくらいだ。

 早い話が、心配性なのだ。特に俺に対しては、過剰なくらい心配するところがある。


 だからなんだろうな。

 いまだに、まともな恋人ができないのも。


 そう思うと、この姉に対し、申し訳ない気持ちもある。


 こうして、不安な気持ちを残したまま、俺の「歴史研究部」での活動がスタートした。

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