第339話 今なら受け止めてくれる
リス型召喚獣たちの働きは目覚ましいものだった。
小さな体躯に見合わないパワフルさを武器に重いものを右へ左へ、軽いものも傷ひとつ付けず移動させ棚の汚れを拭き取り、手助けを求める声があれば即馳せ参じる。
ニルヴァーレが一旦戻っても彼らはきちんと仕事をこなしていた。
それを伊織が褒めたのを聞いていたリーヴァが「これは私の仕事でもあります」と無表情ながら張り合い――結果、お互い良い刺激になったのか更にペースアップしたのだから侮れない。
「ああ、そっちの地層はかなり古いからこっちから頼むよリスたち!」
「ついに地層と呼び始めたか、ナスカテスラよ……」
ヨルシャミが思わずそう呟いたが、自虐でも本気の喩えでも本当に地層じみているので間違いではなかった。
そこへ大きな箱を持ったバルドが顔を覗かせる。
「な、なあなあ、これ引くほど重いんだけど何が入ってんだ……!?」
「ああ、それは昔母さんが狩りの時に使ってた鎧だよ! 珍しく回復魔法の使えない前衛特化型のベルクエルフだったんだ、懐かしいな!」
「こんな重いの着て戦ってたのか!?」
「俺様と姉さんの体格を見れば何となく察せるだろう? 父さんも大きかったなぁ、なんでステラはあんなに小さいんだか! まあ力は有り余っているようだが!」
いつの間にか真横にいたステラリカが「その有り余ってる力を貸しましょうか? 入魂形式で」と力を込めた手の平を見せて言った。伊織は悲劇の気配を感じてバルドに「て、手伝うよ」と近寄ってその場から離れる。
「……定期的にあんな感じになってるけど、ギスギスはしないのが根っ子は仲の良い家族だよなぁ」
背中でナスカテスラのくぐもった声を聞きながらバルドがぽつりと言う。
「うん、……なんか、僕は物心ついた時から気安い関係の人がいなかったから少し羨ましいな」
「ん? 静夏は?」
「えっと、母さんも気安くはあったけど、なんというか……ああいう接し方は怖くてできなかったんだ」
怖い? とバルドは首を傾げる。
伊織はイリアスが静夏を怖いと表現したことに怒っていた。ということはこの「怖い」は怒られて怖い、怒った時の静夏が怖い、という意味ではないのだろう。
伊織は箱の片側を持って横移動しながら呟くように答えた。
「つっこみとして背中を叩くのも怖かったし飛びつくのも怖かった。――それが原因で死んじゃうんじゃないかって、つい思っちゃって」
「……話には聞いてたが、相当体が弱かったんだな」
伊織はゆっくりと頷く。
思えば壊れ物を扱うように過ごしてきた。
母と子としてただの日常会話を交わし、笑い合うこともあったが、激しいスキンシップはなかったように思う。自我が確立してからは常に気を遣っていた。
(たしか――そう、不意打ちで胸に飛び込んだことがあったんだ)
伊織はふと思い出した根底の記憶にはっとする。
その時静夏はふらつきながらも受け止めてくれた。しかし数日咳き込みがちになり、ついには激しい発作に移行して肋骨にヒビが入ったのだ。
今なら飛び込んだことが直接的な原因ではなかったかもしれない、と思えるが当時の幼かった伊織はとんでもない大罪を犯した気分になった。
それを静夏は責めなかったし許してくれたが――罰してくれることはなかったとも言える。
(罰されないと許されない、なんてことはない。けどあの時の僕は許すより罰してほしかったのかもしれないな……)
そうすれば自分で自分をすんなりと許せたのかもしれない。
口には出さず目元に力を込めた伊織を見下ろし、バルドは「とりあえずこの辺に置こう」と箱を下ろして埃を払う。
「……今の静夏からは想像もつかないけどさ、静夏も伊織も今生きてるのは「ここ」だろ。そして二人ともここでは健康で元気だ。俺はそれがなんかすごく嬉しい」
そう言いながらバルドは箱の中身を確認した。ガチガチの鎧だ。重いわけである。
「それに、今なら伊織の周りにも気安い奴らが沢山いるだろ? 羨ましく思わなくてももう持ってるよ」
「バルド……」
「気安い奴らには俺も含むけどな?」
にんまりと笑ったバルドに伊織もつられて笑った。
「だからさ、気にせず胸に飛び込んでもいいと思う。今の静夏なら確実に受け止めてくれるだろ」
口に出した時はわざわざ「飛びつく」と表現したのに、顔にはそんなにも母の胸に飛び込みたそうな感情が出ていたのだろうか、と伊織は少し恥ずかしくなったが――たしかにそうだ。今なら受け止めるどころかそのまま渾身のハグをしてこちらが死にかけるほどだろう。
そう思っていると少し離れたところから「伊織! バルド!」という静夏の声が聞こえた。
驚いて倉庫の外を見ると、静夏が道の向こうから歩いてくるところだった。片手には何か包みを持っている。
バルドがちらりと伊織を見た。
「片腕でも抱き留めてくれると思うぞ?」
早速飛び込んでこいというのか。伊織はぎょっとした後、小さく唸って悩んでから口を尖らせた。
「……なんか人前でやるのは恥ずかしいからやめとく」
「今更だなぁ……!」
「こ、今度ひっそりと試してみるから母さんには言うなよ絶対! 絶対な!」
はいはい、と伊織の頭を撫でてからバルドは静夏に腕を振って応えた。
***
静夏が持ってきたのは伊織たちへの弁当で、小さく見えたが静夏の手を離れた瞬間それなりの大きさがあるお重だということがわかった。対比物の有無は大切だ。
昼時だったこともあり、そのまま一旦ナスカテスラの実家にエトナリカの許可を得て集まり、静夏を含めた全員で昼食と相成った。
静夏の手料理かとそわついたものの、サルサムの手料理だと知ったバルドは残念がっていたが箸はきちんと動いている。
――もし静夏の手料理だったとして、料理の腕はバルドも知っているが、それでもきっと嬉しそうに食べただろう。惚れた腫れたはそれだけの効果があるのだ。
「……そういやヨルシャミ、質問があるんだけど」
「む? なんだ?」
「いっぱい手伝ってもらったし、折角の昼ご飯だから……ニルヴァーレさんも呼んでいいかな?」
きょとんとしたヨルシャミはそこから露骨に嫌そうな顔をした。
しかし伊織の意図は読み取ったようで、渋々といった様子で口を開く。
「まあ……あやつは何か食べても夢路魔法の世界でのこと故、夢や幻と同然ではある。久方ぶりの生身での食事は多少の楽しさはあるだろうが、ううむ……」
「やっぱり僕の体じゃ味覚が感じられない?」
「べつにそこを心配していたわけではないぞ!? ……味覚に関してはその可能性はあるな、脳ごと肉体を共有することになるなら呪いの範囲内だろう。だが」
ヨルシャミは伊織の顔――脳が収まっているであろう部分を見た。
「どういった原理で憑依できているのか詳しいことはわからないが、憑依中は目の色が変わるであろう? あれは魔法でも起こる反応と同じ類だろうと推測している。ニルヴァーレの本体は魔石だ、恐らく魂が丸々伊織の中に入っているのではなく、魔法か契約を経由し本体とコネクトしているのだろう」
「前々から思ってたけど本当に器用なことしてるよね、ヨルシャミも同じくらい器用だが!」
感心するナスカテスラに「まあ私は天才故!」と言い放ちつつ、ヨルシャミは伊織に視線を戻す。
「要するに味覚についてはわからん。イオリが試してみたいと思うならイチかバチかで呼んでみるのもよかろう、……訓練の一環にもなるしな」
最後だけ自分に言い聞かせているかのようだった。
伊織はこくりと頷き、魔石を手元に手繰り寄せる。その時静夏が言った。
「伊織。その……ニルヴァーレに私とも少し話をできるか訊ねてもらってもいいだろうか」
「母さんと?」
「今まで落ち着いて話す機会がなかったからな」
静夏は戦いの中でしかニルヴァーレと会話をしていない。
それを思い出し、僅かに不安は感じたものの――伊織は快諾した。二人なら言い争いになることはないだろう。少なくとも今なら。
(なら……もし母さんがニルヴァーレさんに何か思うところがあるなら、ゆっくり話して解消してほしい)
ニルヴァーレがどう思うかはわからないが、そこは自分が気を遣うところではないだろう。
そう思いながら、伊織はニルヴァーレへと呼びかけた。
皆と一緒にお食事でもどうですか、と。そして母さんが話をしたいと言っていることも。
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