第九章
第326話 ラタナアラートからの迎え
山中に存在するベルクエルフの里、ラタナアラートへ続く道は霧に覆われていた。
山へ入るのに馬に乗ることはできないため、山の手前に作られた小屋で馬番が纏めて世話をし待つことになっている。
この方法はこれまで何度か行われた同様の調査でも使われていた。
霧の中を移動するのは危険だが、この季節のこの山は基本的に奥へ行くほど霧が出ており、なくなるのを待っていると二ヶ月かかることもざらにあるため強行するのが普通なのだという。
とはいえナスカテスラ達の案内や魔法による短時間小範囲の霧払いも定期的に行なっていたため、事故もなく進むことができた。
山中には所々に旅人向けの小屋が建っている。
極力自然を傷つけないように建てられた小屋の世話になりつつ日を跨ぎ、そうしてラタナアラートへ近づいたところで――前方から三人のベルクエルフが歩いてくるのが見えた。
小屋から出発後に小雨が降っていたため全員レインコートを着ている。伊織たちが着ているものは魔法により防水加工を施したもので騎士団からの支給品だが、普通は高価で出回っていないのでベルクエルフたちのものは何か別の技術を使っているのだろうか。
三人の内、先頭を歩いていた青年が人好きのする笑みを浮かべて頭を下げた。
「聖女ご一行と騎士団の皆さんですね! ようこそいらっしゃいました、里へご案内します!」
「案内?」
ランイヴァルは怪訝な顔をする。
人を拒み、最小の人数でようやく許可を出した里からフレンドリーな迎えが寄越されるとは思わなかった。
全員の目の前で頭を下げた青年はすぐ答えを口にする。
「里長からお達しがあったんです、聖女ご一行は厚く持て成しなさいと」
「騎士団と里帰りを無視とかすげーな……」
ミュゲイラが小声で言った言葉に心の中で同意しつつ、伊織は説明をする青年を見た。
ベルクエルフは青い髪と緑の髪が多いという。青年も例に漏れず所々ハネた黄緑色の髪をしており、後ろで一つに束ねていた。瞳は薄水色をしており右目の下にほくろが見える。
人の良さそうな、しかしどこか涼しげな目元をじっと見ていると青年が伊織の視線に気がついた。
「……! すみません、自己紹介がまだでした。僕はセルジェス、里長の息子です」
青年、セルジェスの言葉に奇妙な声を漏らしたのはナスカテスラだった。
「里長に君みたいな息子はいなかったように記憶してるんだが?」
「あなたは――ああ、ナスカテスラさんですか。話は伺っています、ひとまず里に戻ってから詳しくお話ししたいのですが……宜しいでしょうか?」
霧雨の中で立ち話も何ですし、とセルジェスは微笑む。
ナスカテスラは不思議そうにしながらも「そうだね、さすがにこの気候で山中だとちょっと肌寒いし!」と同意した。
――セルジェスの案内で山中を進みながら一行は周囲の様子を観察する。
今のところ魔獣のいた痕跡は見られない。しかし確実に行方不明になっている人間がいる。
姿が見えないタイプの魔獣である可能性もあるため、伊織は無意識に警戒しながら進んでいた。その後ろでナスカテスラたちが会話をしている。
「久々の帰還とはいえナスカテスラにとっては勝手知ったる山だろう」
「そーそー、危険に思えなくてじつは退屈してたりするんじゃね?」
静夏の言葉にそう続けたミュゲイラが笑ったが、ナスカテスラは「何を言う!」とすぐに反論した。
「メルキアトラたちは俺様を興味があれば危険な場所にでも突っ込む奴だなどと思っているようだが、そんなことはないぞ! 安全第一! そして平和主義者だ!」
「今にも落ちそうな橋の向こうに珍しい薬草を見つけてダッシュして崖から落ちたことありましたよね、ナスカおじさん」
「……」
「不思議な魔法があるって噂を聞いて、言葉の通じない好戦的な民族のいる地域にすっ飛んでったこともありましたね、しかも嫌がる私を連れて」
「……ま、時には危険を冒すことも必要だね!」
ステラリカにそう言いながらナスカテスラは快活に笑ったが、視線は明後日の方向に飛んでいる。
諦め慣れているのかはたまた呆れ慣れているのか、ジト目を更に細めたステラリカは「はいはいそうですね」と力なく言った。
***
それからしばらく山道を進み、厚い雲の向こうで日がやや傾いた頃。
近道を挟んだおかげか予定よりも早くラタナアラートへと到着することができた。
フォレストエルフの里のようにツリーハウスがいくつも見られるが、地面に建てられた家も多い。
セルジェスが道を進みながら軽く説明をする。
「メインはツリーハウスなんですが、住人の数が増えたので地上にも建てるようになったんです。低い位置は湿気対策も異なるので未だに困ることが多いですね」
「湿度高そうだもんなぁ、ここ」
バルドのその感想にセルジェスは頷いた。
「雨の季節は特にそうですね。建築の木材に水分に強いものを用いたり色々としているんですが中々。本当は、……」
「本当は?」
「……いえ。ああ、そういえばそちらのレインコートは魔法によるものですか? 僕らのはゴム引きしたものなんで羨ましいです」
ゴムがあるんですか、と伊織が目を瞬かせるとセルジェスは「樹液からゴムを作れる木があるんですよ」と笑って答えた。天然ゴムというものだろうか。
伊織はむしろそういった技術の方が羨ましいなと思いながら足を進める。
しばらくして見えてきたのはひときわ大きなツリーハウスで、はしごではなく幹そのものに螺旋階段が設置されていた。
どうやら大樹そのものはすでに死んでおり、外と内部から加工することで住居の一部にしてあるらしい。
死した木とはいえ、それは住居として見ると周りのものより少し新しく思える。
「さあ、お入りください」
セルジェスに中へと招き入れられ、一行はようやく雨と霧から解放された。
一息つきながら伊織たちはレインコートを脱ぐ。
セルジェスと共に行動していた二人のベルクエルフは先に家の奥へと消え、家主を――里長なる人物を呼びに行った。
「皆様はこちらへ。広間でしばらくお待ちください、すぐに里長……が……」
「む?」
セルジェスは笑みを消してきょとんとすると、そこから一気に呆然とした表情をした。
伊織が追ったセルジェスの視線の先にいたのはフードを外したヨルシャミだ。
ナスカテスラとステラリカのことは伝わっていたが、聖女マッシヴ様一行に同族がいると知らなかったのだろうか。しかしなぜそんな表情を? と疑問に思っていると、セルジェスは人前だということを一時忘れたかのようによろめいて半歩引く。
そして柔和の声の面影すらない、引き攣った声でその名を呼んだ。
「――セ……セラアニス?」
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