【番外編】ラキノヴァの家 前編

 王都ラキノヴァ。

 ニルヴァーレはそこで父のカルガッサス、そしてそんな父が数ヵ月前に拾ってきたヨルシャミの三人で暮らしていた。

 10歳にもなれば次第に細やかなことがわかってくる。

 その過程で知ったのは『どうやら父親は自分への興味が酷く薄いようだ』ということだった。


 カルガッサスは魔法の研究に人生の大半を費やしている。

 それはニルヴァーレが生まれた頃からのことで、年々酷くなるそれに母のレヴァンティーナは愛想を尽かして出ていってしまった。以前はニルヴァーレもそれなりに父親と会話はしていたつもりだが、それは間で母親が橋渡しをしていたからであり、その補助がなくなったが故に親子と呼ぶには素っ気なさすぎる日々を過ごすようになってしばらく経つ。


 話しかければ返事はあるが、目線は寄越さない。

 または目線は寄越すが返事はしない。

 魔法について訊ねた時だけ丁寧に教えてくれたが、そんな丁寧なコミュニケーションが取れるのに普段はああだというのが逆に腹立たしかった。


 そんな気持ちも今はなりを潜め、年を取り美しさとは程遠い生き物なのだから無理に交流しなくてもいいじゃないかと思っている。

 ――ニルヴァーレは美しいものが好きだ。

 父にとっての生き甲斐が魔法なら、きっと自分の生き甲斐は美しさなのだろう。

 その基準から見てカルガッサスは醜く、父親でなければ話しかける気にもなれなかったはずだ。

 そんな日々がずっと続くなんて耐えられない。早く一人立ちしてこんな家から出ていきたい。そう思いながら過ごしていたところに現れたのが、まだ5歳だったヨルシャミである。

 黒い髪に褐色の肌、目だけが美しい緑の少年。やや垂れ目だが整った顔をしており、色のコントラストも相俟ってニルヴァーレは彼を大層気に入った。

 しかし弟が出来たなどと錯覚しなかった――できなかったのはヨルシャミの性格と才能の影響だろう。


「あまやかすな。私はここに魔法について勉強しにきたのだ」


 ヨルシャミが家にきた日、見た目を気に入ったためあれこれ世話を焼こうとしたニルヴァーレに5歳がこんな言葉を吐いたのである。

 慣れ合いを拒絶し、魔法に打ち込む姿はまるで父親のようだったが、ニルヴァーレにとって見目が美しいという点は大いに評価できるものであり不快感はさほどなかった。

(そうか、なるほど! たぶんヨルシャミも早く一人立ちしたいんだな。僕といっしょだ)

 むしろこうして前向きに解釈したくらいだ。


 魔法の才能に関してはニルヴァーレにもわかるほど優れたものを持っており、引き取られカルガッサスに弟子入りしてからあっという間に頭角を現した。

 属性はエルフノワールらしく闇。しかし他の属性もある程度使うことができ、本来相性が悪い属性の魔法でさえ発動させられる。これがわかった日のことをニルヴァーレはよく覚えていた。

 まだ闇魔法が使えることしかわかっていなかった頃、あまりにもカルガッサスがヨルシャミの魔法に興味を示すため、なぜか――そう、なぜか悔しくなったニルヴァーレは久しぶりに魔法の練習をしていたのだ。

 父のようになりたくないという思いから、魔法を教わりつつも近頃はまったく打ち込んでいなかった。一応は兄弟子という立場だというのに今ではきっとヨルシャミの方が上だ。

 それが少し面白くない。

(お父さんはヨルシャミが闇属性で、その属性の魔法をいつもはなかなか調べらんないから夢中なんだな)

 カルガッサスもニルヴァーレも風属性。それ以外の属性は扱える範囲までしか調べられない。

 だからこそ強く興味を示すのだろう。

「……」

 自分が風属性だ、とわかった日のことが思い浮かぶ。

 ニルヴァーレは自分が作り出した手の平サイズの旋毛風を嬉々として見せたが、カルガッサスはこう言ったのだ。ああ、お前も風か、と。

 普段からあまり動かない表情。その瞳の奥にあったのは落胆だったように思う。


(同じ属性の何が悪いんだ。僕ならこれだけ美しい上に魔法まで使えるなら目一杯可愛がってあげるのに!)


 こうなったら風魔法を極めて父親が見たこともない魔法を見せつけ、やっぱり研究しておけばよかったと後悔させてやろう。

 そんなことを心に決め、ニルヴァーレは家の裏で風魔法を特訓した。今日は起こした風を凝縮させて対象を切りつける魔法だ。だがこれを鎌状にして背後に待機させ、任意のタイミングで切りつけるようにすれば更に使いやすくなるのではないか。

 そんな応用を思いついて試してみたが――応用をするにはまだ熟練度が足りなさすぎた。

「よし、形は変えられた。あとは……って、ええっ!?」

 鎌の下方に位置していた風の渦がぱちんと弾け、その反動で鎌が大きく傾く。

 凝縮しているが故に鎌は小さな風の渦の集合体のようになっており、その一つ一つを維持しないといけないためコントロールが難しいのだ。ニルヴァーレのイメージでは固めたことで一つの大きな渦になっている、というものだったため不意の出来事に反応が遅れる。

 傾いた風の鎌は庭木の枝をばっさりと切り、それがニルヴァーレの真上に降り注いだ。

 咄嗟に鎌を消して片手から生み出した風の勢いで回避するも、転がった地面の先で背中を強打し咳き込むはめになる。

「っえほ……く、くそー、なんでだよ、ちゃんとできてたのに……あっ」

 脛が赤く染まり、血だと頭が先に理解してニルヴァーレは眉根を寄せた。

 こんなところまで失敗した。傷を負うことは嫌いだ。そう思っていると市場から仕入れた果物をカゴに入れ、それを抱えて帰ってきたらしいヨルシャミと目が合って余計に嫌な気分になる。

「ま、まて、なんで逃げる?」

「失敗したところを見せたくないんだよ、それくらいわかるだろ!」

「でもその足……折れてないか? 動けば悪化する」

 這って逃げようとしていたニルヴァーレは口をへの字にした。正直叫びたいほど痛い。

 カゴを置いたヨルシャミは短い両足でこちらに駆け寄るとニルヴァーレの足に触れた。

「何を」

「見よう見まねだが試す価値はある」

 そうヨルシャミが言ったのと、裏口からカルガッサスが顔を覗かせたのは同時だった。その両方を視界に収めたニルヴァーレは目を見開く。

 ヨルシャミが使用したのは回復魔法で、それは外傷だけでなく骨折まで癒す位の高いものだった。

 回復魔法の水属性は闇属性とはすこぶる相性が悪い。しかしその相性の壁をものともせず、少し普段より疲弊している程度といった顔でヨルシャミはニルヴァーレの傷を癒す。

 痛みが引いたのと同じタイミングでこちらへ歩み寄るカルガッサスが見えた。

「あ……」

 さすがに怒られるだろうか。

 ニルヴァーレは父親が怒ったところを見たことがない。一度くらいは叱られる経験をしてみたいなどと過去に思ったことさえある。今はそんな気持ちはないが――そう、ないはずなのだが、一瞬期待してしまった。

 しかしカルガッサスはニルヴァーレではなくヨルシャミの両肩を掴む。


「……今のは回復魔法か。いつ覚えた? 誰からの知識だ? なぜあれほどの回復魔法を闇属性の君が使える? リスクが疲弊程度なんて聞いたことも――」

「あ、あとで教える。今はニルヴァーレを……」

「そうか! 先日広場で子供を癒していた騎士団の治療師か! そういえば熱心に見ていたな。連れ出した甲斐があるというものだ!」


 戸惑うヨルシャミをよそにカルガッサスは満面の笑みを見せた。

 ニルヴァーレは目を丸くしてそれを見る。父親がこんなに笑っているのを初めて見た。

 そう、10年間で一度も見たことのない顔だ。

 気味悪ささえ感じるそれが酷く眩しく見え、ニルヴァーレはよろよろと立ち上がると家の中へと歩き始めた。

「おい、もしかしたら不完全かもしれないから、まだひとりで歩くのは――」

「十分だよ、綺麗に治ってる。それより服が汚れて気持ち悪いんだ、着替えてくる」

 このままじゃ吐きそうだ。そう言い捨て、ニルヴァーレはさっきまで痛みを訴えていたはずの足でずんずんと進むとドアを閉める。


 父とヨルシャミの姿がその向こうに消えると、なぜか吐き気もなくなっていた。


     ***


 その日からカルガッサスはヨルシャミへの興味を深め、あれやこれやと構うようになった。初日のニルヴァーレにそっくりだ。

 ニルヴァーレに対しては元々興味が薄かったため、息子からヨルシャミに興味の対象が移ったわけではない。

 それでも釈然としない気持ちをニルヴァーレは抱いていた。


(魔法はそりゃ凄いかもしれないけど、美しさなら僕の方が上だ。なのになんでお父さんはあっちばかり構うんだ? 魔法のことだって最近は訊いても魔導書の場所を教えてくれるくらいだし――いや! べつに! 構ってほしいわけでも教えてほしいわけでもないけど!)


 美しさで優れている自分を粗末にしているのが許せないのだ。きっとそうだ、とニルヴァーレは眉根を寄せる。

 しかし。

(……でも連れ出した甲斐があるってなんだ? 僕の知らないところで二人して出掛けてたのか?)

 自分は買い出しすら一緒に行ったことがないのに。

 ついついそんな余計なことを考えてしまい、ニルヴァーレはハッとして深呼吸をした。こんなことは考えても無意味だと自分に檄を飛ばして外へと出る。

 最近はもっぱら広場で魔法の特訓をしていた。丁度旅の魔導師が立ち寄っており、希望者に魔法を教えてくれているのである。


 その日も長居し、今では自由に作り出し操れるようになった風の鎌で放り投げられた石を一刀両断する。

 フードを被った旅の魔導師は拍手しながら興奮気味に言った。

「凄い凄い! ニルヴァーレ君ってまだ10歳でしょ、凄い才能だ!」

 褒められても嬉しくないのは何故だろうか。

 そうだ、もっと凄い奴がいるからかもしれない。その答えに辿り着いたところで魔法を習っていた他の子供が不満げに言った。

「そいつ父ちゃんが魔導師だからだよ、ここに来て自慢なんかせずに父ちゃんに習えばいいのに!」

「そういうのは自慢する価値がある人間になってから言えよ」

「い、いじわるなこと言うなよアホ!」

「先に言ったのはそっちだろ、バカ!」

 憤慨したニルヴァーレは「もう帰る!」と背を向けたが、その腕を旅の魔導師が掴んで引き寄せる。

 なんでも明日再び旅立つらしい。魔法を教えられる最後のチャンスをこんな形で終わらせるな、と言われるのかと思ったが――フードの向こうで魔導師は笑った。そういえば「悪い奴に追われてるから」と嘘のような理由で初日からこのフードを取ったところを見たことがない。


「ニルヴァーレ君、キミは素質がある。いつかその才能を活かし、絶やしたくなくなったらワタシたちのところへおいで」

「……ワタシたちのところ?」

「そう、ああ――今持ち合わせがないから白紙だケド、これにキミの魔力を含ませれば『案内』するように作ってある。はい、ドウゾ。いつでもいいヨ、ワタシはとても長生きだから」


 そう言って魔導師は白く小さく厚い紙をニルヴァーレに手渡し、薄い唇を引き伸ばすように再び笑った。

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