第302話 おつかいイリアス

「もう一つ!?」


 まさかこれ以外にもあるとは思っていなかった伊織はぎょっとし、ニルヴァーレは興味深げな顔をした。

 ヨルシャミは突然広いテーブルとその上に積まれた大量の資料を呼び出す。一部は伊織にも見覚えがあった。

「これ、もしかして僕の検査結果?」

「そうだ。私が目を通した分だが再現した。これから王都を離れるまでの間に騎士団の再教育、多重契約結界の見直しと強化、手こずっている魔獣退治に……これよ! イオリの味覚を狂わせている原因の究明! これらすべてを同時進行せねばならん。猫の手も借りたいくらいだ、ならばニルヴァーレの手も借りるべきであろう?」

「ん? 今僕の手を猫と同じ目で見――」

「さあさあニルヴァーレ、ここの数値とこっちの数値が矛盾しているがどちらも正確なのだ。検査で調べられること以外に別の力が働いていると私たちは見ているがお前はどう思う?」

「調子が良いなヨルシャミ! 君のそういうところは昔から――……え、ああ、……へえ、たしかに凄い矛盾の仕方だ。ちょっと別の結果も見せてくれないか、あと検査法は何を使ったんだ?」

 突然スイッチが切り替わったかのように二人とも資料に没頭し始め、伊織は一瞬圧倒されて声を掛けられなくなった。

 魔導師は研究者気質だ。ヨルシャミもニルヴァーレもその辺りは根っ子が同じらしい。


「検査法は風魔法原動式アルンバレス撹拌だ。こっちはバルバロスの浸透魔法の応用らしい。最近確立した方法だそうだがわかるか」

「聞いたことはあるよ、あと機械頼りだったが同質のものをナレッジメカニクスの本部で見たな」

「なら話は早い、経過を再現するから見ていろ。引っ掛かることがあれば何でもいい、教えてくれ」


 これはしばらく口出しできなさそうだぞ……と伊織は唾を飲み込む。

 訓練に付き合ってもらいたかったが、それは騎士団の訓練と一緒に行なうことになりそうだ。

 ひとまず折角夢路魔法の世界にいるのだから、と自主的に魔力操作の練習をしているとヨルシャミたちが背中越しに言った。

「イオリよ、最初に一気に動かしすぎだ。まず少量を動かして道筋を作ると楽だぞ」

「折り紙と一緒だよ、ゆっくりやってごらん」

 どうやら完全に眼中にない、というわけではないらしい。

 見守られているような気分になった伊織は笑みを浮かべて「はい!」と頷いた。


     ***


 朝になり、ベッドの中で目覚めた伊織は大きく伸びをする。

 ヨルシャミは別室のため部屋には自分とウサウミウシしかいない。


 ちなみに今回はヨルシャミ側にニルヴァーレの魔石を置き、伊織はヨルシャミが夢路魔法の世界に引っ張り込んだ形になるため、眠るなりニルヴァーレと合流することができた。これがもし伊織の方に魔石があったならニルヴァーレだけ野を越え山を越え二人のもとへ来るはめになっていただろう。

(久しぶりにニルヴァーレさんにも会えたし、それに……)

 仲間に、母にヨルシャミとの関係を明かせた。

 そのおかげか今日は普段よりも晴れやかな気分だ。ヨルシャミも一緒だといいな、と思いながら伊織は身支度をする。

 今日はきっと忙しくなるだろう。

 そんな前向きな気持ちと共にドアを開けると――


「っうお!」

「わっ!?」


 ――今まさにノックしようとしていたイリアスと、その後ろに控えたリアーチェの姿が見えて双方仰天した。

 ゴーストスライムの事件後に顔を合わせるのは初めてのことだ。

 お互い固まっているとリアーチェに背中をつつかれたイリアスが先に口を開く。

「わ……わざわざ出向いてやった僕のためにドアを開けるとは良い心がけだな」

「無理やりすぎないかそれ……」

「兄さま、ついてきてあげたんだからちゃんとして」

 リアーチェの声の圧に怯みながらイリアスは唸りつつも伊織を見た。

「か……母様から茶会の誘いだ。今日は所用で朝食を一緒にとれないからこれを渡してほしいってさ」

「これは……招待状?」

 質の良い紙に書かれていたのは王妃ミリエルダ――伊織の祖母直筆のお茶会へのお誘い文と時間だった。

 場所は書いていないがリアーチェ曰く「時間になったらゼフヤが迎えにくる」だそうだ。

「そういうわけだ、時間は空けておけよ」

「わか、った……けど、なんで今なんだろ……?」

「ぼ、僕が知るか。とりあえずちゃんと伝えたからな! 忘れるなよ!」

「あっ、ちょっと!」

 そのまま物凄い勢いで去っていこうとするイリアスを呼び止める。

 かなり無理やりゴーストスライムを吸い出してしまったが、あれから異常はなかったのだろうか。

 ランイヴァルから聞く限りその後の検査でも異常はなかったらしいが、まだ本人の口から何も聞いていないため伊織は気になっていた。

 一流の魔導師であるヨルシャミなら問題はなくても、まだ未熟な魔導師――の域にすら達していないイリアスだと後から不調が出たりはしなかったのか。伊織は一瞬足を止めたイリアスに問う。

「ゴーストスライムのせいでかなり魔力を消費してただろ、魔法も無理やり連発してたし……大丈夫だったか?」

「……そこまでヤワじゃない。それよりも……」

「それよりも?」

 イリアスは言いたいことが一気にいくつも出来たような顔で言葉に詰まると、結局「お、お前には関係ない!」という言葉のみを選んでその場から走り去った。

 伊織は目をぱちくりさせながらそれを見送る。


「……イオリ兄さま、イリアス兄さまは子供なの」


 ひとり残ったリアーチェが伊織を見上げるようにして言った。

「このあと私たちは朝食の席で会うのにああして逃げて」

「あー……気まずさの種を自分で撒き散らすタイプか……」

「うん、だから」

 リアーチェはそっと伊織の手を引く。

「いつもはだめだめな兄さまだけど、今回は言いたいことがあるみたい。すこしだけ許してあげて」

「……うん、わかった。あはは、リアーチェちゃんの方がお姉さんみたいだ」

 伊織がそう笑うとリアーチェは少し安心したような様子を見せ、伊織の手を引いたまま廊下を歩き始めた。

「わたしはまだ子供がいい。イオリ兄さま、食堂までいっしょに行こう?」

 手を繋いだままそう言われ、叔母ではあるものの妹ができたような気分になった伊織は快諾する。


(それにしてもやらなきゃならないこと山積みの中でお茶会か……イリアスの様子も気になるし……)


 今日はきっと忙しくなる。

 その予感は当たっていたなと思いながら、伊織はリアーチェと手を繋いで歩き始めた。

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