第298話 シエルギータの求婚

 バルドが衝撃的瞬間を目撃する数分前、ミュゲイラは静夏と共に厨房に向かっていた。


 最近朝のマッスル体操をなかなか行えないため、よかったら夜にどうっすかとガチガチに緊張しながらミュゲイラが誘ったのだ。

 そして体操の後、喉が渇いたので厨房に行ってみようという話になったのである。

 ただ喉を潤わせるだけならゼフヤに頼めばいい。

 わざわざ自分たちで向かったのは、ミュゲイラ発案の「果物とかあるなら特製ジュースとか作れますよ!」という言葉――もとい、マッシヴの姉御に手作りジュースをプレゼントしちゃおう計画のためだ。


 そんな時、たまたま向かいからやってきたシエルギータと鉢合わせた。

 どうやらシエルギータも遅くまでトレーニングしていたらしく、何かないかとここまで来たらしい。

「使用人に頼んでもいいが自分の目で選びたくてな。しかし向かうなら厨房より近くの食糧庫の方がいいぞ」

「ふむ、そうか、厨房の中に保存スペースがあるわけではないのか」

「魔石を組み込んだ小さい保存庫はあるが、夜は空にしているはずだ」

 姉様が出ていった後に新調したから知らなかったんだな、と笑いつつ、シエルギータはミュゲイラを見た。

「ところでミュゲイラ、ゴーストスライム殲滅の際は助かった。改めて礼を言うぞ!」

「あはは、誰だって助けるだろ。礼なんていいって」

「なんと……、欲がないなお前は……」

 評価を求めて直談判する者がいるくらいだというのに、とシエルギータが漏らすとミュゲイラは「王族も大変なんだな……」と同情する。

 その等身大の同情が更に新鮮に映ったのか、シエルギータは少し考え込む仕草をした。

「――ふむ、あれから何度か天啓のようなものを感じたんだが……」

「へ? 天啓?」

「俺としては天啓というよりも己の本能の声のようにも感じる。この声には素直に従うべきだ、と常々思っていてな」

 何の話だろう、とミュゲイラと静夏は顔を見合わせる。

「ミュゲイラ、姉様、二人はある程度目標を達成すれば王都から離れるんだろう?」

「ああ、ずっと留まっていることはない」

「なら迷ってるより先に行動してしまうか」

 何に迷っているのか。

 それを二人が問う前に、シエルギータはミュゲイラの腕を引き寄せて言ったのだ。


「ミュゲイラ、今日の共闘はとても価値あるものだった。どうだ、俺の伴侶にならないか!」


 そう、はっきりと。

 目が点になったのはミュゲイラだけでなく静夏もで、久方ぶりに会った弟がまさかミュゲイラに求婚するとは思っていなかったという顔だった。当のミュゲイラは大混乱からの思考停止による顔である。

 その停止した頭を再び動かしたのはバルドの盛大なツッコミだった。

「こっちも!? なんなんださっきから!?」

「バ、バルド?」

 きょとんとしているミュゲイラの視線を追い、その先にバルドを見つけたシエルギータは「ああ」と声を漏らした。

「たしかバルドといったな。お前も食糧庫に用か?」

「そういうところだけど、……うお~……今日の俺の運勢どうなってるんだ、可視化してぇ……絶対面白いことになってるだろ……」

 ぶつぶつそう言いつつバルドは三人に近づく。


「とりあえずさ、ミュゲイラ、お前この話を受ける気はないだろ。言葉無くしてるとトントン拍子に進んだりするから早めにはっきり言っておいた方がいいぞ」


 王子様の前でこんなアドバイスするのは悪いけどさ、とバルドは固まっていたミュゲイラを見兼ねて言った。

 はっとしたミュゲイラはこくこくと頷く。

「王子さ……シエルギータ! ごめん、あたしにはマッシヴの姉御というものがあってだな……!」

「む、なるほど――そうか」

 シエルギータは目をまん丸にしてミュゲイラと静夏を交互に見た。


「ミュゲイラは姉様の伴侶だったのか!」


 その言葉にミュゲイラは茹蛸のようになり、バルドはあららといった様子で笑い、そして。

 静夏はゆっくりと首を傾げた。


「……? 伴侶ではないが」


 そして言い放ったのが、そんな短くも疑問を孕んだ言葉だ。

 バルドは冷や汗を流し、ミュゲイラはさっきよりもぽかんとする。

 事実だ。事実である。しかし言葉としてはっきりと発されたそれの威力は凄まじいものだった。

 一方シエルギータも不思議そうにしながら静夏そっくりの動きで首を傾げる。

「ふ、ふむ? 姉様の伴侶なら不躾なことを……いや、こんな場所で求婚すること自体あれだが、とにかく不躾なことをしたと思ったが……、……?」

 姉弟揃って首を反対側に傾げる。

 居た堪れなくなったバルドはミュゲイラに声をかけようとしたが――ミュゲイラは途端に笑顔を作るとぎくしゃくした動きで言った。

「い、いやー、冗談冗談! 凄い高度だったろ、あはは!」

「ミュゲイラ、お前――」

「バルドも心配すんなって! まああたしが言いたいのはさ、まだ身を固める気はないんだよ。それに身分差とか種族差とかメンドーだろ?」

「面倒ではない。その辺りは父様たちを上手く説得するつもりだった。しかし……そうか、まだその気がないならば今回は身を引こう」

 シエルギータは歯を覗かせて笑う。

「気が急いて突然こんな話をしてすまなかったな。よかったら出発までの間にどこかで手合わせできると嬉しい。お前となら実に楽しそうだからな!」

「おう、それなら大歓迎だ!」

 ムキッと上腕二頭筋を見せつけながらミュゲイラも笑みを返す。


 そのまま食糧庫へ去っていったシエルギータを見送り、共に行かなかったのはやはり少し気まずかったからだろうか――とバルドが視線を向けると、ミュゲイラは明らかに青い顔をしていた。

 それについて言及する前にミュゲイラははははと笑う。

「この後すぐ行って顔合わせんのもアレだからさー、ちょっとその辺走ってくるわ!」

「ミュゲイラ、なら私も――」

「やー、すんません姉御! 今回はちょっと自分のペースで走ってみたくて! ジュースは後で作って差し入れに行きますね!」

 妙に上ずった声でそう言い、ミュゲイラは床に足跡でも付くのではないかという勢いでその場から離れる。

 静夏の申し出を断るミュゲイラなど天地が引っ繰り返っても見れないと思っていた。バルドはぽかんとしながら呟く。

「っていうか……ちょっと走ってくるって、あっち室内だろ?」

「廊下は走ってはいけないな」

 バルドは腕組みをして唸り、そして静夏の背をぽんと叩いた。

 なんとなくここは自分だけで行った方がいい気がしたが、静夏は単身でも探しに行くだろう。なら、とバルドは口を開く。


「……とりあえず一緒に探しに行くか!」

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