第259話 オルバートとの邂逅

 ――数分前。

 バイクに跨った伊織は木々を器用に避けながら山中を走っていた。


 後ろからは静夏の気配を感じる。もちろん自前の足によるものだが、そこに違和感を感じなくなる程度には伊織も慣れてしまった。

 しかし代わりに別のことに違和感を感じて振り返る。

「ええと、母さん、ミュゲイラさんがいない気がするんだけど」

 逃げた不死鳥を追い始めた頃にはしっかりと静夏の後ろにいたはず。

 だが振り返ってみればたしかにミュゲイラはおらず、静夏も不思議そうな顔をしている。どうやらはぐれたらしい。

「ミュゲイラなら多少離れていてもわかるはずだが……近くにはいないようだ」

 静夏ほどではないにせよ、あの巨体と目立つ色の髪の毛で走っていれば木々の間にちらちら見える程度でもわかるものだ。禁足地で初めて出会った時のことを思い返しながら伊織は思う。

「ひとまず二手に分かれたという認識でいよう。合流のため我々が探すことで不死鳥を取り逃がすのはミュゲも本望ではないだろう」

「うん、……心配だけど僕らは僕らで探そうか」

 手負いといっても不死鳥は不死鳥、万一ミュゲイラが一人でいる時に遭遇してしまったらと思うと心配ではあったが、戦闘が始まれば場所の特定もできるかもしれない。そうなったらすぐに駆けつけよう、と伊織は心に決めた。


「……」

 伊織は不死鳥のことを考える。

 あそこまで細部まできちんと真似されるとは思っていなかった。

 洞窟の魔獣の件といい雪女の件といい、命の危機に瀕して最後の最後に思わぬ力を見せるのは人間も魔獣も変わらないらしい。どんな魔獣も生き物なんだなと再確認してしまう。

 しかし命惜しさで逃げたのなら、なぜ火口ではなく見当違いの方向へ向かったのだろうか?

 混乱していただけ、とにかくその場から離れたかっただけ、そういった理由かもしれないが妙に引っ掛かってしまう。


 その時、上空を二つの影が横切って伊織と静夏はぎょっとした。

 目視はしきれなかったが何かよくわからないものが通り過ぎた、というのはわかる。

(不死鳥の仲間……とか?)

 木々の葉は少なく、伊織たちの姿は上から見ればよくわかるだろう。しかし通り過ぎた何かが気がついた様子はなく、もしかすると丁度幹の影になっていて感づかれなかったのかもしれない。

 仲間がいたという報告はないが、魔獣は突然湧くもの。後からできたという可能性もある。

 伊織は静夏に目配せし、そして影が飛び去った方角に向かってバイクを走らせた。


     ***


 水の匂いが鼻に届き、流れのある川の近くに飛び出た伊織はその場にいた人物を見てバイクを急停止させる。


 自分にそっくりの少年――不死鳥を抱いたシァシァ。

 そして厚いコートの下に軍服を改造したような白衣を身に着けたヘルベール。

 最後にその傍らにいる15~16歳ほどの少年。


 シァシァはなぜか袖を血濡れにしており、初めて見る少年は顔の半分を仮面で覆っていた。

「……ヘルベール、やはりお前もナレッジメカニクスだったか」

 静夏が小さく言う。

 あの村で初めて出会った時、ヘルベールとパトレアは旅人を演じていた。しかしその時共にいたパトレアがナレッジメカニクスだったのなら、ヘルベールもそうだろうと予想はしていたものの――実際に目にすると不思議な感覚だ。

 ヘルベールは「予想くらいはしていたんだろう」と見透かしたようなことを言う。

「不死鳥をどうするつもりだ」

「ワタシたち……というかワタシたちのボスが必要としてるんだヨ。今日はキミたちにちょっかい出す気はナイからさー、このまま穏便に見逃してくれない?」

 シァシァはお願いお願い! と軽く言ってみせたが、もちろん伊織たちがYESの返答をすることはできない。

 するとずっと黙っていた少年が一歩前に出た。

 見た目は少年でもシァシァとヘルベールの二人といるなら、彼も敵なのだろう。


 そう伊織が身構えるも――少年がじっと瞬きもせずに見ていたのは、静夏だった。


「オルバ?」

 てっきり聖女とその息子に何か言うつもりなのだろうと思っていたシァシァが素の声できょとんとする。

 その声で我に返ったのか、少年は何度か頭を振ってから再び伊織と静夏を見た。

「すまないね、近くで直接見たのが初めてでじっくりと観察してしまったようだ。――まずは初めまして、二人とも。私はオルバート、一応ナレッジメカニクスの長をやっている者だ」

 お前が、と伊織と静夏は少年を見つめる。

 銀色の髪に赤紫の瞳、筋肉の薄い体は厚手の服で隠れているが体つきでわかる。

 仮面以外は本当に普通の少年だ。ヨルシャミが油断したのも頷けた。

「先ほどシァシァが言った通り、私はこの不死鳥を貰い受けたくてね。出来れば戦闘もしたくないんだ、考えてはもらえないかい」

「そんなこと――」

「ああ、心配しなくていい。この個体は実験に使うからここには戻さないし、世にも放たないよ。ここで君たちが倒してしまったと受け取ってくれていい。むしろそう報告したらどうだい?」

 村に、ララコアに脅威は去ったと言っていい。それを自分たちの成果だと言っていい。

 村での事情を知っているが、伊織たちの性格はこれっぽちも知らないような言葉だった。

 伊織は首を横に振る。


「そんなの信じられない。だってあんた達は……自分の目的のためなら何でもやる奴らじゃないか」

「ううん……まあたしかにそうだけれど、約束したことを守るくらいはできるよ」

「だからそれが信じられない」

「え? あー……いや、そうか、そうだね。決まった相手以外と話すことが少なすぎてその答えは予想してなかった。よく考えればそうか、困ったな……」


 そうオルバートは本心から困っているような顔をした。

 浮世離れした子供、もしくは老人のようで伊織は一瞬たじろぐ。

 オルバートは片目を伏せてしばらく考えた後、ゆっくりと目を開けて「仕方ない」と呟いた。その瞳に子供のような面影は見当たらず、なぜか冷たい炎のような印象を宿らせている。

 そしてオルバートは簡潔に言った。


「プランB、ルート12」


 その意味を伊織が理解する前にヘルベールがオルバートを抱き上げ、シァシァが不死鳥を抱いたまま浮遊した板――ホバーボードに足を掛ける。そのまま一言も発さずにそれぞれ別の方向へと飛び上がった。

 恐らく逃亡の示唆と逃げる方向、落ち合う場所などの情報を詰めたワードだったのだろう。

 伊織は全員が見えなくなる前に考える。

 バイクで跳び上がることで追いつけるだろうか。静夏のジャンプではどうだろう。ワイバーンを再び召喚できるか試すべきでは? 地上から追うのは? 二手に分かれるべきか?

 そこまで考えて、とにかくやってみるべきだとバイクのハンドルを強く握ったところで空気を切り裂く音が聞こえた。

 弾丸のように飛んでいったのはただの石。それはオルバートの頬を掠り、彼は余波でよろけたが――ヘルベールがしっかりと支えており、落下するには至らなかった。

 そのままシァシァが何か発明品か魔法を使ったのか、光学迷彩のようにオルバートたちの姿が掻き消える。

「っあー! 惜しい、逃がした!」

「ミ、ミュゲイラさん!」

 石を放ったのはその場にいた全員から死角になる場所に顔を出したミュゲイラだった。

 死角故に逃げようとしていたオルバートたちへの不意打ちになったらしい。

 ミュゲイラは「もう見えないな……」と空を見上げながら伊織たちに駆け寄った。

「いやー、途中で雪でスッ転んじゃってなー。迷子になってたんだがこっちから……こう……マッシヴの姉御の筋肉の波動が伝わってきてさ」

「えっ、なんですかそれ怖い」

「イオリにはわかんないのか?」

 わからないわからない、と伊織は激しく首を横に振った。

「とりあえず合流できてよかった……、っすけど、姉御、もしかしてさっき奴らが抱えてたのって不死――」

 そう静夏に問い掛けようとしたミュゲイラが目をぱちくりとさせる。

 伊織もその視線を追うと、なぜか静夏は驚いたような混乱しているような顔をしていた。

「……母さん?」

 その声にはっとして静夏は二人に向き直る。

「すまない、少し気になることがあってな。……後で話そう。とにかくここでナレッジメカニクスを追うのは難しいようだ、待っているバルドたちと合流しよう」

 伊織は母親の様子が気になったが、ヨルシャミがどうなったかも気になると言葉を続けられると頷くしかなかった。


 わからないことだらけだが、不死鳥をつれて逃げられてしまったのは事実だ。どう対応すべきか話し合う必要もある。

 そう思いながら帰り際に一度だけ振り返ってみたが、冷たげな川が静かに流れているだけだった。

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