第242話 鉄の臭いの合間より
ララコアがにわかに騒がしくなったのは夕方に差し掛かった頃だった。
伊織たちの耳に届いた第一声は小型魔獣の出現を知らせる声。
村のあちこちに突如現れた野ネズミのような魔獣の群れに村人たちはパニックを起こしていた。
体毛の色は普通の野ネズミのように様々で、薄茶からパンダ模様まで色々な個体がいる。大きさもそう変わらない。
ただし目は二対あり、歯は赤黒く、尻尾の先がヘビの頭になっているところはまったく普通ではなかった。
「低級の魔獣みたいですけど……結界があるのになんで村の中に……!?」
後退しながら魔法による炎の矢をつがえてリータが言う。
ララコアにはミヤコが張ったという結界があり、その効力は未だ続いているという話だったはず。しかし魔獣は数え切れないほど湧いている。
いくら一体一体は弱いとはいえ、複数が寄り集まれば一般人ではたちどころに食われてしまうだろう。
「母さん、これは分散して対応した方がいいと思う」
戦える者は少ない。そんな状況で少しでも被害を減らそうと思うならカザトユアの時のようにばらけて対応した方がいいだろう。
あの頃と違い、伊織にもある程度の戦う力がある。
静夏は迷いなく頷くと全員に向かって言った。
「私は東へ、バルドとサルサムは西、ミュゲイラとリータは南、伊織とヨルシャミは北へ向かってほしい。集合地は中央の大通りだ。向かった先で更に二手に分かれるかは各々の判断に任せる」
了解、とそれぞれが返事をしてその場から走り出す。
その足元にも小さな魔獣が現れ、伊織は慌ててバイクを呼び出すとそれを蹴散らした。
ワイバーンは村の中ではあまりにも目立つため、呼ぶにしてもパニックになった住民が避難しきってからの方がいいだろう。
現状はバイクでも相手を出来る脆さの魔獣であるため、自在に動けることも加味して伊織はこのままバイクで対処に当たることにした。
「ヨルシャミ、後ろに乗って!」
「わかった。しかし数が多い。北なら見晴らしのいい広場があったろう、そこで降ろしてくれ」
ヨルシャミは小さな召喚獣を呼び出して迎え撃つという。
それには四方を目視し警戒できる広い場所の方がいいらしい。わかった、と頷いて伊織はバイクを走らせた。
「魔獣が湧いた理由はわからんが……数には数だ、目にもの見せてやろう」
「無理だけはしないでくれよ、一人の時に倒れたら大変だしさ……!」
「ははは、その辺は手加減するとも!」
心配する伊織に心得ている様子でヨルシャミは頷く。
道すがら何匹ものネズミ型魔獣を轢き、あまりいい気分じゃないなと思いながら伊織は広場でヨルシャミを降ろした。
伊織は深呼吸して辺りを見回し、バイクのハンドルを撫でて語り掛ける。
(敵はあの小さいネズミみたいな奴だ。さっきみたいに轢けば一撃で倒せる。僕の見えないところに居たら対応してくれるか?)
任せろ、というバイクの返事が手元から伝わってきた。
よしと頷いて伊織はヨルシャミに手を振る。
「それじゃあ僕も行ってくる。またあとで!」
「うむ、大通りでな。……お前も気をつけるのだぞ!」
魔獣に対抗するように何匹ものネズミ型召喚獣を呼び出しながらヨルシャミはそう声をかけた。
なるほど、似た形状なら別のパニックが起こり収拾がつかなくなる可能性が低くなる。住民からは魔獣が共食いでも始めたように見えるだろう。
そう感心しつつ、伊織はヨルシャミの心配を払拭しようと意識的に元気な声で「わかった!」と答えた。
――普段は一丸となって戦うことが多いため、個人での行動はいつもより緊張する。
しかし不死鳥戦では少なくとも二手に分かれることになるため、ここで慣れておいた方がいいだろうと伊織はプラスになる方向へ思い直した。
なぜ魔獣が現れたのかは気になるところだったが、今はそれすら利用して成長してやるという意気で動いていく。
相手は小さな魔獣だけ。
伊織はそう意識を絞ることで集中力を高めていった。
(今何体目だ? 倒した奴はそのうち消えるとはいえ、凄い光景だな……)
魔獣はすばしっこく縦横無尽に走り回るため、地面だけでなく壁にも血がこびりついていた。
それによる視覚的ダメージだけでなく、鉄の臭いも酷い。しばらく鼻の奥に残りそうだ。
だが相手は魔獣である。手加減していればいつ足元をすくわれるかわからない。
何度も経験してきたピンチを思い返し、伊織は緊張を保ちつつも一度だけ息を大きく吸い――そのタイミングで、走っている最中のバイクから突然引き離された。
「……っな」
引き剥がされた、というほうが正確かもしれない。
重力を無視して真上に引っ張り上げられたのだ。
しかし首根っこは何者かにしっかりと掴まれている、その感触だけは生々しく伝わってきた。
(で、でも首は締まってない……全体重がかかってるのに? っていうか一体何が起こって――)
ふわり、と。
充満していた鉄の臭いの合間から漂ってきたのは、嗅ぎ覚えのある金木犀のような香りだった。
目を見開いた伊織は体を捻ることで無理やり振り返り、自分を吊り上げている人物を見上げる。
「やァ、伊織君。あまり間を開けずの訪問になってごめんネ?」
耳に残っているのと同じ声。
緑髪を太い三つ編みにし、髪に橙色の小さな花を散らした男性――シァシァは、なぜか伊織ごと宙に浮いたまま笑みを浮かべてそう謝った。
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