第243話 仲間ならざる

「……シァシァ?」

「わァ! 名前で呼んでくれてアリガト、そして覚えててくれたんだネ!」


 シァシァはこの状況に相応しくない嬉しげな声でそう言うと、手近な屋根へと着地した。

 その声と態度であの日自分に向けられた言葉を思い出した伊織は眉根を寄せて言う。


「また勧誘に来たんで……来たのか?」

「ウン、本当はもう少し考えさせてあげたかったし、キミ本人の足で来てほしかったんだケドさ、ワタシも上の命令には逆らえなくて。でも頑張って勧誘のラストチャンスを貰ったんだヨ」


 世知辛い世知辛い、と言いながらシァシァは伊織を下ろすと後ろから抱き寄せた。――否、両腕で拘束した。

 軽く腕を前に回しているだけのように見えるのに、いくら伊織が逃げようともがいてもびくともしない。それでも伊織は観念した様子を見せなかった。


「っ……悪いけど僕はそっちには行かない」

「へェ? 色々考えてくれたのかな?」

「もし……もし神様が僕たちの気持ちに何か仕組んでたとしても、少なくとも転生する前から僕は人を救えるなら救いたかった。だから今の気持ちも疑わない」


 真後ろからシァシァの思案するような気配が伝わってきた。

 勧誘に乗らないならこのまま殺す、なんて選択肢もあるのだろうかと伊織は警戒した。しかしそんな危険があっても、ここで断らないことは伊織にはできない。

 シァシァは小さく笑う。


「それにしては声に迷いがあるネ?」

「そ、そんな勝手な判断――」

「聞いたヨ、伊織君たちが泊っている宿屋って元は転生者が興したモノなんでしょ」


 周りの住民は『ミヤコ』を転生者とは思っていないようだが、得られた情報から推察くらいはできる、とシァシァは言った。

 ということは、小屋での反応から予想して今の自分の心境も把握されているのかもしれない。そんな思いが伊織の中に湧く。なにせ声で様子を察したくらいだ。

 そう思っているとシァシァが肩を叩いた。


「アッハハ! ホント信じるの早いネ! さすがのワタシでも顔が見えない今の状況で声だけ聞いて迷いの有無なんかわかんないヨ。カマかけただけ」

「んな……っ」

「ケド今わかった。キミ、自由に生きられる転生者が羨ましいんだ」


 伊織は歯を噛み締める。

 自分で人々を救いたい。母さんみたいになりたい。それは目標であり夢だ。

 しかし一方で好きなように生きた転生者も羨ましい。

 自分だって。――そう、自分だって危険な旅などせず、一つの場所を故郷と定めて母と静かに暮らしたいのだ。


 今の静夏なら病に怯えて過ごすこともない。

 前世でほんの数年間しか得られなかった安息の日々を送ることができる。ここでなら自分も普通の子供のように暮らせる。そのまま今度こそ普通の死を迎え、静かに終わることができるかもしれない。

 そんなことを考えてしまうのだと、伊織は嫌でも自覚した。


「図星? その様子だともしかして前世に不満があったタイプなのかな」

「ふ……不満じゃない」


 伊織は首を横に振る。

 シァシァがどこまで察しているのかわからず、咄嗟の対応が思い浮かばなかった。


 ――ここでなら自分も普通の子供のように暮らせる。


 先ほど浮かんだ思いが再び浮上する。

 伊織は普通の子供らしいことの大半は我慢して育ってきた。

 そのぶん大人らしいことを覚えられれば嬉しかったし、母親に非があるわけではないのだからこれは『仕方のないこと』で『大人になるチャンスだ』と前向きに捉え続けていたが、一方でやりたいことは確かに存在していたのだ。

 誤魔化しようがないほど、しっかりと。


 小学生になってからも朝から夕方まで遊び、家事をすることなく用意されたご飯を食べ、ぐっすり眠ってみたかった。

 朝に誰かにおはようと起こされたかった。

 仲のいい友達と休日に遠出して、心ゆくまで遊び回ってみたかった。

 家族と遊園地に行って、好きなアトラクションに好きなだけ乗ってみたかった。


 成人を間近に控えて叶えられたこともあるが、もはや手遅れな願いも多い。

 友人と満足に遊べず上澄みのような友情ばかりを育み、卒業して別れた中学の友人からは連絡もなく、新たな友人も深入りはしてこなかった。

 きっと伊織がそういう関係を好んでいるように見えたのだろう。

 なにせ伊織は一度も文句を口に出さなかったのだ。


 シァシァはまるで小さな子供にそうするように伊織の頭を撫でた。


「不満を不満と認識できないのは不幸なコトだ。伊織君、もしかしてキミは……その不満を明かせるヒトが誰一人としていなかったんじゃないかい?」

「……」


 父が亡くなったのは小学校に入学するより前の幼い頃。

 それをきっかけに静夏が長期入院するようになり、伊織は子供らしい生活を送ることができなかった。それ以前は家族旅行に行ったりと少しはそれらしいこともあったのだろうが、伊織の子供の頃の記憶は小学校入学辺りから始まっており、小さな頃は曖昧だ。

 だからこそ夢の中で父との日常を見て、たったそれだけで泣いてしまったのだ。


 周りはしっかり者だと褒めてくれたが、伊織にとってはこれが当たり前。

 むしろ、しっかりしていないといけなかった。


 しかし不満は降り積もり、それを明かせる人物は――たしかに、シァシァの言う通りいなかったのだ。

 社交辞令程度に「大変なんですよー」と茶化して言うことはあったが、心からの吐露はしたことがない。静夏本人に明かすことはできないし、父親はすでにいない上、親しい友人もおらず、教師や近所の人に言うには重すぎるしプライベートすぎる。そう伊織は無意識に思っていた。

 助けを求める先はあっても、伊織自身の心がそれを許せなかったのである。


「前世で叶えられなかった生き方をしたい。むしろ新天地でさえ自由な生き方を奪われるなんてイヤだ。そう思ってないかい?」


 伊織は俯く。

 だからナレッジメカニクスに入れと言うのだろうか。

 ナレッジメカニクスの人々はのびのびと自分の『自由』を謳歌している。それは傍目から見てもなんとなくわかった。

 ニルヴァーレの言っていた通り自由に生きるための場所であり、そして自由に生きるためにお互いを利用しあっているのだろう。


(でも……)


 ここでは仲間が今も戦っているのだ。

 そして最愛の母が、これからも共に歩みたいヨルシャミが戦っている。

 伊織は不安定になった心を必死に支えて口を開く。


「――それでもナレッジメカニクスには入れない。だって僕が望む生き方はナレッジメカニクスでも出来ないんだ。僕は母さんと今度こそ普通の日常を過ごしたいんだから」


 普通の日常、とシァシァは復唱した。


「母や仲間を捨てればキミだけでも掴めるモノが本当の望みだと思うんだケドなァ」

「見くびるな! 僕だけ自由になって幸せになるなんて――御免だ!」


 伊織は足を大きく振り上げてシァシァの脛を蹴り飛ばした。

 だが脛とは思えない反動が返ってきてぎょっとする。鉄のように固い。ならば、と全体重をかけて座ることで抜け出そうとするがホールドの力があまりにも強く、更には対格差がありすぎた。

 暴れる伊織に笑いながらシァシァは周りを見た。


「撹乱用の魔獣もそろそろ全滅しちゃうかなァ。イイ感じに湧いたでしょ、世界の穴は上手く観測できないから弱いモノに限るケド、魔獣発生装置の試作を作ってみたんだ。結界があっても内側に湧かせれば問題ない。……で、コレ、伊織君との会話の機会を作るために準備したんだケド――」


 色よい返事はしてくれない?

 そう最後の確認のようにシァシァは首を傾げる。


「ココで頷いといた方がイイよ、もっと厄介なコトになる」


 なぜか、その言葉だけは心からの気遣いのように感じた。

 しかし伊織は頷けない。頷けるはずがない。

「そんな忠告貰っても今だって十分厄介だ! ……っ」

 こうなったらワイバーンを呼び出すしかないか。

 そう思った瞬間、伊織のカバンがもぞもぞと動いた。

 ただの準備に出たつもりだったため、カバンの中にはいつものようにウサウミウシが収まっていたのだ。オレンジ色の耳がぴょこりとカバンの蓋を跳ねのけて現れ、ウサウミウシが顔を出す。


 その眉間には二本のしわ。


「……? エッ、それウサウミウシ? なんでココに――っぶ!」


 きょとんとするシァシァの顔目掛けてウサウミウシが飛び掛かり、それに仰天したのかシァシァの腕が緩んだ。

 伊織はすかさずそこから抜け出すと周囲に目を走らせる。見える範囲に一般人はいない。

 避難が完了した、と見るには時期尚早ではあるが。


「……シァシァ、やっぱり僕は仲間になれない。自由になるなら皆と一緒にだ!」


 伊織は呼吸を整えて召喚魔法陣を正確に思い描き、ワイバーンを呼び寄せる。

 屋根よりも大きなワイバーンの両翼が夕日を遮り、辺りが一気に暗くなった。伊織はその影を背負いながら思う。

 自分だけでも自由に生きたい。

 そういった勝手な思いもたしかに自分の中に存在していた。

 しかし仲間を捨ててそんな生き方をすれば、きっとその瞬間自由は自由でなくなってしまう。


 一瞬だけ叶えられればいい願いではないのだ。

 そう思いながら、伊織は目の前の仲間ならざる『敵』を睨みつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る