第236話 不思議な光景

 ドライアドはエルフ種ほど耳はよくない。

 ヘルベールも延命処置をしてはいるが耳の性能は人間と同じ、オルバートも何らかの補助をしていなければ特別いいわけではなかった。

 故にララコア村の中で聖女一行を見つけても基本的には遠くから覗き見ることしかできない。


 聖女たちが宿泊している『ミヤコの里』という温泉宿から少し離れたところに通常の小さな宿があり、ヘルベールたちはその一室を借りていた。

 無料開放されている温泉は楽しみたいがミヤコの里は高い、もしくは団体客が多く部屋が足りなくなった時などに利用されることがあり、旅人が他の地域より少ない土地ではあるものの客入りはそこまで悪くはないという。


「見るだけ、というのは初めからわかっていたことだけれど……これはもう少し近づきたいところだね」

「控えてください。あちらには耳の良いエルフ種が三人もいる上、ヨルシャミはやろうと思えば魔力で個人特定まで出来る目を持っています」


 ヘルベールとオルバートは実験の際に必要な魔法を扱う知識と技能を持っている。

 本人は魔法を使えなくとも、ナレッジメカニクスには間接的に他人の魔法を扱う技術があるのだ。

 シァシァも優秀な魔導師だ――と聞いているが、ヘルベールはまだシァシァが高位の魔法を使っているところを見たことがない。本来は魔法でしか作り出せないような現象が必要な時でも、大抵自作の機械で起こしてしまうのだ。

 しかしその機械そのものを作る際には使っているのだろう。


 つまりヘルベールとオルバートはヨルシャミが目にしたことがあるかもしれない魔力の痕跡を纏っている可能性があり、シァシァは前回接触した際に覚えられているかもしれない。


 注視は必要なようだが厄介な力だ。

 それを有しているのはシェミリザも同じで、エルフノワールは皆そうなのかと勘繰りたくなるほど繊細な技術だった。普通の魔導師は魔力やオーラなど見ることができない者が大半である。

 オルバートはゆっくりと頷く。


「わかっているよ。それにヘルベールだけでなく僕も千年ほど前にヨルシャミに姿を見られているからね、普通に目視されるのも危うい」


 首魁自ら直接ヨルシャミの捕縛に乗り出した時のことだ。

 窓から外を眺めながらオルバートは右側しか見えない目を細める。二階のせいか広い道の向こうに小川が流れ、小さな橋が架かっているのが見えた。川の上手側にあるのがミヤコの里だ。

 千年前、しかも緊急事態の最中で見た姿などどれくらい覚えられているかわからないが、オルバートは自分の顔に張りついた仮面がそれなりに印象的なものであると自覚している。


 髪に隠れた位置で頭蓋骨に直接アンカーを刺して固定してある銀色の仮面。

 それはオルバートがとある謎の症状に苦しんでいた際にシェミリザに施してもらったものだ。


(何故か失せた左目と、何をやっても痛む眼窩。どんな痛み止めも効かなかったけれど、これのおかげで落ち着いている。……落ち着いて目的のために動ける)


 千年より遥か昔に受けた恩である。

 この仮面のおかげで長い時の中、オルバートは痛みに邪魔されることなく行動することができた。――が、やはり少し目立つ。


「ところでさー、オルバ」


 仮面のせいでヨルシャミの記憶に色濃く残っているかも。

 オルバートがそんなことを考えていたところで、ベッドの上で自作の特製ドライバーをくるくると回しながらシァシァが言った。


「不定形の不死鳥、アレを捕えるのってただの実験のためじゃないでしょ?」

「うん?」

「シェミリザが自発的に何かに利用するために欲しがるなんて早々ない。そしてたまにあってもそれはキミのため。だから不死鳥を『使える』って思ってるのはオルバ、キミだ」


 そしてオルバは普通の実験はもう大概し飽きているから、普通ここまで――自ら出向いてまで実験材料を調達しない。

 シァシァはそう言いきった。

 オルバートはきょとんとした後、仄かに口角を上げて笑う。


「……まだ正式に決めたわけではないから後で伝えるつもりだったんだ。シァシァは知りたがり屋だね」

「フフフ、好奇心旺盛なんだヨ」

「気になったまま黙って協力してほしい――なんて言っても、君は自由に動くんだろうね。ならきちんと話して手伝ってもらおう」


 オルバートは「魂の傷跡だよ」と胸元を軽く叩く仕草をして言った。


「僕は聖女のデータがもっと欲しい。しかし前回の調査ではバイク周りが中心だった。そこで聖女の息子を利用してみようと思ったんだ」

「利用?」

「情報では随分と息子を溺愛しているようだ。だから彼女に揺さぶりをかけるなら本人より息子を使った方がいい。でもただ攫ったり傷つけるだけじゃ刺激としては物足りないから、ちょっとね、傷跡を利用して洗脳が通るか試してみたいんだ」


 洗脳、とシァシァは細い目を僅かに開いた。

 伊織の魂は強靭で、膨大な魔力も相俟って洗脳系の魔法はきっと通らない。

 ナレッジメカニクスでそんな魔法を使えるのはシェミリザくらいのものだが、高位の魔導師であるはずの彼女による魔法でも跳ね返されてしまうだろう。

 そこで傷跡を利用して何とか通せないか試したい、ということらしい。


「本来、洗脳が通るか否かを試すためには本人が必要だが、もし初撃を防がれたら警戒されてしまうだろう? だから模倣がもし高度な進化を遂げていれば魂の形ごと変わることができるかもしれない不死鳥を捕まえてみよう、ってことになったんだ」


 それを聞いてシァシァは心底嫌そうな顔をした。

 軽蔑していると言っても過言ではない顔だ。しかし発された声音はいやに軽かった。


「エ~、面白くないヨー、洗脳なんて陳腐だって~」

「シァシァ、ボスが決めたことを陳腐などと……」

「自分の意志でコッチに来てもらう方が絶対イイって! それにオルバ、洗脳で聖女に揺さぶりをかけたいって……つまり息子の裏切りで揺さぶりをかけたいってコトだよネ?」

「……? まあ――突き詰めればそうなるね。ただ自分の意思で来てもらうのは難しいと思うよ」

「試したコトのないモノは試してから却下すべーし!」


 実際には一度試したことがある。

 が、それを綺麗に伏せてシァシァはベッドを軋ませて立ち上がった。


「ネネネ、一回だけワタシに勧誘させてヨ。接触してもワタシ単独で来たコトにするからさ!」


 何を危険なことを、とヘルベールが止めかけたが、その前にシァシァは指先にのった小さな何かを差し出した。

 ――機械仕掛けの羽虫だ。


「お願いきいてくれたらコレあげるヨ。音声、映像をそれなりのクオリティでこっちに送れるバグロボちゃん! イヤホンとモニターはこれ! あと……ジャジャーン! なんと、今なら撮影可能で本部へのデータ送信機能付き双眼鏡も付いてくる!」

「一体どこにそんなものを――」

「さっきありあわせで作ってみた」


 シァシァの荷物は少ない。

 ありあわせ、というのがどこから出てきたものなのか気になるところだが、そういえば様々な部品を圧縮して詰め込める機械を持っていた気がするな、とヘルベールは思い出した。

 シァシァにとっては小銭入れ程度の認識でよく忘れるようだが、今日は持ってきたらしい。

 虫を受け取ったオルバートは「仕方ないな」とほんの少し眉を下げた。


「断ったら強行するだろう、シァシァ」

「いや、まずはもう一押しってコトで他のモノも付けるかなァ、一般人を模したロボとか!」

「それはさすがにバレそうだ。……いいよ、一度だけ勧誘に行ってごらん」


 もし失敗しても『息子はナレッジメカニクスの勧誘を断わった』という事実が聖女の中に植え付けられる。

 その上で洗脳し、裏切らせるのも効果がありそうだとオルバートは言った。

 シァシァは喜びながらベッドの上でびょんびょんと飛び跳ねる。なぜか初めに立ち上がった時程度の軋み音しかしない。


「ヨーシ! じゃあご飯食べながら口説き文句考えてくる!」

「食べ過ぎないようにね」


 うきうきと階下に降りていくシァシァを見送り、オルバートは片手に持った双眼鏡で外を覗いてみた。

 倍率が高いわりにクリアな視界だ。ピントも自動で合わせてくれる。セトラスの目のように多種多様なデータは取れないが、シァシァの言っていた通り写真撮影はできるようだった。


(写真……)


 撮るなら橋がいいかも。

 なんとなくそう思い、そちらにレンズを向けるとついさっきまで話題に上げていた聖女一行が歩いており少し驚いた。

 買い出しの帰りらしい。オルバートは羽虫――バグロボを飛ばそうと指先を見かけ、視界の端で伊織とヨルシャミが小川に落ちたのに気がついて視線を戻した。


(わりとうっかりしているんだな、……)


 聖女と銀髪の男が迷いなく小川に入っていくのが見え、オルバートは不思議な光景を目にしたような気分になる。

 どうしました、と問うヘルベールに数秒返事をするのを忘れた後、ゆるゆると双眼鏡から目を離してオルバートは窓の外を指した。


「聖女の息子とヨルシャミが小川に落ちたみたいだ。――あんなドジを踏むほど気が抜けているなんて、平和なものだね」

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