第233話 上の空と冬の川

 ヨルシャミは両手で紙袋を支えるように持ちながら歩く。

 隣を歩くリータも似たような状態で、足元に気をつけねばなとヨルシャミは思っていたが――リータはどこか上の空だった。

 そもそも物資調達に向かう前からこの状態だ。何かあったのだろうか。そうヨルシャミは心配しつつ横目でリータを見る。

 するとリータが突然ハッとした。


「……あっ! しまった、ヨルシャミさん、山登り用のスパイクを新しく買い足しておくのを忘れてました!」

「いや、さっき買ったぞ」

「へ……? あ、本当……ですね……?」


 つい先ほど買いに行ったばかりだ。今は背中のリュックの中に入っている。

 ヨルシャミは言葉を探しつつ頬を掻いた。


「なにかあったのか? 凄まじく心ここにあらずといった様子だぞ、里に置いてきたと言っても信じるレベルだ」

「うう、すみません。その……」


 リータはヨルシャミをちらりと見る。

 しかし理由を話すわけでもなく、持った荷物の陰に顔を隠した。あまりにも不思議な反応だ。


「ちょっとしたことなのでお気になさらず! ほんとのほんとに大したことじゃないんです、ただ私的には天変地異と大陸大移動が同時に起こったようなものだっただけで」

「どこが大したことないのだ!? スケールが神の視点だぞ!?」

「でも大丈夫なんです……!」


 なぜか顔を赤くしながらリータは言いきる。

 ヨルシャミとしては問い質したくなるほど気になるところだが――今の様子を見ていると深刻な方向に悩んでいるわけではないらしい。

 あまり深く探りすぎるのもプライベートを侵害することになるか、と思い直したヨルシャミは引き下がる。


「まあ、もし何か悩んでいるならいつでも話せ。私でも、私以外でも」

「はい……」


 そうリータが頷いたところで、後ろから歩いてきたサルサムがひょいと二人の荷物を持ち上げた。

 サルサムは別の物品を買いに行っていたのだが、店から出たら丁度二人の姿が見えたらしい。


「む? 重くはないぞ?」

「滑って転んだ時のことを考えたら片手くらいは使えた方がいいだろ」


 ヨルシャミにそう言いながらサルサムは二人分の荷物を片手で纏めて支えた。細身に見えるがそれなりに腕力があるのはさすがといったところか。

 サルサムは背中に背負ったリュックを見せる。


「俺の買ったものはリュックに収まったしな」

「ありがとうございます、サルサムさん」

「いや、気にしないでくれ。それより買うものはこれで終わりか?」

「はい、リストにあるものはこれで全部です」


 ならシズカたちと合流するか、先に宿に帰っておくか。

 そうサルサムがリータに言いかけた時、向かいから巨体が歩いてくるのが見えた。一発でわかる。静夏だ。

 静夏の隣にはバルドが並んで歩いており、こちらも銀髪が目立つため一発でわかる。伊織は見事に静夏の陰になっていた。


「おー! サルサム! お前らも今終わったところか?」


 バルドが両手を振ってそう訊ね、近寄ってきたところでサルサムは荷物の半分をどすっとバルドの腕の中に移した。

 一瞬で重くなった両手を見下ろしてバルドは嘆く。


「返事する前にこれは酷くないか!?」

「あまりにも綺麗に両手が空いてたもんでな。こっちはおしまいだ、そっちの収穫は?」


 初耳の情報と新たに入手した物がある、と静夏は答えた。


     ***


 話すなら情報の整理も必要なため、寒い外で話すより一旦宿に戻ろう。


 そんな話になり、一行はミヤコの里に向かって歩き始めた。

 合流した地点から見ると小川にかかる橋を渡って行った方が早い、と全員でそちらに足を向ける。

 その橋は随分と小さく、欄干はないが日本でいう太鼓橋に似ていた。


「んん?」


 木製の橋特有の音をさせて渡り始めた時にバルドが首を傾げる。

 どうした? と伊織は足を止めて訊ねた。


「なーんか前にもこんな橋を……ああ! これも前世の記憶か。誰かと写真を撮ったんだよ、カメラはこっちにはないし前世であったことだ」

「あはは、なんかバルドが思い出す記憶って前世のことばっかりだけど……こっちに来てからは何か思い出せないのか?」

「そういやそうだ。んー……なんかなー……」


 バルドは目を細める。

 それは遠くを見ているようであり、近くを見ているようでもあった。


「――こっちでは同じような日々の繰り返しだったのかも。思い出すことがあってもいつのことだ、とか全然わからないんだ。けど前世の記憶は凄く印象的で楽しくて色づいててさ」


 伊織は目覚めてすぐに母親がいて、村の人たちも親切だった。

 こちらの世界のことを学ぶ機会も沢山あった。不可抗力ながら目標も定まっていた。

 しかしバルドは一人で大変だったのかもしれない。そう思い至り、伊織は申し訳なさそうに頬を掻く。


「そっか……変な質問してごめん」

「あはは! 謝ることじゃないって」

「こら、お前たち。皆もう先に渡りきったぞ?」


 ヨルシャミが早く来いと言いながら伊織とバルドに向かって歩いてくる。

 ――と、その足が一瞬で。

 たった一瞬で、見当違いの方向へと滑った。


「あ」

「うおわ!」


 見事に小川へ落ちそうになったヨルシャミを伊織が慌てて抱きとめる。

 しかしその伊織も足を滑らせ、踏ん張りが利かなくなった。街中くらいは大丈夫だろうと普通の靴で来たのは誤った選択だったのかもしれない。

 そのまま二人は橋の上から小川に突っ込み、冷たく盛大なしぶきが上がった。


 滑って転ぶのを考慮したのは前振りじゃないんだが。

 あまりにもコミカルな光景にサルサムはそう一瞬呆けたが、ここは雪が降るほどの北国。

 いくら他の北の地域より降雪の頻度が低いとはいえ吐く息は白く、流れのある小川はすべてが凍結するまでには至っていないものの水温は恐ろしく低い。下手をすると命取りになる。

 そう我に返り駆けつけようとしたところで、それよりも一瞬早くバルドと静夏が同時に川へ飛び込んで二人を抱え上げた。


「怪我はないか」

「う、うん、低かったし大丈夫」

「くッそ冷たいっていうか痛いなこの水! 濡れたら即乾かさないとだ、このまま宿にダッシュすんぞ!」


 走り始めたバルドの胸倉をわしっと掴んだヨルシャミが震えながら口を開く。


「か、か、か」

「ヨルシャミが寒さで壊れてる……!」

「はしるとかぜが! かぜがつめたい!」

「ちゃんと言えて偉いな! よしよし! 少し我慢しろ!」

「ぬわー!」


 ヨルシャミは叫んだが、それでもバルドは少しだけ速度をセーブした。

 サルサムはミヤタナに説明をするべく先に宿まで駆け上がる。

 恐らく時間的に混浴の時間帯だが、大所帯で慌ただしく戻ることになるため、ミヤタナが老体であることを考えると心の準備をしてもらった方がいいと考えてのことだ。


(あいつら、混浴の話はしてたが……)


 少なくとも伊織とヨルシャミは同時に放り込むことになりそうだ。

 こんなシチュエーションは予想外だったろうな、と思いながらサルサムは荷物を抱え直した。

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