第215話 愛着くらいは

 酒場の使われていないイスに腰掛け、リータは何度目かわからない深呼吸を繰り返していた。


 伊織と会話したり、お礼を言われること。

 今まで何度もあったことだが、やはり伊織への気持ちを自覚してからだと更によくわかった。明らかに昔より嬉しいのだ、とリータは天井を見上げる。


(私、やっぱりイオリさんのことが好きなんだなぁ……)


 そうしみじみと感じつつ、リータはなかなか諦められないことに気を落としながらも楽しんでいた。

 他人に対してこんなにも些細なことで心が揺れるのは人生で初めてだ。これから生きていく中であと何度こんな経験ができるかわからない。

 だからこそ、なかなか諦められない恋心で揺れる感情も、失恋への道のりも楽しめる。

 ミュゲイラからは心配されてしまったが、リータは辛く感じる時があってもそれすら面白いのだ。今もそれは変わらない。


 そう瞼を閉じて考えていると、いつの間にか近くに人の気配があった。

「なんだ、例の有言実行中か?」

「サルサムさん」

 視線を戻した先に立っていたのはサルサムだった。

 サルサムは両手に持っていたカップをテーブルに置き、向かいに座って片方をリータに差し出す。

 カップの中には温かな湯気の立ち上るココアが入っていた。


「ここも一階は上より寒いんだ、リータさんも体を冷やさないようにな」

「ありがとうございます……ふふ、こういうところってお兄ちゃんって感じがしますね」

「そうか? それを作ってたらバルドにはオカンみたいだって言われたぞ。しかもアイツが勝手に飲もうとするから叱ったから余計に拍車がかかった」


 その言葉を聞いたリータは噴き出すようにして笑う。

 年齢だけならリータの方が遥かに上だが、積んできた人生経験や環境の違いのせいか精神年齢はサルサムの方が上に感じられた。こういった感覚は長命種でも人間と長く関わることの多い者にはよくあることらしい。


(こういう差を感じるのもちょっと楽しいのよね)


 リータは自分と姉が旅に同行するよう取り計らってくれた族長に感謝していた。

 目的は罪滅ぼしだが、外の世界をもっと沢山見てほしいという意図もあると言っていた。リータは親代わりだった族長のことを思い出す。


 フォレストエルフは人間と関わることが比較的多いが、ここまで遠出する者は珍しい。

 特に魔獣が出始めてからはそれが顕著だった。しかし普通の人間と違い、魔法の素質を持つ者が多いのに引き籠っているのはどうなのだ……と他ならぬエルフ種の中にもそう思う者がおり、時折話題に上ることもある。

 だからこそ「聖女に同行する」というまたとない機会に族長はああして決断したのだろう。

 そして本当は本人もついていきたかった、救世主の役に立ちたかったというのが態度からもよくわかった。帰ったら沢山話を聞かせたい、と思ったところでサルサムが自分を見ていることに気がついてリータは首を傾げる。


「どうかしました?」

「いや、これは悪い意味じゃないんだが……長命種っていうのは普段何を考えているんだろうなと思ってな」

「普段何を? 多分皆さんとそんなに変わりませんよ?」


 普通のことです、と先ほどまで考えていたことも無意識に「普通」で括りながらリータは笑う。

 その機微はわからないものの、『普通』を測るものさしそのものが人間と違いそうだなと感じ取りながらサルサムも笑い返した。

「今まで会ってきた人の中でもリータさんは結構……その……あまり会ったことのない考え方を持ってたから気になったんだ」

 主に恋愛観で、とサルサムは付け足す。


「前にも似た話をしましたけど……やっぱりこういう考え方の人ってあまりいないんですか?」

「もしかしたら長命種にはよくいるのかもしれないけどな、俺は人間以外とはあんまりそういった深い話をする関係になったことがなかったからさ。今みたいに一つのパーティー内にエルフ種が三人もいるなんてなかなかにレアな状態だぞ」


 そんなエルフ種三人の中で飛び抜けてリータの考え方がサルサムには新鮮に感じられたのだ。

 ヨルシャミならもし失恋しても強がる、気にしない素振りをするなど想像しやすい。

 ミュゲイラも泣きながら豪快な気晴らしをしてから、それでも相手の幸せを優先するだろう。そういう性格だとそろそろわかってきた。

 この二人もリータのように初めから諦めることを目標に定め、失恋を心から――そう、無理をせず心から楽しむ選択はしないだろう。


 そこまで考え、サルサムは心の中で頬を掻いた。

 長命種が普段何を考えているか気になった、というよりも最初からリータが普段何を考えているのか気になったのだ。


(話を聞いた時はその考え方に驚いたもんだが……頑張ってるんなら応援してやりたいんだよな……)


 ミュゲイラに頼まれて話を聞いたあの夜で終わった話。それを掘り返している自覚はあった。

 ならばなぜ掘り返したのか。すでに自分に無関係な話だと手放すこともできたのに、だ。

 それはやはり気がかりで心配だったからだろう。

 無理していなくても頑張っている事柄はあるかもしれない、少しでも手を貸してやりたい、そんな風に思ってしまう。

 やはりバルドの言う通りオカン気質なのかもしれない。


 そう考えていた時、ふとあるものを思い出したサルサムはリータに「少し待っててくれ」と言い残して部屋へと戻り、瓶を片手に戻ってきた。


「それは?」

「長旅には娯楽も必要だと思ってな、こないだ薬の調合ついでにマシュマロを作っておいたんだ」

「薬の調合ついでに作るものですか、それ……!?」


 驚きつつもリータは瓶の中を覗き込む。

 白いマシュマロは店で売られているものと比べても遜色なかった。大きさは大小あるものの、形も揃っていて素人の作品とは思えない。

 サルサムはその中から一番大きなものを摘まみ出す。


「やたらオカンオカンって言われるからな、せめて口煩いタイプのオカンじゃないことを証明する」

「というと……?」

「これをココアに投入しよう」

「それは……! 素敵なお母さんですね……!」

「しかも四個まで許す」

「甘やかしますね……!」


 だろう、と笑いながらサルサムはマシュマロをココアに浮かべた。



 ――サルサムがリータを気にかける理由の一つに「ついつい妹に当てはめて想像してしまう」というものがある。

 実妹が同じような選択肢をし、焦がれる相手と毎日過ごしていたとしたら、サルサムはいくらウザがられようが日々気にかけていただろう。それを長所として見るか短所として見るかは人によるが。

 そんな家族に当てはめて考えてしまうこと自体、サルサムがパーティーに愛着を持ちつつあるという証明でもあった。

 うっすらとそれを自覚しながらサルサムはココアを口に運ぶ。

 非常に甘ったるい。


「……うーん、四個は少し多すぎたかもしれないな」


 そんな呟きに楽しそうに笑うリータを見て、まあ誰だってこんな子たちと何ヶ月も過ごせば愛着くらい持つだろう、と密かに納得したのだった。

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