第216話 一休みの前に。

 眠りに落ちるのはあっという間。

 伊織がそれを自覚したのは途中で夢らしからぬ空間に引っ張り出されたからだった。


「……ん、ん? ヨルシャミ?」


 ウェーブした緑色の髪が視界に入り、伊織は反射的に名前を呼びながら辺りを見た。夢路魔法の世界で訓練によく使う草原だ。

 遠くから吹いてくる爽やかな風に冷気はなく、春を目前にしたような過ごしやすい気温である。

 そんな草原に立ち、伊織の手を引いていたヨルシャミは「なんとか引き込めたか」と満足げに笑った。伊織はその瞬間ヨルシャミの姿を見つけられた安堵と共に湧いてきた疑問を口にする。


「このタイミングで夢路魔法を使ってるってことは、治療で気絶しなかったのか?」

「ふふふ、休養を取りつつここでやっておきたいことがあった故な、被害者を全員回復させてから気絶する前に自ら眠ってやったのだ。これならば魔力が底をつかぬ限りはここで話すことができる」

「あっ、じゃあなんとか自力で宿まで戻ってこれたのか」


 よかった、と伊織は頰を緩めたものの、


「いや、ミュゲイラの背中で爆睡した」


 ……というヨルシャミの言葉で伊織はミュゲイラに同情するしかなかった。悪酔したサルサムといい、気絶したり寝ている人物を運ぶことに縁がありすぎる。

 咳払いを交えつつ気を取り直して伊織は問い掛けた。


「ええと、それでやりたいことって? もしかしてカレーの再現か?」

「それをここまで熱望するほど飢えてはないぞ。まあそっちは次の機会にでもな。今回はあれだ、例の幹部についてと――ワイバーンについて話があるのだ」

「ワイバーンについて……?」


 伊織が目をぱちくりとさせていると、突然真上から影が落ちてきて「そう!」という快活な声が背後からした。

 ニルヴァーレだ。どこからともなく現れて伊織の真後ろに着地したらしい。

 遅れて地面についたマントを翻し、ニルヴァーレは後ろから伊織の両肩に手を置いた。


「この目で見ることは叶わなかったが、見事な召喚だった。繋がりは十分にある……が、その繋がり、もう少し強化できるならそれに越したことはないだろう?」

「もしかして前に言ってた人型にするためですか?」

「ご名答! 人間のもとに付くなら同じ人間の姿を取れる方が便利だからね。それに前に言ってたワイバーンとの繋がりを強化する訓練もしなくては。その第一歩として提案したいことがあるんだ」


 ニルヴァーレはそのまま言葉を続ける。


「イオリ、君にはあのワイバーンに名前を付けてほしい」

「な、名前?」


 そう、名付けによる繋がりの強化だよ、とニルヴァーレは頷いた。

 それを聞いてヨルシャミが己の顎をさする。

「なるほど、その方法があったか。しかし古めかしい方法だな、それに実際にはそう効果はないと言われていなかったか?」

「古めかしいのは今やヨルシャミの方だっていうのが時の流れを感じさせるね」

 ニルヴァーレはからかうような声音で言うと肩を竦めて笑った。


「効果がないという説はその後通説となった時期もあったが、今は一定の効果があるっていうのが常識だ。千年の間に引っ繰り返った通説をすべて教えてあげたいくらいだよ」

「んなっ……だ、誰のせいで千年眠るはめになったと思ってるのだ、お前たちのせいだろうお前たちの!」


 遠回しに時代遅れ扱いされたヨルシャミは必死になってニルヴァーレをビシビシと指さしたが、ニルヴァーレは「千年の間のことでよければいつでもたっぷり話すよ?」とちゃっかり長話の約束を取りつけようとしていた。

 そんな二人に挟まれながらも伊織は考える。


「名前かぁ、たしかにワイバーンってずっと呼び続けるのも味気ないかな」


 それで繋がりが強化されるなら一石二鳥だ。

 もちろんワイバーン自身が気に入る名前でなきゃだめだけど、と伊織は悩む。

 生き物に名前を付けた経験がないのだ。

 ペットは飼ったことがない。ゲームのキャラクターも大抵デフォルトネームか自分の名前でプレイしてきた。有名なモンスター捕獲ゲームでも相棒はすべて種族名で、ワイバーンやバイクをそのまま呼んでいても違和感を感じなかったのはその影響かもしれない。

 ウサウミウシには個体を指す名前を付けたいと思ったことはあるが、それも叶っていなかった。


 しかもワイバーンには伊織の言葉を理解できる知能がある。

 人間と同等かそれ以上の知能を持つ者相手に名前を付けるのはペットの名前を付けるよりハードルが高いなと伊織は唸った。そこへヨルシャミがずずいっと割り込む。


「なんだ、思いつかないなら私が付けてやろうか」

「ヨルシャミが?」

「うむ、漆黒のアイスフリューゲルとかどうだ!」

「相変わらずネーミングセンスが個性的だなぁ……」

「相変わらず!? 相変わらずとはどういう意味だ!?」


 追求しようとヨルシャミは伊織に詰め寄ったが、ニルヴァーレの言葉がそれを遮る。

「何も今すぐ決めることはない。次に呼び出すまでにいくつか候補を出しておいて、そこからワイバーン自身に選んでもらうというのもアリだ」

「あっ、じゃあそうします。あと参考に訊ねたいんですけれど……」

「なんだい?」

 伊織は今まで見てきたワイバーンの姿を思い出しながら口を開く。


「……あのワイバーン、性別ってあるんですか?」

「うん? ああ、性別の概念はあるからどちらかだとは思うが、外見からは判断がつかないんだよね……けど人型にした時は女性の姿を選んでたからきっとメスだ」


 もし違ったとしても心は女性か、もしくはこちらの世界では女性でありたいのだろう。

 ならメスとして扱い、それを基準に名前を考えてみよう、と伊織は決めた。


「うーん、それにしても名付けによる強化かぁ……バイクとウサウミウシにも何か付けた方がいいのかなぁ……」

「バイクはもう十分に繋がりがある上、この世界で唯一無二すぎてもはやバイクが個体名と同等になっていると思うぞ」

「ウサウミウシはどうだろうね……そもそも強化したところですでに防御だけカンストしてるだろ、あれ。召喚も永続でこちらに負担はないし、イオリに従属させようって気はないみたいだし、攻撃手段にするわけでもないし……」


 というかぶっちゃけペットなんじゃないか、とニルヴァーレは首を傾げる。

 ニルヴァーレの目の前でウサウミウシを見せたことはないが、ネロにイオリがこの生き物を気に入っている云々口にしていたということは魔石越しに聞いた会話と元々の知識から把握しているのだろう。ナレッジメカニクスの資料にもあったくらいだ。

 ペットとは言い得て妙だが、伊織としてはその域をやや逸脱している気もした。


「か……家族同然、というか子供じゃないけど養う対象というか……」

「ヒモじゃないか!」

「ウサウミウシにヒモって単語使いたくないんですけど!? ま、まあ、たしかに繋がりを強化するのは戦闘や緊急時のためですもんね。とりあえずウサウミウシは今後もウサウミウシって呼びます」


 もしウサウミウシ自身が名前を欲しがればもちろん全力で考えるが、そんな日が来ることはない気が伊織はした。



「――さて、今夜はこれ以外にニルヴァーレと例のドライアドについて話そうと思って呼んだのだが」

 一段落ついたところでヨルシャミがそう切り出し、そして渋い顔をする。

 伊織が「呼んだのだが?」と先を促すと、ヨルシャミが親指で指したのを合図にニルヴァーレが口を開いてはっきり言った。


「ウザ絡みしてきて苦手だったから避けてたんだ、だからまともな情報持ってないよ!」


 そのためシァシァの語った神に関する言葉の真偽もわからないという。

 納得できるが肩透かしを食らったような返答であった。

 しかし人柄の上澄みみたいな情報なら少しはある、とニルヴァーレは両腕を組む。


「延命処置を施された時と、その後のメンテナンスで否が応でも会わなきゃならなかったからね。あれは少なくとも二千年以上は生きてる古株だ、たしか東の国の出身だって言ってたけどその国も今あるのかどうか怪しいな」

「延命装置を作ったっていうのは本当だったんですね」

「ああ、他にも色んな設備を作ってたし……首魁ともやたら仲が良さそうだったから他の幹部とは一線を画してた。もしまた会ったら気をつけろ、あれの発明品は魔法の常識を越えてくるらしいから対処し辛いぞ」


 気をつけようがない気がする、と思いつつも伊織は頷いた。

 そこで記憶を遡っている間に雪山での一幕を思い出したヨルシャミが問う。


「ニルヴァーレよ、あのパトレアというのは?」

「ハイトホースの娘か、本部で見かけたことがあるようなないような……ああ、でも足の機構的にセトラス繋がりじゃないかな? 足に刻印してあるか確認できればよかったんだけど、生憎そこまで余裕がなかったからなぁ」


 ニルヴァーレは頬を掻きつつも考えを巡らせ、そうだ、と手を叩いた。

「興味のない奴のことはろくすっぼ覚えちゃいないが、時間をかければある程度は思い出せるかもしれない。後でノートにでも纏めておくよ、絵とかも付けてあげよう」

「ニルヴァーレにしては気が利くではないか、頼……」

「イオリとヨルシャミのためだからね! 時間はあるし愛情込めて頑張ってあげるとも!」

「……」

「そこで黙るのがヨルシャミらしいな」

 笑いつつニルヴァーレは伊織とヨルシャミの手を引く。


「さて、名残惜しいがそろそろ普通に寝たらどうだい。疲れ切ってるのがひしひしと伝わってくるぞ」

「う、ううむ、まあ必要最低限の情報交換はできたからよしとするか……」


 本来は夢路魔法を使っていてもその後きちんと睡眠をとるため翌朝には響かないが、今はヨルシャミも摩耗している。

 夢路魔法の世界における時間の流れは外とリンクしていないが、それはヨルシャミが操作しているからこそ。初めに伊織に助けを求めてきた時、衰弱が理由で長く時間をとれなかったことを考えるとヨルシャミの体調次第で細かい操作が困難になるのかもしれない。

 ならゆっくりと休んでほしい、と伊織も思う。


「ヨルシャミ、今はきちんと寝よう」

「そうだな……お前もしっかりと眠るのだぞ、小屋では……あ、あー……なかなかゆっくり休めなかった故な!」

「ん? なんだなんだ、小屋で何か面白いことでもあったのか? 僕にも教え――」

「さあさっさと寝るぞイオリ!!」


 なおも追撃しようとするニルヴァーレを躱し、ヨルシャミは伊織を連れて夢路魔法の世界から走りながら抜け出したのだった。

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