第128話 神の遺伝子

 瞼越しでもわかる太陽の光。

 外にいる、とようやく認識した伊織はゆっくりと目を開ける。


「……川……?」


 気づけば浅い川の岩場に引っかかって仰向けになっていた。

 乾きつつある頬とは反対に後頭部は水が滴るほど濡れている。そこで初めて伊織はニルヴァーレの風が消えていることに気がついた。

「ニルヴァーレさん!」

 まさか手放してしまったのでは。

 そう慌てて右手を見ると、ニルヴァーレの魔石はしっかりと握られていた。

 カバンは腹の上にのっており、恐る恐る中を確認するとウサウミウシが目を回しているのが見えて安堵する。目を回しているだけで怪我もなく元気に生きているようだ。

 ネロは、とそのまま上半身を起こして周囲を見回す。


「イオリ!」

「ネロさん……! よかった、無事だったんですね!」


 少し上にある水草の間からネロが顔を出した。同じようなタイミングで目覚めたようだ。

 二人は覚束ない足取りで岸に上がると周囲を見回す。

「森か山か……とりあえず地底湖に閉じ込められずに済んだみたいだな」

 どうやら山に流れていた川は地下で流れが変わっても最終的に外の川の続きへ繋がったらしい。

 地図がないため正確な位置はわからないが、川の浅さと広さから見てそれなりに下流に思える。


「途中で変な風が吹いて、多分あれ……助けてくれたよな? だからこんなところまで流されても生きてた。あれはイオリの魔法か?」


 疑問の尽きない様子でネロがそう訊ねた。

 伊織はすぐに首を横に振る。

 バイク召喚の件もありネロは伊織が魔導師だと思っているようだが、伊織自身はまだそれを名乗るのはおこがましいと感じていた。それに今回は完全にニルヴァーレのおかげだ。手柄を横取りする気は伊織にはなかった。


「ええと、その、説明を端折るとわけがわからないと思うんですけど、この魔石が助けてくれたんです」

「……魔石が?」

「正確には魔石になってる人物が」

「魔石になってる人物が!?」


 続いたのが予想外の言葉だったのか、ネロは水を滴らせながらぎょっとした。

 ネロなら丁寧な説明をすればわかってくれるだろう。しかし詳しく話すには状況が整っていない。

 伊織はとりあえず冷えた体をどうにかしましょう、と提案した。そうすればゆっくりと説明できる場所も自ずと整うだろう。

 全身の疲労感も無視できたものではなく、プールや海でひたすら泳いで体力の限界を迎えた時に似ていた。

 地下で土や泥の混じった水に揉まれたせいか肩の傷も嫌な熱を持っている。伊織の荷物に薬草は入っていないため、何か代わりになるものを探しておいた方がいいかもしれない。

 そう考えながら伊織はカバンを見下ろす。


(火は最近魔石やヨルシャミ頼みだったけど、火打金もあったはず――)


 そうカバンを漁ってみるが見当たらず、ウサウミウシの下も捲って確認してみたが見つからなかった。流された際に落としたのかもしれない。

 代わりに採取勝負の際にヨルシャミが調整した炸裂する火の魔石が出てきた。

「爆ぜ上がるって言ってたから火をつけるには向いてないだろうな」

「ですよね……」

 ここで使ってはぐれた仲間たちに合図を送ってもいいが、皆がまだトンネル内だった場合は無駄に終わる。それに見える範囲にいるかどうかも怪しい。その目的で使うにしてもまずは場所を把握してからだ。

 ここは古典的な方法で火を起こすしかないのか。


 そう思っていると不意に視界が翳った。


「……?」

 まさか曇ってきた? と伊織は空を見上げる。ここから更に体温が下がるのは危険だ。

 そう思ってのことだったが、迫っていたのは別の危険だった。


「……イオリ! 大カラスだ!」

「お、大カラスって一体――っうわ!」


 ネロの言葉そのままの巨大なカラスが頭上にいた。

 ウサウミウシが降ってきた原因のようにこれも魔獣ではなく自然の生き物のようだが、大カラスは完全に伊織をロックオンしており魔獣でなくても脅威に他ならない。

 踏ん張りがきかずに転倒しそうになったところを大カラスの爪が襲う。

 しかしその爪は伊織の肌に触れることはなく、代わりに手に握っていたニルヴァーレの魔石をはしっと掴むと伊織の指を振り払って飛び去った。この間三秒。ぽかんとしていた伊織は魔石を奪われたことを理解すると慌てて大カラスの飛び去った方向へ走り出す。


「ま、待てってイオリ! 追いつくわけないだろ!」

「でもニルヴァーレさんが!」

「魔石になってるって人か? けど落ち着け、あれだけデカい大カラスは珍しいから巣があれば誰か知ってるはずだ!」


 普通のカラスは光るものを集める。あの大カラスも同じ習性を持つのかもしれない。

 しかし収集するからといって大切にされるかというと違うのだ。

 粗末に扱われ、何かの拍子に巣から落ちてしまったらどうなるのか。力加減を誤って爪が、くちばしが食い込んだらどうなるのか。結果はひとつに帰結している。


「もし聞き込みに行ってる間に何かあったら……。こ、壊れちゃったらあの人、死ぬんです。僕はそんなの見たくない」


 出会った時の印象は最悪だ。

 しかしその後、夢路魔法の世界でニルヴァーレと過ごしてきた日々が伊織の脳裏を過る。

 悪人に分類される人物だろうが、そんな人間でも伊織は死んでほしくなかった。決してただ悪いだけの人間ではないのだから。


 バイクなら追いつくかもしれない。

 伊織はそう思い呼び出そうとするも、すぐに違和感を感じた。バイクのキーを空間に挿しても上手く回らないのだ。

「あ、あれ……?」

 狼狽えている間に視界がぐらつく。

 倒れかけた伊織を抱き留めたネロはぎょっとした。


「お前、熱が出てるんじゃないか!?」

「え、っそんな……ことは」


 肩の傷がじくじくと痛む。

 もしやこれが原因で発熱したのだろうか、と伊織は血の気が引くのを感じた。こんなシチュエーションで陥っていい状態ではない。

 治まらない眩暈に吐き気を覚えながら、伊織は大カラスが飛び去った方角を見た。


 青い空には雲一つない。

 そして、雲だけに留まらず一羽の鳥の姿も見つけることはできなかった。


     ***


「これは……」


 研究室に籠っていたヘルベールは検査結果に思わず声を漏らした。

 研究室は研究者の城だ。個人に合わせて使いやすい機器や道具を使いやすい位置に配し、いつでも好きなように使えるよう整えてある。

 そんな城の中、ヘルベールがそう声を出したのは大分久しぶりのことだった。


 聖女マッシヴ様の一人息子。


 イオリというその少年の血液サンプルを解析し、結果を導き出したところだ。

 遺伝子配列は普通の人間と変わらない、そう思われたが違っていた。大部分がとあるデータと合致する遺伝子を持っていたのである。ヘルベールはそれを何度か見ていたが、自分で得たサンプルから見つけ出したのは初めてだった。

 この遺伝子は『転生者』特有のもの。


(転生者は転移者と異なり肉体を一から構築する必要がある)


 ナレッジメカニクスは転生者及びその前段階の侵略への抵抗反応――ヘルベールたちは世界免疫と呼んでいる転移者たちの存在を知っていた。

 その過程でこの世界には世界そのものの神がいる、と知ったのである。


 初期段階が一部動植物の強化、巨大化。

 次がヨルシャミ等の強力な才能を持つ者の誕生。

 この世界内で賄えないと知ると、次は異世界から転移者を呼び特殊能力を付与。

 その後、異世界の魂を転生させた方が更に強い力を付与することができると判明したのか、転生者が現れるようになったのだ。


 その強い力の付与が可能になった理由の一つとして、肉体構築の際に材料として特別な遺伝子を混ぜ込むというものが挙げられる。

 ナレッジメカニクスに転生者のサンプルは少ないが、何百年もかけてそれを解き明かすことができた。

「なんと珍しい……」

 神も肉体を持つから遺伝子を有しているのか、もしくは肉体は持たないが受肉する際に使用する遺伝子データなのかは定かではないが、ナレッジメカニクスはこの共通の遺伝子を神の遺伝子と呼んでいる。

 通常この遺伝子は転生者の半分ほどを占めていた。

 残りの半分は極力優れたものだが普通の人間の遺伝子で、それは神のクローン化を避けてのことだろうと予想されている。

 しかし『イオリ』は事情が違った。


「たしか聖女は処女懐胎したと聞く。聖女が転生者、そしてイオリも転生者で聖女を母と呼ぶならば……もしや前世でも親子だったということか? 転生に耐えられる魂の適正は血筋にも影響されるというが、母子で転生など初のケースだ。……そのせいか」


 転生者が他の転生者を腹の中で育てる選択をしたのは初のことだろう。

 そしてイオリにこの世界の人間の父親はいない。

 神は同一の転生方法を使えなかったのか、はたまた実験の一種かはわからないが、父方に当たる遺伝子にも自分の特殊なものを使ったらしい。

 よって、イオリの持つ神の遺伝子の比率は他の誰よりも濃く出ていた。

(これは――捕えれば良いサンプルになるのではないか?)

 ヘルベールにとってだけではなく、ナレッジメカニクスの首魁にとっても。

 他の毛髪サンプルの結果にも視線をやる。別室に泊まっていた赤髪の少年を除く聖女一行はフォレストエルフ、ベルクエルフ、人間。


 その中に神の遺伝子持ちは三人・・


「……転生者のデータは未だ貴重。今回は特殊なパターンも含む。報告しても邪魔と判断はされるまい」


 研究や実験を邪魔されることを嫌う首魁に報告する際は注意が必要だ。

 ヘルベールたちのボスは普段はどれだけ無礼な振る舞いをされても気にすることなく受け答えするが、タイミングを誤ると厄介なことになる、そんな人物である。

 だがこれならお気に召すだろう、とヘルベールは頷く。

 その興味がいつまで続くかはわからないが、一時的でも上機嫌になるならヘルベールにとっては有益だ。自分の待遇が良くなることは家族の待遇が良くなることに直結するのだから。


 そう決めるなりヘルベールはセトラスの元へと向かった。

 きっかけは彼なのだから同行させた方がスムーズにいくだろう。


 ばたん、という音と共に閉めきられた研究者の城。

 その中の机の上では、伊織たちの遺伝子データがモニターの光に煌々と照らされていた。

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