第126話 闇の中の濁流へ

 伊織とネロが進んだ道は複雑に枝分かれしており、所々が先ほどの落盤の余波で崩れて通れなくなっていた。

 空気用の穴もいくつか塞がったのか少し息苦しい。

 ――これは精神的な影響もあるかもしれないが、伊織は敢えて考えないように努めた。


「魔獣はこっち側にはいないみたいだな。……おい、イオリ、大丈夫か」


 ふらふらしながら壁に手をつく伊織を見て、ネロはここで少し休憩しようと提案する。

 今二人がいる場所は先ほどまでとは違い、ひびも走っておらず丈夫な天井と壁面をしていた。それだけで完璧に安全などとは言い切れないが、当てずっぽうで奥を目指している状態のためここで休憩を挟んでおいてもいいだろう。

 ずるずると壁に背を預けて座り込んだ伊織は長い長い息をついた。


「……っすみません、なんというか、気持ちの整理がついてなくて……」

「一回だけ質問するが、否定も肯定もしない方がいいか?」

「……はい、今はもう少し自分で考えてみます」


 そう答えてみるが、語尾がどうしても弱くなってしまった。

 二人はしばらく無言で座っていた。遠くで別の落盤の音がした気がするが、幻聴かもしれない。

 伊織は頼もしくあれない自分を恥じた。

 ヨルシャミは何度も瀕死になりながらも回復してきたし、バルドも一命を取り留めているかもしれない。そう自分に対して心の中で強く言ってみるも、半分も聞き入れられないのは心が不安で埋まっているからだ。


「ネロさんは大丈夫ですか……?」

「俺?」

「突然こんなことになってしまって……ネロさんも不安じゃないかなって」


 視線を落とし、金色の瞳を曇らせる伊織を見てネロは砂埃で汚れた頬を掻いた。

「俺も怖いし不安だ、お前と何も変わらない。今は恐怖が麻痺してる間に無理やり前向きになってるだけだからな」

「恐怖が麻痺……」

「だから、その、そんな情けない顔するな。とにかく外に出よう、出ればきっと次にやるべきことがわかる。やることが決まれば心もちょっとは落ち着くさ」

 多分、と付け加えたネロに伊織は仄かに口の端を持ち上げた。


 そうだ、ここで傷心にかまけていても何にもならない。

 すぐには切り替えられないが、前を向いて少しでも進んでみよう。


 そう思い、伊織は呼吸を整えた。

(僕はまだ歩けるし、一人じゃなくてネロさんも居る。まだやれることはある)

 それにカバンの中にはウサウミウシもいた。

 トンネルに入った時点では中で寝ていたようだが、騒がしさで起きた後、今は「もう静かになった?」という顔でカバンの隙間から顔をのぞかせている。

 さすが防御特化、特に恐怖は感じていないのか落ち着いたものである。

「……そういやイオリ、それって大切なものなのか?」

 伊織が落ち着いてきたと悟ったのかネロがそう訊ねた。

 指しているのは未だ伊織が抱えたままだったニルヴァーレの魔石だ。


「あのヨルシャミって子のだろ、もしかして魔石か」

「はい、魔石です。ただちょっと個性的……というか特殊で、脱出に役立つかどうかはわかりませんけど」


 人間が魔石になったものです、と紹介すべきか少し迷った。

 ネロにはまだ転生のことや旅の詳細、そしてこの魔石のことなど様々なことを話していない。

 同行する仲間でなくとも信頼していれば話していい、と伊織は考えていたが、この状況で話しても混乱を招くだけではないだろうかと少し躊躇した。

「なら下手に使わず自力で外へ出た方がいいな、……そろそろ行こう」

「はい」

 立ち上がったネロに手を借りて伊織は立ち上がる。

 まだふらついていたが、さっきまでとは違い自分が地面に立っているという実感があった。

 ニルヴァーレの魔石をカバンにしまうか悩んだものの、ウサウミウシに蹴り出されては大変なので今はまだ手に持ったままにしておくことにする。今までずっとヨルシャミが管理していたため、どれくらいデリケートなのか見当もつかないせいだ。

 そんな思考により二人の名前が心の中に浮かび上がる。


 ヨルシャミ。

 バルド。


(……死なずに生きててほしいな)


 遠回しな表現ではなく、伊織は初めて明確にそう思った。

 もっと早くから無意識に考えてはいたが、相手の死と対になって思い浮かぶため、考えようとするとつい回避してしまっていたのだ。

 それを確認するためには、自分も生きてここから出なくてはならない。

 伊織は両足に力を籠めるとネロの隣を歩き始める。足はさっきまでよりほんの少しだけ言うことを聞いてくれた。


     ***


 ――どれくらい歩いただろうか。


 伊織とネロは未だ暗いトンネルの中にいた。

 いや、もしかするとここはトンネルの元となったという自然のトンネルの領域かもしれない。床は初めのように均されておらず、ごつごつとした岩肌を晒していた。少し湿気っており手触りで苔のようなものが生えているとわかる。

 長時間暗闇の中にいると伊織でもある程度のものは見えるようになったが、ネロには敵わない。すいすいと進んでいく背中に見惚れるくらいだ。しかしその背中にも疲労が見え始めた。

「ネロさん、また少し休憩を――」


 ごごん、


 と、そんな音が遠くから響く。

 しかし響きはトンネル全体を伝って聞こえ、すぐに真横で鳴り響いたかのような臨場感が追ってきた。

 またどこかで崩落か、と身構える。


「……? この音……」


 トンネル全体を小刻みに震わせるような音。

 暴風の音にも似たそれは水音だった。それもとびきりの勢いを持って流れてくる水音だ。

 顔を見合わせた伊織とネロはすぐさま音から遠ざかろうとしたが、それはあっという間に枝分かれしていた真横の道から姿を現した。

 色までははっきりとはわからないが、恐らく土色をした大量の水だ。濁流は瞬く間に伊織たちの足元に届き、ほんの数秒で立っていられなくなった。

 溜まっていた雨水が崩落の衝撃で漏れ出たか、あるいは山の中へ姿を消していた川に新たな道が作られたか。

 何にせよこのままではまずいと本能的に感じさせる。

 あっという間に胸元まで上がってきた水は伊織とネロをトンネルの奥へと押し流した。


「……っネロさん! 手を!」


 伊織は腕を伸ばしてネロの手を取る。途中、包帯を巻いていた肩が酷く痛んだが気にしていられない。

 カバンのふたをきつく閉め、魔石を抱えたまま水に流され続ける。

 天井に達して窒息もしくは頭をぶつける前に広い空間に出た。しかしそこも濁流にまみれており、水の流れに揉まれて何度もネロの手を離しそうになる。

 見れば流れの先は再び狭い空間になっているようだった。

 水嵩から見て空気を吸える空間はない。


 このままでは死んでしまう。

 自分だけでなくネロも。


 そう悪寒が走った時、伊織は夢路魔法の中で聞いたニルヴァーレの言葉を思い出した。


『助けるのは命の危機があればだ。それくらいじゃイオリは助けを求めない。そうだろ?』


 伊織はそうですねと答えたが、あれは裏を返せば自分が求めれば助けてくれるということではないだろうか。

 なら、今は頼れるものにはすべて頼りたい。

 伊織は抱えた魔石に向かって、なけなしの空気をすべて使って叫んだ。

 出会った時は敵であれ、今は大切な師匠の一人へと。


「――ニルヴァーレさん! 助けて!」

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