第125話 『赤』

 トンネルを崩すほどの『音』という名の衝撃波。

 そしてすでに防御を捨て去った様子。


 とどのつまり、それ自体が魔獣による捨て身の攻撃である。

 魔獣は随分と前からトンネルが脆くなっていることを認識していた。なにせ音の反響で周囲の様子を探れる上、仲間を統率する頭脳があるのだ。

 自身の命を顧みず、突如現れた強敵ごとトンネルを崩してしまえば侵略対象は――この『世界』は防衛の手段をまた一つ失う。そう理解している。


 魔獣、魔物は侵略兵器のようなもの。

 自分の生存を最優先する生き物ではない。


 その生態を知る者は未だ少なく、静夏たちも自爆に近い手をこう軽々と取ってくるとは思っていなかった。

 自ら発した巨大な音の波に魔獣のリーダーが血を吐いて意識を失う。

 残っていた子分たちも意図を理解し、気絶する前にそれぞれ持てる力をすべて出しきるように大きく鳴いてトンネル内を震わせた。


 バガンッ! と背筋の凍るような音が響き、丁字路の真ん中に位置する天井が崩れ落ちて地面に亀裂を走らせる。


 同じような亀裂が瞬く間に天井を走り、人一人では到底支えきれない岩のような塊が落下した。

 それを起点に瞬く間に崩れながら、瓦礫は岩のようなものから重量のある大量の土砂に変わっていく。

「皆! 逃げろ、どの通路でもいい!」

 静夏が真っ先に走ったのは未だ気絶しているバントールの元だった。このままでは自力で逃げることも叶わない。

 蝙蝠を牽制すべく前に出ていたバルドもそちらへ向かおう――として、目の前に瓦礫が落下し阻止された。つんのめりながらも回避して伊織たちの方へと向かう。


「あっちはヤベェ、とりあえずまだ無事な通路に向かえ!」


 出入口側の通路へ向かう余裕はもうない。とにかく崩落に巻き込まれるのだけは回避しなくては。

 バルドがそう叫んだ瞬間、ヨルシャミの「避けろ!」という声が重なった。

「ッな……」

 ミュゲイラに体当たりしたヨルシャミが瓦礫を受けて転倒する。

 伊織の目に映ったのはその瞬間からだ。

 瓦礫が直撃したのは頭ではなかったか。それとも見間違いか。見間違いであってほしい、と伊織が思っている間にヨルシャミの荷物が瓦礫に当たった衝撃で伊織たち側に滑る。

 普段ならヨルシャミに体当たりされたくらいではぐらつきもしないミュゲイラだが、状況の異様さに膝が折れかかった。


「お姉ちゃん!」


 妹の声で我に返ったミュゲイラは間髪入れずにヨルシャミの体を抱き上げる。

 自分のせいでヨルシャミが重傷を負ったかもしれない。

 しかしここで挫けていては助けられた意味がない、と自身を鼓舞しながら。


 血の赤と半開きの目に視線を奪われていた伊織だったが、ヨルシャミの荷物から煌めくものが零れ落ちているのに気がついてハッとした。ニルヴァーレの魔石だ。

(もし壊れたら……)

 あの夜に耳にした会話が脳裏に蘇る。

 魔石が壊れれば今度こそニルヴァーレは死ぬかもしれない。

 ヨルシャミの状態も気がかりだ。今すぐにでも駆け寄って声をかけたい。しかし今はミュゲイラが助けてくれている。ニルヴァーレは音だけでは危機に気づいていないかもしれない。なら自分が助けるべきは彼だ。

 そう決め、全力で飛び出した伊織は瓦礫の破片を背中に受けながら両手で魔石を掬い上げた。

 直後。


「ッうわ!」

「イオリさん! こっちは大丈夫だから逃げて!」


 リータたちと伊織の間を分断するように壁が崩れる。

 今吸っているのは空気なのか砂埃なのか判断がつかない。暗闇の中、それでも視界が更に悪くなったとわかるほど煙が立ち込めるトンネル内を伊織はたたらを踏みながら引き下がった。

 その手をネロが引っ張る。

「もうここはもたない、早くこっちに来い!」

「は、はい」

 ネロに引っ張られ、丁字路の左側の道に向かって走り出す。

 しかし一瞬の間に足場が相当悪くなっていた。バイクに乗ろうにも崩落している真っ只中ではままならない。

 足首を捻りそうになりながら走るも、途中で靴が瓦礫の隙間にすっぽりとはまり込んで前のめりに倒れてしまった。


「おいイオリ!」


 転倒の衝撃で離れた手。それを引き直そうとネロが走り寄る。

 倒れた伊織は手の中の魔石が無事なことを確認してホッとした。ここで割ってしまったら後悔しかない。

 そんな蹲ったような状態から、突如地面までの距離が開いてぎょっとする。

「お前らなぁ、人の心配する前に自分の心配しろよな!」

「バ、バルド……!」

 伊織を小脇に抱えたバルドがネロも掻っ攫うように抱き上げて走る。

 崩落はいよいよ本格化し、もはや振り返っても何も見えない。ヨルシャミたちは、母さんはどうなっただろうか、それぞれ街への道と出入口側に分断されていたように思う。――と。


 そう伊織は再び他人の心配をした。


 伊織のそんな思考を途切れさせるように、突然体を思い切り投げ飛ばされて叫び声を圧縮したような声が漏れる。

 強かに背中をぶつけ、一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。隣ではネロも同じように尻から地面に放り出されている。

 なんで、と視線を上げた先。

 そこでバルドが何とも情けない顔をしていた。


「自分で言ったことが自分にそのまま返ってくるの、なんかカッコわりぃよなぁ」


 砕け、尖った破片が胸を刺し貫いている。

 それそのものが落ちた衝撃で刺さったのではなく、共に落ちてきた他の瓦礫に打ち出されて刺さったのだ。

 人の心配する前に自分の心配をしろ、という言葉はそのままバルドにも当てはまるものであり、伊織と似た気質であることを示していた。そんな二人の明暗を分けたのは運でしかない。

 バルドは一歩二歩と僅かに前進したが、それ以上は足が動かず膝を折った。


「伊織、先行け。大丈夫だ、……大丈夫、お前は生き残れる」

「……!」


 やたら優しい声でそう言われ、伊織はどうにかして名前を呼ぼうとしたが声が出ない。

 ヨルシャミに続いて再び目にした赤い色、それが上から上から我先にと落ちてきた元天井に覆い隠される。

 何がどうなったのか脳が理解するのを拒否していた。

 つい先ほどまで傍にいたのだ。話していたのだ。だというのに、きっとここで名前を呼べたとしても返事はない。


 そうして瓦礫に埋まった空間へ手を伸ばしかけたところで、ネロが無言で手の平で視界を塞いだ。

 そのまま背中を二度軽く叩いて道の奥へ手を引いていく。


 言葉を探しているが見つからない。

 そんなネロの気持ちが伝わり、伊織は上手く思考が出来ないまま大人しくその後をついていったが――いつまで経っても、すぐに瓦礫を退けに走りたくなる衝動は治まらなかった。


     ***


 静夏は腕の上に圧し掛かる瓦礫を横へどける。

 幸い静夏とバントールが退いた出入口側の道は被害が少なかった。それでも未だぴしりぴしりと音が響いており、長居はできないと悟る。

 崩落の轟音により目覚めたバントールはがたがたと震えていた。


「申し訳ありません、申し訳ありません……! 私共がきちんと補強をしていなかったせいで……!」

「バントール、捨て身の攻撃に対処できなかった我々のせいでもある。危ない目に遭わせてすまなかった」


 静夏は仲間の状況を気にしつつも涙を流しているバントールを助け起こす。

 丁字路になっていた空間はほとんどが封鎖状態にあった。その中で街側に抜けられる道――先ほど引き返してきた道側から微かに声が聞こえることに気がついて歩み寄る。

「リータとミュゲか?」

「……! マッシヴ様! そちらは無事ですか!?」

 瓦礫の隙間からリータが慌てた声で問う。

 静夏はバントールと一緒にいることを伝え、大丈夫だと言葉を重ねた。

「こっちは私とお姉ちゃんとサルサムさん、あとヨルシャミさんがいるんですが……」

 リータは一瞬黙ってから声を震わせる。


「瓦礫で頭を打ってしまったみたいで、声をかけても全然反応しないんです」

「暗くてわかりにくいが出血もしている。あまり良い状況じゃないぞ」

「……わかった。ではリータたちは先に街へ向かってほしい。瓦礫をどけられたとしても村医者には手に余る」


 リータとサルサムの報告を聞いた静夏はすぐさまそう判断した。

 トンネルを抜ければ街は近い。未だ不安定な場所で瓦礫の撤去を待ってから村へ引き返すよりは良いだろう、と静夏は言う。リータたちはバントールに口頭で街へ抜ける道を聞き、その場から足早に離れていった。


「案内すらできず……本当に申し訳ありません……」

「大丈夫だ。まずは先に村へ戻り事態を知らせてはくれないか、私はある程度瓦礫の撤去を出来ないか試みてみる」

「も、もし再び落盤したら」

 静夏は意図的に優しい笑みを浮かべて言い切った。

「私ひとりならどうとでもなる。むしろ他の者を守りながらの方が難易度が上がってしまうのでな」

 はっとしたバントールは「わかりました……!」と頷き、鼻を啜りながらも村へと急いで走っていった。

 それを見届けた静夏は瓦礫に向き直る。


 私ひとりならどうとでもなる。

 しかしここにはまだ他の仲間がいるかもしれない。


 伊織、ネロ、バルドの名は出なかった。逃げたとすれば残る一本の道だろうか。

 もしかすると生き埋めになっている可能性もある。

 試しに声をかけてみたが、リータたちのように返事は返ってこなかった。

 再び崩れる可能性があるため、大掛かりな撤去はリータたちが十分に離れたのを確認してからにしよう。


 そう思い、静夏は手近な少量の瓦礫だけを横にどけていたが――


「……む?」


 瓦礫の中から小さな呻き声が聞こえた。

 本当に人が埋まっている可能性が高いとわかったなら話は別だ。

 静夏は重い瓦礫をひょいひょいとどかし、可能な限り慎重に進みつつもスピードを上げていく。するとある瓦礫の下から腕が出てきた。

「……! バルドか!」

 袖からそう判断し、重傷を負っていることを懸念し素早く瓦礫を撤去する。本来は瓦礫が怪我の止血をしている場合があるため一般人がむやみにどけるのはご法度だが、状況が状況だ。

 静夏はバルドの姿が見えるなり様々な方法で止血することを想定し手を進めたが、岩の下から現れたバルドは。


「あー……頭いッてぇ……」


 横になった状態のまま、そう唸るように言いながら自ら無傷の上半身を起こしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る