第117話 協力:ウサウミウシ

 試すまでもなく無理なのは目に見えていたが、律儀にも大岩に腕を回そうとしたネロは数分後潔く負けを認めた。

 他の勝負に切り替えてもいいと提案したのだが勝負は勝負だから、ということらしい。ミュゲイラの時といい素直すぎる。


 残るはヨルシャミと伊織の二人のみ。


 伊織は少し不安を感じていた。

 あのヨルシャミだ、魔法関連で静夏とは別角度からの無茶振りをするのではないだろうか。

 もしそうならネロはもちろんのこと、ヨルシャミ自身も心配である。どうか魔法に関連しないものでありますように、と心の中で祈っていると「それでは」とヨルシャミが口を開いた。


「私との勝負はウサウミウシに協力してもらうとしよう」


 恐らく魔法に関係ない。

 関係ないが、関係なさすぎて一体何に協力させるのか予想できない、と伊織は適切なリアクションが思い浮かばす言葉選びに迷った。

「ウサ……ウミウシ?」

 なんだそれ、という顔をネロはしている。ウサウミウシ入りのカバンはブルーバレルにも持ち込んでいたが、そういえばウサウミウシそのものは見せたことがなかった気がした。

 こいつです、と伊織がカバンからぬるりとウサウミウシを抱き上げるとネロはぎょっとした顔で飛び退いた。


「あっ、魔獣じゃないんで安心してください。凄まじく防御力が高いこと以外は無害なんで……!」

「いやそもそも何だそれ!? 生きてるのか!?」


 さっきまで眠っていたのか疑問符を沢山浮かべているウサウミウシ。

 そんなウサウミウシを指して伊織はごく簡単な説明だけ行なった。混乱していたネロは「そんな経緯でこっちの世界で繁殖してる奴もいるのか……」と一応は納得する。


「繁殖してるとは限りませんけどね。それで、その……このウサウミウシを使って何の勝負を?」


 不思議そうにしている伊織を見て、ヨルシャミはふふんと笑って言った。

「私の得意分野といえばもちろん魔法だ。しかし今の私が魔法を使おうとすると超スーパーウルトラ心配性な皆が心を痛めるであろう?」

「スーパーウルトラ心配性……」

「故に何にしようかと考えていたのだが――ここはウサウミウシを呼んで、先に寄ってきた者を勝ちとする勝負に挑もうと思う」

「つまりウサウミウシ呼び寄せ勝負!?」

 前世ではよくペット番組などで見かけた企画と同じものだろうか。

 そう驚く伊織の両手の上でウサウミウシはきょとんとしている。


「そうだ。まあ私もこやつに好まれているわけではないが、共に旅をしてきたことは確か。しかも何度か交流は行なっている。ある意味ネロよりは得意分野と言えるだろう?」

「それはそう……だけど、なんていうか……」


 勝負の解釈が凄まじく偏っている気がする。

 ネロはそれでいいのだろうか。

 そう思い視線を送ると、伊織が何を言わんとしているのか察したネロがしばし迷った末に口を開いた。

「し、勝負は勝負だからな!」

「よーし! では準備をするぞ、しばし待て!」

 提案を呑んでもらえたことに機嫌が良くなったのか、ヨルシャミはそう言うと楽しそうに準備を始める。


「……その、なんかイメージしてた勝負と違ってたらすみません」

「お前が謝ることじゃないだろ。それに……その、あの子も不調なら俺たちが動かなくて済む勝負はもってこいだろうしな」

 そうなのだ。ヨルシャミ自身は動く必要がないため、勝負内容としては伊織たちも安心できる。

 ヨルシャミも一応は仲間たちの気持ちをおもんばかっているということだろう。


 そうこうしている間に静夏らの協力もあり、ウサウミウシ呼び寄せ勝負の舞台が整った。

 とはいえ屋外にウサウミウシ用のご飯や気を引きそうなものを用意し、並んで座るネロとヨルシャミから直線で五メートル離れたところにウサウミウシを抱いた伊織を配置しただけだが。


 小道具はいくら使ってもOK、使い方に制約もなし。勝負は一回勝負。

 ウサウミウシが体に触れた段階で勝利。

 伊織がウサウミウシを地面に置いた瞬間にスタート。

 ――そう決めた上で、ウサウミウシ呼び寄せ勝負の火蓋は切られた。


「ウサウミウシよ、見ろ! お前の好きなオレンジだぞ!」


 ヨルシャミが色艶やかなオレンジを高く掲げてみせる。

 なお、ウサウミウシにとっては大抵のものは好物だ。調味料の沁みた布さえ口にする。

「えっと……ウサウミウシ! 俺はネロだ。じ、自己紹介も兼ねて一緒に遊ばないか?」

 ネロはリボン付きの棒をひらひらと揺らしてウサウミウシを呼んだ。

 果たして人語が通じているのかはわからないが、初めて見る人間、且つ友好的であることを感じ取ったのかウサウミウシが興味を示した。

 そのままバウンドしてぺったんぺったんと音を立てて近づく。ここだけ見るとウサギ感の方が強い。

 しかしこの移動方法は疲れるのか、途中で地面を這う方に移行した。ついでにその瞬間興味が掻き消える。


「なんか道端の草食ってる」

「ああいうのを見ると召喚されたものだとしても動物なんだなって思うわね……」


 ミュゲイラとリータ姉妹がそう呟く中、ヨルシャミは「草よりこっちを食べろ!」と今度はリンゴを持ち出していた。

「普段はあれだけ食いしん坊なくせに見向きもせぬとは!」

「さっき昼食を済ませたからかもなぁ」

「はっ! しまった、タイミングが悪かったか……では草はなぜ食べているのだ!?」

「多分別腹か食後のミントガム的なアレ……?」

 ミントガムとは何だ!? という部分から理解できないまま、では他のものをとヨルシャミはガラガラと音の鳴るオモチャを取り出す。

 ウサウミウシとの距離は残り二メートルほど。遊びに興味があるかどうかはともかく、顔見知りのヨルシャミが呼べばあっという間に近寄っていく可能性がある。


 ネロはリボン付きの棒を手放しつつ考えた。


 さっきの反応を見る限り、長続きはしないものの好奇心旺盛な生き物のようだ。

 どうにかして再び興味を――思わず近寄りたくなるような興味を引けないものか。


(……さっきイオリは群れを探してるって言ってたな)


 ウサウミウシの説明を受けた際にネロはそう聞いた。

 どのような生態を持っているのかはわからないが、少なくともウサウミウシは群れというコミュニティを作って生きる生き物だということだ。

 イチかバチかだ、とネロは深呼吸すると苦しげに叫びながら胸を押さえてその場に倒れ込んだ。

 ぎょっとした伊織が駆け寄ろうとするも、ネロが手の平を向けて制止する。――そう、これは演技だ。

 しばらく地面でもがいていると『友好的な生き物』が苦しんでいることに気がついたウサウミウシがのろのろと近寄ってきた。そのままふんふんと匂いを嗅ぎつつネロの様子を窺う。

 ネロはぎゅっと閉じていた目をうっすらと開き、視界の端の端、自分の腕にオレンジ色がそっと触れたのを確認すると両目を開いた。


「――よし、勝っ……ッうぉわァっ!?」


 勝利宣言をした瞬間、目の前にウサウミウシの顔だけあって意図せぬ奇声が出た。

 体からは少し距離がある。

 つまりここまで顔だけが伸びてきているのだ、と理解すると同時に腕をウサウミウシの体が這い、その感触にネロは総毛立った。平たいというのにきゅっと肌を掴むように吸い付いている。巨大なカタツムリが強制的に脳裏に浮かんだ。

 しかも冷たい温度のせいで触感が研ぎ澄まされ、細やかな動きがすべて伝わってくる。

 以前同じ目に遭ったことでネロの心中を細やかに察した伊織は、ウサウミウシが更に腕を這い上がる前に素早く回収した。「首を這われるのだけは体験させてはならない」という使命感と共に。


「……たまに夢に見るかもしれませんけど、その、慣れるので」

「勝負が終わってからそんなアドバイスを受けることになるとは思ってなかったぞ!」


 そう言いながら勝者のはずのネロは自分の腕をさすって眉を下げた。

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