第82話 伊織、撫でさせられる

「ここはロスウサギの寝床か……?」


 寝藁の上で寝そべるロスウサギを見ながらヨルシャミが興味深そうに言った。

「うん、今日ブルーバレルでベリオットさん……僕らが取り返したロスウサギの持ち主のひとりが来てさ、見学しに来てもいいって誘ってくれたから先輩と行ってきたんだ」

「ロスウサギ――ふぅん、僕が訪れた頃はまだ一部の物好きしか飼育してなかったが、こうして大々的に育てられるくらいにはなったのか」

 ニルヴァーレはロスウサギの耳をしげしげと眺める。

 人間の腕ほどの長さがあるため耳だけでも中々の迫力だ。耳は音のする方向へくるりと向きを変え、ニルヴァーレは鼻から抜けるような声で笑った。


「耳の毛細血管まで綺麗に再現されてるじゃないか。イメージの投影は下手じゃないようだな」

「よ、よかった……。っと、ここでちょっと気になることがあって」

「気になること?」


 伊織はヨルシャミと手を繋いだままロスウサギを撫でてみせる。

 記憶から再現されたロスウサギはあの時と同じようにとろんと溶けて心地良さそうな顔をした。

「テイムはされないものの動物だとこうなるんですが、人間相手でもなんか……こう……変な感覚があるらしくて。サモンテイマーのテイムって召喚されたもの以外には効かないんですよね?」

「ああ、そのはずだ。が、イオリは色々と規格外だからな……ヨルシャミは何か心当たりはないのか」

 口を半開きにしていたヨルシャミはニルヴァーレに呼ばれてやっとはっとした。

 そしてすぐに答えるでもなくぶつぶつと呟いたかと思えば更に重ねてはっとする。


「あの奇妙な感覚はそれが原因か!」

「奇妙な感覚……?」

「ああ、うむ、あー……妙にむずむずとするのだ。あとは、……こ、……心地良いというか、まるで母に撫でられているような何とも言えない気分になる」


 初めは撫でられ慣れていないからだとヨルシャミは思っていたそうだが、やはり普通の人間による撫でるという行為とは一線を画していた。

 伊織に撫でられることにより人間はテイムされないが、影響はある。

 もしかするとテイムされる対象はこの感覚の何十倍も凄いものを味わっているのかもしれないな、とヨルシャミは無意識に自分の頭に触れながら言った。


「なるほどなるほど。イオリのテイムは撫でるという行為が必要だが、条件を付加することで更に強力になっているように見える。普通は僕の召喚したものを上書きテイムなんてできないんだぞ? しかしその強力さ故に動物や人間まで『撫でる』という行為を挟むと影響を及ぼしてしまうわけだ」

「テイムそのものをするわけではない以上、どの程度影響を及ぼすかは相性次第であろうが。……あ、いや、私がイオリと相性が良いとかそういう話ではないぞ!」


 訊いてもいないというのに否定をし始めたヨルシャミの隣で「そうだ!」とニルヴァーレが何かを閃いた顔をした。

 どうにも何らかの名案が浮かんだようには見えず、伊織は半歩後ろへと引く。

 大分世話になったため慣れてきたものの、やはりニルヴァーレから自分に向けられる巨大な興味や執着心は少し苦手で警戒してしまう。しかしそんなの失礼だぞ、と思う自分もいるわけで、伊織は自身を心の中で叱りつつ足の位置をじりじりと戻した。

 するとニルヴァーレは嬉しそうにこう提案する。


「イオリ! 物は試しだ、僕のことも撫でてみろ。さあ!」


 警戒を解くのは早かった!

 そう嘆きながら伊織は今度こそ二歩下がって更に一歩下がったが、頭を指しながら近寄ってくるニルヴァーレは止まらない。

 その後ろでヨルシャミが生暖かい目でこちらを見ているのが見えた。なぜかヨルシャミはこういう時に助けてくれないことが多いが、止めたところでニルヴァーレは聞かないと知っているからだろうか。


「スススストップ! ストップ! そんな勢いで来られたら引っ繰り返りそうです! あと普通に手が届きませんから!」


 ニルヴァーレとの身長差はなかなかのものだ。自分がこの肉体で成人しても追いつけないのでは、と伊織は高頻度で思う。

 ああそうか、と納得したニルヴァーレはその場でしゃがみ込んだ。

「これならいいだろう、ほら」

「う……!」

 無理な理由を提示してしまったせいで、それを解決され撫でる流れに乗せられてしまった。

 伊織は唸りつつ悪足掻きをする。

「……でもニルヴァーレさんは魔石と同化した存在ですし、人間と同じ効果が出るかわかりませんよ?」

「その検証も兼ねてるに決まってるだろ」

 悪足掻きは一瞬で終わった。

 あまり嫌だ何だと言うのもそれこそ失礼だろうか。そう考えた伊織は意を決してニルヴァーレの頭を撫でた。

 ヨルシャミの場合は少女の外見であるため抵抗感はなかったが、自分より年上の同性を撫でるというのは変な気分だ。


(うう、しかも髪質が良い……、……僕もハネてるんじゃなくてこういう髪質だったらよかったのになぁ)


 思考が反れた瞬間。

 ニルヴァーレがその場に尻もちをつくよりにして伊織の手の平から離れた。その表情が驚きに染まっていたのを見て伊織は慌てる。


「えっ、あれっ、すみません、髪の毛でも引っ掛けちゃいまし――」

「危なかった! 驚くほど真正面からテイムされかかったぞ!」

「んんっ!?」


 苦し紛れに言ったものの危惧していたことが当たるとは思わなかった。

 あのままニルヴァーレが逃れられなければ人間……に限りなく近いものをテイムしてしまっていたのだろうか。そう思うとひやりとした。

 ヨルシャミが怪訝そうな顔をして言う。

「召喚されたもの、なんて要素などひとっつも無いというのに? やはり不可思議で不安定な存在になっているせいか……」

「冷静に分析しないで!?」

「そうだぞヨルシャミ。いやしかしテイムされかかるという目新しい体験ができたのは僥倖だけどね! あとたしかに撫でられると奇妙な感覚があったな……母に撫でられた経験はないが、こういう感じか……あと」

 伊織はテイムされかかった人物が一体何を言うのだろうかと身構える。

 そして――


「くすぐったかった」

「やっぱりくすぐったいんですね!?」


 ――身構えた体勢は、そんなツッコミで脆くも崩れ去った。

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