第71話 ネロの事情
伊織から見たネロは素直に「すごい」と思える人間だった。
ややぶっきらぼうな物言いだが接客に隙はなく、注文を取るところから配膳、テーブルの清掃までとても早い。
体幹がしっかりしていて判断力もあるんだろうな、とそう分析しつつ、自分も負けていられないと伊織は教えられたことを三日かけてひとつひとつ確実に覚えていった。
ただしネロも完璧人間ではない。
時折伊織がびっくりするようなドジを踏み、そんな時は年相応の少年に見えた。
(まあさすがに今日のは一体何がどうなってこうなったんだって思わずツッコみそうになったけど……)
なんとトレイを取り落としそうになった拍子にロウスサギ肉定食に付いていた特製ソースのみを跳ね上げてしまい、果てはそれを脳天でキャッチするはめになったのだ。見事なネロのソースがけだった。
それは丁度昼の休憩時間の直前だったため、ネロはそのまま謝りつつ頭を洗いに裏手へ引っ込む。
大丈夫だろうか、と気になった伊織は自分も休憩に入ると店の裏にある井戸の方面をそっと覗いた。
「あの……」
「ああ、イオリか。恥ずかしいところを見せたな」
頭を洗い、首にタオルをかけたネロが井戸の傍らに背を預けてサンドイッチを齧っていた。
すでに両手の指の本数分は『恥ずかしいところ』を目撃していたが、今は口にしないことにしておく。
「完璧にこなしてると思ってもすぐこうだ。油断してるつもりはないんだけどなぁ……」
「た、たまたまですよ、さっきのだっていつもよりトレイの上の食器が端に寄ってたからでしょうし」
言うか言うまいか迷った後、それに、と伊織は続けた。
「沢山色んなことを教えてくれるし僕にとっては先輩ですけど……ネロさんも新人なんですから、失敗しても仕方ないと思うんです」
「まあそれはそうか……よし、あと数日だ、落ち込んでないで頑張るか!」
数日? と伊織が聞き返すとネロは「そうだ」と頷いた。
聞けばネロもとある目的のために旅をしており、ここで働くのも期間限定なのだという。
出発日は伊織が辞める一日後。似た境遇であることに気がついた伊織は年代が近いこともあり一気に親近感を抱いた。
「僕もその一日前までなんです」
「そうなのか、やっぱこの街は短期が多いな。――イオリは親が行商人とかそういうやつか?」
「うーん、ちょっと違うんですけど……母さんと、あと仲間と一緒に旅をしてます。ネロさんは?」
「俺は一人旅」
一人旅! と伊織は感心して少し大きな声でオウム返しに言った。
「凄いじゃないですか、僕とそんな違わないのに一人で旅なんて……!」
「す、凄いか? ……まぁ目的があったからな、これくらいできなきゃ目的達成なんかできないし普通普通」
どことなく嬉しそうにネロは曲げた人差し指で鼻の下を擦った。
しかし自分より年上といっても前世の伊織から見れば年下の少年である。
そんな少年が一人旅をするに至った『目的』とは一体何なのだろうか?
訊ねるのは憚られる質問だったが、流れ的に訊いても怒られなさそうだ、と判断した伊織はネロの隣に腰掛けて口を開く。ついでに自分も宿で用意してきたトーストを取り出した。
「その、もし失礼な質問だったらすみません。ネロさんの目的って一体何なんですか?」
「気になるか?」
じっとネロがこちらを見る。
やはり訊ねないほうがいい内容だっただろうか。そう伊織は自分の読みの甘さを悔やみつつ、引くに引けないため頷いた。
「そうかそうか、そうかー……気になるかー……」
(あ、これ訊いてほしかったパターンだ)
ほっとしつつも言葉の続きを待っていると、ネロはサンドイッチの最後の一口を口に放り込んでから言った。
「……俺の両親ってバカでさ。自分たちがどれだけ愚かなことをしたか思い知らせるために俺がやらなきゃならないことがあるんだ。その第一歩のためにとある人物を探してる」
「愚かなこと……?」
「イオリなら代々大切にしてきた先祖の持ち物を売られたり質に入れられたらどう思う?」
伊織はぎょっとした。話の細部はわからないが、家宝やそういったもののことだろうか。
もしそういう類のものなら――独断で売られれば思うところはある。それが例え両親であり、自分がまだ子供だとしても。
しかし同時に思うこともあった。
「……驚きますけど、まずは何か理由があったのかなって思います」
「第一にそう思えるくらい信頼してるのか、お前んとこの親はまともなんだな」
ネロは「うちのは前科がありすぎて信頼なんかできなかった」と視線を落とす。
「酒代と借金返済のために全部全部手放したんだ。自分の先祖が何をしてきたかわかってるはずなのに」
「……ネロさんの先祖って、その」
「ああ、俺の先祖はき――」
ネロがそう言いかけた瞬間、裏口が慌ただしく開いて店長が顔を出した。
「ごめんなさいふたりとも、まだ休憩時間中だけど来てもらっていい? 突然団体さんが来ちゃって大わらわなの……!」
「団体!?」
「そう、団体さん十四人!」
「予約なしで!?」
予約システムが浸透していないため仕方ないが、それはたしかにてんてこまいだろう。
伊織は急いでトーストを口に押し込んで店長の元へ向かう。
「ありがとう、休憩の続きは後でとっていいからね。あと明日の朝のまかないは奮発するわ!」
「頑張ります!」
「ネロ君も失敗のことは気にしないで。引き続きお願いね」
擦れ違いざまに店長からとんとんと背中を叩かれ、ネロは「はい!」と頷いて伊織と共にホールへ戻っていった。
客足が落ち着いたのは昼を大きく回ってからで、普段より集団の客が多かったため今までの中で一番くたくたになった。
だが精神的にはまだ余裕がある。今夜はこっちからヨルシャミとニルヴァーレに訓練をお願いしよう、と考えながら帰路についたところで伊織はハッとする。
(そういえばネロさん、結局話の続きをする余裕がなかったけど……何て言おうとしていたんだろ?)
き、なら貴族などだろうか。
その昔貴族だったが今は平民で、その誇りを忘れてその日暮らしのために遺品や家宝を金に換える……という感じならネロの憤りもなんとなく理解できる。
(またタイミングが合えば訊いてみようかな)
普通ならあまり根掘り葉掘り聞くのは好ましくないが、見たところネロは話すことでストレス発散ができるタイプのように思える。もし話し相手になれるならなりたい。
そう思いながら振り返ると、丁度暗い夜道の先で閉店したブルーバレルの灯りが消えるところだった。
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