第68話 バルドの伝言
前門の虎、後門の狼を本来の意味ではなく字面通りの意味で受け取ったような状況だ。
伊織が恐る恐る振り返ってみると、拳を構えたミュゲイラは狼の目をしていた。
やっぱり後ろに狼がいた。
対するバルドは驚いてはいるものの、凄まじい拳圧の主が健康的な筋肉の女性だと気づくとへらりと笑う。――あ、これ相手の神経を逆撫でするやつだ、と伊織は本能的に感じ取った。なぜここで笑ったんだと顔面を手で覆いたくなるほどだ。
「肉体美の素晴らしいお嬢さんじゃねぇか、女の子からなら手荒い歓迎もドンとこいだぜ!」
「うわああああっマッシヴの姉御! これ脳のどっかがブッ壊れてるタイプの人間っすよ! いやもう脳みそ下半身に移動してんじゃないですか!?」
バルドは乱れた服を整えながら決め顔で言う。
「俺は女の子とねんごろになるのが目的じゃねぇぞ、女の子と食事したりお喋りしたり遊んだりしたいだけだ」
「なんか余計にヤベェ奴っすよこれ!!」
「純粋じゃないか」
「純粋なのは姉御っす!」
とにかく! と仕切り直したミュゲイラはキレの良いファイティングポーズでバルドに向き直った。
「いくら怪我人……怪我人? でも姉御に付く悪い虫なら叩き落すからな!」
「女の子に叩き落されるのか……悪かねぇな……」
バルドの無垢な言葉にファイティングポーズのまま総毛立っているミュゲイラを見兼ねたのか、サルサムが「まあまあまあ」とわざと大きな声で言いながら割って入る。
「バルド、あんまりセクハラじみたこと言うな。お前のそれは初対面の女性には切れ味がありすぎる」
「そうか?」
「そうだ。それに聖女たちも見舞いに来たんだろ? いくら『挨拶』でも病院で暴力沙汰は控えないか。拳以外でも語ることはできるんだから」
「そ……そうそう、母さんもミュゲイラさんも一先ず落ち着こう。ここにはお見舞いに来たんだからさ」
はっとした静夏が「それもそうだ」と一歩前へ出た。
「すまなかった、非礼を詫びよう」
そのまま頭を下げた様子を見てミュゲイラはわたわたとすると同時にバルドを睨むという器用な仕草を披露したが、深呼吸すると腕を下ろして静夏と並んで頭を下げる。
「……わ、悪かったな、今度から時と場所は選ぶ」
(条件が合う場合はバトルが勃発するってことか……)
なるべく合わないでほしい、と伊織は心から思った。
きょとんとしていたバルドだったが、ぼりぼりと頭を掻くとこちらも素直に謝る。
「こっちも悪かったな、イイ女がふたりも現れてテンション上げすぎちまったぜ」
「あのな、いくら褒めてても押しが強いと嫌がる人もいるんだから気をつけろよ」
半眼になってそう言うサルサムを伊織はそろりと見上げた。
あんな目をしているが、双方に対してなるべく柔らかく言おうという配慮があった。
――この人はツッコミとセーフティー役らしい。そう認識した伊織はホッとしつつもサルサムの負担を減らすべく軌道修正を試みる。
「あっ、これお見舞いの品です。店の人が甘いって言ってたんで、食事制限とかがなければデザートにでもどうぞ」
「おお、ありがとな伊織!」
ひょいっと横から元気よく受け取るバルドはやはり何度見ても健康体そのものだった。
敢えて異常のありそうなところを挙げるなら少し髪がボサついているかな、というところくらいだが、これは寝ぐせかもしれない。
「あの、そういえば……」
「訊いても大丈夫だぞ」
何かを察したサルサムが頷く。
お言葉に甘えて伊織はようやくそれを口にした。
「……大怪我っていうのは……?」
「嘘じゃない。事実だったんだが……回復魔法を使う腕のいい魔導師でも居たんだろうな、この通りだ」
喜んでいるというよりは「余計なことしてくれたな、チッ!」とでも言いそうな顔をサルサムはする。気持ちはわかると伊織は目を閉じた。
しかし魔導師、それも回復魔法を使える者ともなると稀少だ。そんな人がいるなんて凄いなと気になりつつも、何はともあれ無事なら何よりだと胸を撫で下ろす。
すると今度はサルサムから伊織に問い掛けてきた。
「……確認しておきたいんだが、本当に俺たちと敵対しようって気はないんだな? そっちの聖女も」
「もちろんだ。……伊織から話は聞いた。報復ならば個人としては受けるが、仲間に危害は加えないでほしい。これを守ってもらえるなら敵対はしないと誓おう」
「そこまで言わなくても大丈夫だ、べつに雇い主の死に思うところがあるわけでもないしな」
「そうそう、ビジネスパートナーとしちゃ良い奴だったが敵討ちしようとまでは思わねぇよ」
「う、うーん、ニルヴァーレさんの言ってた通りだなぁ」
伊織の言葉にバルドとサルサムは顔を見合わせる。
「……? 今際の際に俺たちのことでも話してたのか?」
そんな物好きには見えなかったが、という表情だ。ニルヴァーレなら今際の際に話すとすれば自身のことかヨルシャミのことか美しいものに関する何かだろうと予想していたらしい。
「あっ、と……じつはそれについても説明しに来たんだけど……」
自分以外で実際に夢の中のニルヴァーレに会っているヨルシャミにも同席してほしかったのだが、状況的にそれは叶わなさそうだ。
仕方ない、自分が話そう。
そう腹を括った伊織は要点を可能な限りわかりやすく纏めるべく、大きく息を吸い込んで深呼吸した。
「自分から魔石になったぁ!?」
「しかもその状態で生きてるのか……」
「は、はい、生物の枠から外れてるので生きてるって言えるかわかりませんけれど」
――事の経緯とニルヴァーレの現状、そして夢を介して自分の先生をしていることを伝えるとバルドとサルサムは明らかに口元を引き攣らせた。
「何にせよあれを先生なんてポジションに据えられるなんて……凄いな、イオリ……」
「まぁ僕の意思で据えたんじゃないんで……」
「我慢してられるのもスゲェよ」
大人の男性にここまで褒められたのは初めてだ。純粋な意味での褒め言葉ではないだろうが。
そうそわそわするような納得してしまうような気分になりながら伊織はニルヴァーレのフォローを入れる。
「で、でも一度先生をするって決めたニルヴァーレさん、かなり教えるのが上手いんですよ。ヨルシャミはスパルタなんですけどニルヴァーレさんは褒めるところは褒めてくれますし、教材も手作り感が凄くて力が入ってますし!」
度が過ぎるところもある、ということは伏せつつそう言うとふたりが鳥肌を立てたため、伊織は笑みを作って口を噤んだ。
褒めながら撫でてくることも今は伏せておこう。
「あ、ならあいつに伝言頼んでもいいか?」
ふと思い立ったバルドが伊織を見てそう訊ねた。
「伝言?」
もしや報酬の支払いがまだだったのだろうか。
そう思っているとバルドが伊織に耳打ちするように言う。
「私物どうしたらいい? って」
「し……しぶつ?」
まさかの単語に舌足らずで聞き返すとバルドもサルサムも頷いた。
「あいつに荷物番頼まれてたからよー、旅の荷物一式が手元にあるんだわ。手放しても良いんだが、ほら、なんか死人の荷物売り払うとかアレだろ?」
「だから持て余してたんだよ」
「ああ、なるほど……。わかりました、次の訓練の時に訊いてみます」
伊織がそう快諾すると、バルドは「そんじゃ宜しくな!」とわしゃわしゃと伊織の頭を撫でた。
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