第44話 名前のない執着
――リータと出会う十数分前のこと、ワイバーンで森の上空を飛んでいたニルヴァーレたちは大きな川を見つけた。
ワイバーンには隠蔽魔法をかけてあるため、水面には自分たちの影ひとつ落ちていない。
「ラスビータ山から流れている川だな。僕の予想じゃあこの周辺も怪しいと踏んでるんだが」
「そんな細かい範囲まで絞れてたんですか」
「いいや、予想は予想、ただの予想だよ。……お前たち、あの日はいくつかの場所を巡って魔石を採ってきただろう？ その産地以外に無駄足は？」
踏んでません、とサルサムははっきりと答えた。
バルドは何度か近隣の村に赴いて酒の一杯や二杯、なんなら女性を口説いてランチくらいは食いたいなどと言っていたが、その都度サルサムが軌道修正し何とかやってきたのだ。
「ならばいずれかの産地であの虫をつけられたんだろう。何故ナレッジメカニクスとバレたかは……まあ今回は不問としよう」
どこで何を喋ったかなど数日経った今では記憶も朧げだが、人の気配がないからと勝手気ままに話した自覚のあるサルサムは目を逸らした。
逆探知で絞れた範囲内にある産地は三つ。そこから徒歩もしくは馬で逃げてもこの広大な森で移動速度は鈍くなる。こちらの方角に逃げていれば、だが。
「この周辺で見つからなければ他の予想先を当たるだけだ。いわゆる虱潰しというやつだが……お前たちも仕事ばかりで暇をしていたなら良い気分転換になるだろう？」
「これも仕事ですけどね」
小声で答えつつサルサムは恐々下を見る。
バルドはすでに慣れきって寛いでいるが、サルサムは未だにワイバーンでの移動に慣れられないでいた。体が無意識に強張って普段筋肉を使わない個所が筋肉痛になっている。
（それに……たまに下に降りて探すことはあるけど、基本的に飛んでばっかりなんだよな。こんな高さからじゃ下に人間がいるかどうかすらわからないぞ）
ニルヴァーレは何かしら魔法で補っているのかもしれないが、少なくともサルサムは同行している「だけ」だ。
「……俺らは何の役割を担うために呼ばれたんですか？」
堪えきれずにそう訊ねると、ニルヴァーレは単純明快な返答をした。
「捕らえたヨルシャミを運ぶための人員だよ。魔法で拘束してもいいんだが……彼がどういう状態かわからないからね。もし衰弱していたら致命傷になりかねない」
そこでお前たちだ！ とニルヴァーレはサルサムとバルドを指す。
「ヨルシャミはああ見えて人道的でね、あれだけの力を持った魔導師には珍しい。ごく一般的な人間のお前たちに拘束させれば無駄な抵抗をしないと思ったんだ。衰弱してるのに手あたり次第抵抗したら一般人なんか下手すると殺しかねないし」
「クソみてぇな役割だな！」
バルドが思いきり本音でツッコミを入れたが、ヒヤヒヤするサルサムをよそにニルヴァーレはさほど気にしていない様子だった。
「成功すれば追加報酬を弾むから頑張ってくれ。それに、まぁあまり想像はできないが――他の幹部もお前たちを評価するようになるかもしれないぞ。出世し更に稼ぎたいだろう？」
「……？ なんでですか？」
評価されるのはありがたい。
しかしヨルシャミを捉えることがナレッジメカニクスの幹部からの評価に繋がる理由がわからず、サルサムは緩く首を傾げた。ニルヴァーレは不思議そうな表情をした後に納得したように言う。
「なんだ、わからずについてきたのか。ヨルシャミは北の施設から逃げ出した古代の魔導師と呼ばれている者だ」
初めに捕らえた際に僕もその場にいた、と付け加えたニルヴァーレにサルサムは目をぱちくりとさせる。
なるほど、逃げだした重要人物を捕えればそれは評価されるだろう。しかも古の魔導師はナレッジメカニクスが欲している情報を持っていたものの、眠りから目覚めないため優先順位が下げられていた。
それが目覚めた状態で捕らえられたとなれば、ナレッジメカニクスとしても話は別というもの。
しかし――とサルサムは視線を落とす。
べつにナレッジメカニクスに評価してもらいたいわけではない。家族のために金を稼ぐパイプさえあればいいのだ。
先ほどニルヴァーレが言った通り得る金は増えるかもしれないが、その確証はない上に身一つでこなせる仕事は限られてくる。
そして現在のニルヴァーレから与えられる仕事の頻度と報酬額には満足していた。
確立された稼ぎやすい仕事に余計な依頼が舞い込み、慣れない仕事をし、だというのに結果的に稼げた金額は以前とそう変わらない可能性も高い。
そんなことを考えていると、先日ニルヴァーレに言われた主体性がないという言葉が胸の中に去来して思わず頭を横に振った。
これは流されてのことではない。自分の頭で考えていることだ。
「大雑把な噂話しか知らないけどよ、そのヨルシャミになんでそこまで執着してるんだ？」
サルサムが悩む横でバルドがそんな疑問を投げかける。
ニルヴァーレは当たり前の常識を訪ねられた人間のような顔をした。
「……見ての通り僕は僕が大好きだ。この上をゆく人物はいないと思っている。まあその分周囲の人間に対しての執着が希薄でね、お前たちだってしばらく会わなければ存在ごと忘れる自信がある」
「世にも奇妙な自信だなぁ……」
「そんな中、ヨルシャミだけは違った。彼は僕の父の弟子だったんだ。おかげで成長を間近で見ることができた」
ニルヴァーレは両手の平を天に向けながら昔のことを思い返す。
「潤沢な魔力、魔力操作の精巧さ、魔法の知識の豊富さ、アレンジを利かせる機転の良さ、すべてが素晴らしいと思ったのさ！ そして、……」
ニルヴァーレは何かを言いかけて言い淀む。
しかしそれも僅かな間で、違和感なく言葉を繋げた。
「僕は嫉妬しながらも欲した。ヨルシャミを手元に置いておきたいと。……ああ、勘違いしないでおくれよ。恋情とかそんな人間的な感情からではない」
そもそも恋情はよくわからないからね、と目を細めて付け加えながらニルヴァーレは口角を上げた。
その顔はサルサムたちがこの数年間で目にしたどの表情とも異なっており、それ故に本心を語っているのだと伝わってくる。
ニルヴァーレはそんな空気の中である言葉を発した。
「ヨルシャミの元の肉体。あれも僕が保管している」
「――え、元の……」
なんだって？ と聞き返す前にニルヴァーレが川沿いに何かを見つけたのか身を乗り出す。
「フォレストエルフか……？ なら森の隠れ家に詳しいかもしれない。話を聞いてみよう」
「ここから見えるなんてどんな魔法使ってんだよ……！」
「魔法？ 使ってないぞ、ただ肉眼で見てるだけだ」
サルサムはなぜか余計に恐ろしい情報を得てしまった気がした。
三人を乗せたワイバーンはゆっくりと降下し、地面に降り立つ際にひと羽ばたきだけしてから着地する。
ワイバーンはそのままいつもの人間の女性の姿になった。
悲しきかな、探索中も何度かこの姿を見ていたため『ニルヴァーレの侍女』という認識が『ワイバーンの擬態』で上塗りされている。
「よし、荷物の番をしていろ」
ニルヴァーレはワイバーンにそう命令し、身軽な足取りでフォレストエルフの居た方角へと向かった。
すでにその場から離れてしまったかもしれないが、まだ留まっているなら川沿いに進めばこちらの姿が見えるはず。そう考えながら歩いているときょろきょろと辺りを見回している少女の姿が見えた。
長い耳が特徴的なフォレストエルフだ。決して少ないわけではないがサルサムは久しぶりに見た。
そんな彼女へ近づき、ニルヴァーレが親し気に片手を上げて声をかける。
「そこのお嬢さん、少しお尋ねしてもいいかい？」
声をかけられた少女は目を丸くしていた。
片手には重そうな皮袋を持っている。川に水を汲みにきたところだったのだろう。
いくらなんでも一人でいる時に男性三人に話しかけられたら警戒してしまうのでは、とサルサムが気にした瞬間だった。
木々の間を生める茂みががさがさと揺れ、何者かが顔を出す。それは緑色の髪をした少女だった。どうやらその少女はベルクエルフらしい。
二種のエルフが同じ場所にいるんて珍しい。
「あー……リータ、よく考えてみれば私をひとりにすまいと来てくれたお前を置いてゆくなど愚行も愚行だった、許――」
緑髪の少女はフォレストエルフの少女に声をかけようとし、しかし途中で視線をこちらに向けて大きく目を見開いた。
そしてよく通る声で間髪入れずに叫ぶ。
「――そやつがニルヴァーレだ！！」
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