第11話 ミュゲイラの宝物

 ミュゲイラが木々の間を抜け、魔獣の背後へ出たのを見て静夏は息を整えた。

 魔獣は未だにもがいておりミュゲイラの挙動に気がついていない。見れば丁度眷属たちを呼び寄せ巨体を立て直しているところだった。

 このタイミングなら静夏の一撃をもう一度お見舞いすることができるかもしれない。更にはその余波で倒すこともできるかもしれないが、恐らく再び山に被害が出てしまう。

 それを回避するために静夏はミュゲイラに目配せすると、視線を合図に走り始めた。


 伊織は眷属たちを木刀で叩き飛ばしながら静夏とミュゲイラを見る。

 先に走り出したのは静夏。

 ミュゲイラは遅れて走り始めたが、魔獣との距離的に同じタイミングで突き出した拳が前後から魔獣を襲った。

 ぬめった体表に拳が食い込み、しかし先ほどのように軌道が逸れる。


「あっ……!」


 伊織は静夏の拳が敢えてやや下を向いたのを見た。

 さっきはその余波で横に吹き飛ばされた魔獣だったが、今度は前後からのインパクトによりサヤから飛び出した豆のように真上へと弾き出される。

 その凄まじいスピードは目で追うのが困難なほど。

 突如肉壁がなくなったことにより体勢を崩したミュゲイラを静夏が抱きとめ、そのまま真上を向く。

 まさか、と伊織とリータが見守っている目の前で、静夏は片腕でミュゲイラを抱いたままジャンプした。

 落下し始めていた魔獣に追いつき、高い位置から周囲を確認し――少し離れた位置に崖があるのを見つけると、静夏は片腕の血管が浮くほど力を込める。


「今度こそ……おしまいだ!」


 空中での殴打。

 本来なら踏ん張ることすら困難な状況だというのに、魔獣は驚くほど簡単に吹き飛んだ。

 目玉がすべて静夏を見ていたが、どうすることもできないままくるくると回転しながら飛んでいく。

 そして大きな砂煙を上げて崖へと落下し、ナメクジ型の大きな魔獣ではなくただのぬめった肉塊へと姿を変えた。


「母さん! ミュゲイラさん!」


 盛大なパンチの反動で落下位置が後ろへとずれた静夏とミュゲイラは伊織たちから離れた位置に着地する。

 怪我――はないだろうが、ちゃんと着地できただろうか。

 ぶっつけ本番で一緒に跳ぶことになったミュゲイラは無事だろうか。

 リータを連れ、未だ残る眷属を蹴散らしながら落下地点へ進むと――


「微調整はまだ集中が必要だな……咄嗟に抱えてしまいその場に残す余裕すらなかった。驚かせたろう、すまない」

「は、はひ……大丈夫、っす、よ」


 ――ミュゲイラをお姫様だっこしている静夏がいた。

 伊織は木刀を落としそうになりながらぽかんとする。誰かをお姫様だっこしている母親の姿を見ることになった息子の心を言い表す良い言葉が浮かんでこない。

 ミュゲイラは借りてきた猫のように大人しくなっていたが、それは恐怖からというよりも、一連の流れを間近で体験したことによる胸の昂りによるものだった。


 紅潮した頬、きらきらとした目。まるで恋する乙女である。

 これはおじさんで少し前にもう見た。


 伊織は隣に立つリータに視線を向ける。

 リータも伊織と同じ顔をしていた。お姫様抱っこされて乙女と化している姉の姿を見るはめになった妹の心を言い表す良い言葉が浮かんでこないのだろう。

 うん、仕方ないよなと伊織は頷く。


「……と、とりあえず、残りの眷属をなんとかしてから帰ろうか!」


 そして、なんとかそんなセリフを絞り出したのだった。


     ***


 ナメクジの眷属退治は二時間ほどで完了した。

 個々の強さは大したことはない。

 親玉である魔獣による眷属の使い方を見ていても、サポート用に量産されたもののようだった。


 最初にミュゲイラが苦戦したのは大量に固まって襲い掛かられ、機動性を奪われたからだという。

「だから今回は木の上で常に移動する戦法に切り替えたんだ。リータたちが駆けつけてからは敵が増えた上に親玉がパニクッて上手く指示を出せてなかったみたいだから、相当弱体化してたみたいだけどな」

 逃げ回ってたわけじゃないぞとミュゲイラは握り拳を作ってみせる。

 掃討の後半などただのナメクジを殺して回っているような罪悪感さえあった。もちろん眷属も目が多かったため普通のナメクジと見分けはついたが、それでも、である。


 そうやってどうにかすべての眷属を倒し終えた四人はミュゲイラに連れられ、山の中の開けた場所を訪れていた。

 小さく白い花が群生している花畑だ。

 仄かな花の香りが漂うその空間は、ナメクジたちに食い荒らされた山の中とはまったく別の空間のようだった。

「ここは……」

「あんた、鋭いよな」

 ミュゲイラが伊織を見下ろして言う。


「力試しっつーのはもちろん理由のひとつではあったけど、もう一つの理由は……ここを守りたかったんだ」

「この花畑を?」

「ああ。あいつらはこの花の匂いが苦手みたいで食い荒らしてなかった。けど花の咲いてる期間がそろそろ終わりなんだ。葉だけになりゃただの食糧だし、そのまま全部食われちまったら来年はもう咲かなくなる」


 ナメクジの魔獣がここへ巣食ったのは今年からのことで、ミュゲイラも初めは騎士団や他の討伐隊に任せるのもいいと思っていたが、それを待っていると花畑がだめになってしまうと居ても立ってもいられなくなったのだという。

 ミュゲイラは自身の耳に触れる。


「このピアスの花もここの花をモチーフにしたやつなんだ。そしてこれをくれたのは――」


 振り返った先に居たリータは泣きそうな顔をしていた。

 きゅっと唇に力を入れ、しかし姉に言葉を伝えるためにそれを解く。

「お姉ちゃんのバカ……それならそうと皆にも、わ、私にも言えばよかったのに……」

「理由を話したらお前ら全員あたしを手伝おうとするだろ。けどあの魔獣は魔法耐性が高いヤツだ、そんなのが相手なのに危ない橋渡れるかよ」

 ミュゲイラは里のエルフが優しくお人好しだと知っていた。

 考えてみればこれだけ大きな騒動を起こしたというのに優しい軟禁で済ませ、脱走しても呆れて困るくらいの反応しかしていないのは相当身内に甘い証拠だ。

 リータは目元と耳を吊り上げる。


「それでお姉ちゃんが魔獣に殺されちゃったら元も子もないでしょ!」

「それは……なんつーか……マッシヴの姉御を見てたら実力不足を痛感した。ごめんな」


 素直に謝られ、元は心配から怒っていたリータは泣きそうになりながらも「本当にバカよ」と小さく呟いてミュゲイラの腹にぽすりと拳を当てる。

 そして鼻を啜りながら伊織と静夏のほうを向いた。


「お二人とも、お世話をかけました」

「いや、全然そんなことは」

「この花畑……昔、姉と禁足地に忍び込んだ時に見つけたんです。それでふたりの秘密の場所にしようってはしゃいで……。花のピアスを作ってあげたくせに、大きくなってから来ることはなくてすっかり忘れてました」


 なのに姉は忘れてなかった、とリータは両耳を下げる。

「忍び込んだことが姉の暴走の原因にもなった、と私は思うんです。だから戻ったら族長にきちんと話して、一緒に罰してもらいます」

「ちょっ……リータ、そんなすげー前のことまで償うこと――」

「お姉ちゃんが勝手に動いたなら私も勝手に動くわ」

「うっ」

 似たもの姉妹なのでは、と眺めつつ伊織は笑った。

 自分に兄弟はいなかったが、もしいたらこんな感じだったのだろうか。


「ミュゲイラ」

「ミ、ミュゲでいいっす、マッシヴの姉御!」

「ではミュゲ、私は力試しという理由のほうも気になっている。その理由も聞かせてもらっていいか?」


 ミュゲイラは目をぱちくりさせると照れ臭そうに頬を掻いた。

「姉御くらい立派な筋肉の人に聞かれんのは何か恥ずかしいな~……でもそうやって真っ直ぐ訊いてくれた人は初めてっす。ありがとうございます」

 そのまま自分の腹筋に触れ、ややあってミュゲイラは口を開く。


「小さい頃、里に来た旅人がすっげー筋肉してて……フォレストエルフの大人が三人がかりで倒す魔獣すら素手で倒したんですよ。その時からあたしもああなりたい! って将来の夢になって」

「そういえばある時から突然鍛えだしたわね……」

「夢は熱い内に追わないとな! けどエルフって基本的に菜食中心だし、魔法に頼っててあたしみたいに筋肉を鍛えてる奴ってほとんどいないんだ。魔力の流れを阻害するからって迷信を信じてる奴もいるし」


 体は一般人の伊織からすれば山や森で生活しているエルフはそれなりの筋力を持っている気がした。リータもすいすいと山道を進んでいたくらいだ。

 しかしミュゲイラのように目に見えるほど筋骨隆々に鍛える風習はなかったのだろう。

「その内そこまで体を鍛えるなんておかしい、やめときな、改めて魔法の使い方を学んだほうがいいって言われるようになって……もし魔獣を倒せたら、あの旅人をすごいすごいって見ていたような目であたしのことも見てくれるんじゃないかって思ったんだ」

 まあ今回は無理でもいつか絶対に筋肉を認めさせるつもりだったけどな! とミュゲイラは腕を曲げて力こぶを作ってみせる。


「――ミュゲ、きっとお前には己の肉体で戦うのが合ってたんだろう。それを伸ばすことは何も悪くない。エルフだからといって魔法や弓矢しか使ってはならないというのは違う、と私も思う」


 静夏はゆっくりとミュゲイラの頭に手の平を置いた。

「しかし里の者たちの心配ももっともだ。それだけお前は皆に大切にされている。今回のような力づくではなく、これからちゃんと皆と向き合った方法で認めてもらおう」

「……ッ、は、ハイッ!」

「良い返事だ」

 では、と静夏は微笑む。

「そろそろ帰ろう」


 時刻は夕方に差し掛かり、山にも夕日が射し込んでいる。

 夕日に照らされた白い花々は、ミュゲイラの髪と同じ色をしていた。

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