ハプニング発生 ⑤

 思えばいろんな事があったなと、ユウとの間に起こった出来事を振り返っていると、無意識のうちに涙が溢れていた。


(え……私、なんで泣いてるの?)


 レナは慌てて涙を拭う。

 やがて歌番組も終わり、レナは枕元に置いていたリモコンでテレビを消した。


(なんだろう……。やけにセンチメンタルと言うか……。過去を振り返ったりなんかして……)


 つわりの時には情緒が不安定になり、毎日のように泣いたり怒ったりしていたけれど、それとはまた違う感覚だった。


(妊婦って……自分自身の感情の波に翻弄されて大変なんだな……)


 ただでさえ、元々感情表現が苦手だったレナにとっては、しんどい事かも知れない。

 ユウが何も言わずに突然姿を消して離ればなれになっていた10年間は、うまく笑うこともできなかった。

 それを思えば、たとえ感情の波に翻弄されていたとしても、大好きなユウがそばにいる今はとても幸せだとレナは思った。




 歌番組終了後。

 ユウは『ALISON』のメンバーと楽屋で着替えを済ませ、タバコに火をつけた。


(レナ、どうしてるだろ……。今日はもう面会にも行けないし、電話もメールもできないし……。寂しがってるかも……)


 ユウがレナの事を考えながらタバコを吸っていると、ハヤテが隣に来てイスに座った。


「ユウ、社長から聞いたけど……奥さん、入院したんだって?」

「ああ、うん……」

「大丈夫なのか?」


 昨日ハヤテの結婚式と二次会に出席した事が少なからず関係していると言う事は、責任感の強いハヤテにはとても言えない。


「うん……まぁ……とりあえず安静にって言われて、大人しくしてるよ」


 ユウは曖昧に言葉を濁した。

 ハヤテは心配そうな顔で呟く。


「昨日、長い時間付き合ってもらって疲れたんじゃ……。無理させちゃったかな……」

「いや……レナは楽しかったって喜んでた。なんて言うか……レナは真面目だから、頑張りすぎるところあってさ。本人はその自覚ないから、普段通りにやっちゃうんだよ。産休に入るまで仕事して家事もして、なかなかゆっくり休めなかったし、休めてちょうどいいのかも」


 ユウが答えると、ハヤテは小さく息をついた。


「そうか……。ユウも無理すんなよ。オレにできる事あったら、遠慮なく言ってくれよな」

「ありがと。心配掛けてごめんな」



 マンションに戻ったユウは、手探りで真っ暗な部屋の灯りをつけた。


(あー……レナはいないんだな……)


 今朝までレナと一緒にいた部屋が、ひとりだとやけに広く感じる。

 ユウはシンクに置いたままだった朝食に使った食器を洗って、ビールを飲もうと冷蔵庫のドアを開けた。

 冷蔵庫の中には、レナが買ってきた食材が所せましと詰め込まれていた。


(冷凍できる物は冷凍して……他の物は使わないとな……。今日はもう料理するような時間でもないし、明日にするか……)


 ユウは調理せずに食べられる物はないかと冷蔵庫や野菜室をゴソゴソあさって、トマトとハムとチーズを取り出した。

 トマトをかじり、ハムとチーズをつまみにビールを飲んだ。


(はぁ……。味気ねぇ……)


 ひとりの部屋はやけに静かで、いつもは美味しいビールも、今日は味気ない。

 こんな日が4週間も続くのかと、ユウは大きなため息をついた。


(10年間もレナと離れてたなんて、いまだに信じられないな……)


 気が付けばレナはユウにとって、なくてはならない存在になっていて、毎日一緒にいるのが当たり前になっている。

 ライブツアーなどで地方に行く時とは違って、電話で声を聴く事もメールする事もできない。

 ただただ、レナとお腹の子の事が心配で落ち着かない。


(クヨクヨしたってしょうがないな。こんな時こそオレがしっかりしないと……。明日は本でも買って行くか……)


 明日は昼前から雑誌の取材が入っている。

 それが済んだら、できるだけ長くレナについていてやろうと思いながら、ユウはビールを飲み干した。



 翌日。

 雑誌の取材が終わったユウは、書店で小説や雑誌を何冊か購入してレナの病院に足を運んだ。

 売店でミネラルウォーターと缶コーヒー、それからレナのために、果物と野菜のジュースを買ってエレベーターに乗った。

 ユウが病室のドアを開けた時、レナは点滴を受けていた。


「あっ、ユウ……」

「点滴?」


 ベッドのそばのイスにユウが腰をおろすと、レナはシュンとして点滴の機械を見上げた。


「なんかね……24時間点滴、しなきゃいけなくなっちゃって……」

「えっ?」


 夕べ、レナは就寝時間になってもなかなか寝付けなかった。

 薄暗い中でベッドに体を横たえ、目を閉じていると、なんとなくお腹の張りが気になった。

 夕食後に張り止めの薬を飲んだのにと思いながら、レナはお腹に手を添えて、ぼんやりしていた。

 しばらくしてその張りが和らいだと思ったら、和らいでいたはずの張りがまた強くなる。

 そしてまた和らいだと思ったら、再び強くなるの繰り返しで、その感覚は長いものの、どうしても気になってナースコールを押した。

 看護師に事情を説明すると、すぐにモニター機器をつけてお腹の張りを調べる事になった。

 1時間ほどして、当直の医師と看護師がやって来て、モニターのグラフを見た後、『投薬を飲み薬から点滴に切り替えましょう』と言った。

 レナはモニター機器を外され、その華奢な腕に24時間点滴の太い針を刺された。

 レナの細い血管には点滴針が入りにくかったのか、何度かやり直す事になり、その度にレナは腕に針を刺される痛みに耐えなければならなかった。


 レナは夕べの出来事をユウに話すと、恨めしそうに左腕の点滴針を眺めた。


「張りが治まらなかったら、この点滴ずっとつけとかなきゃいけないみたい」

「24時間で終わるんじゃないの?」

「違うの。場合によっては36週目に入る頃までって言われた。もちろん、張りが治まれば外してもらえるんだけど……」

「そっか……。不便だな……」


 ユウは元気のないレナの頭を優しく撫でた。


「レナ、今日は本買ってきたよ」


 ユウが紙袋から本を取り出すと、レナは嬉しそうに笑った。


「ありがとう。もう退屈で退屈で……」


 ユウが買ってきた3冊の本の中には、高校時代からの二人の親友で、作家の三浦 慎也ミウラ シンヤの新刊もあった。


「あっ、これ三浦くんの新しい本だね!!読んでみたかったんだ」

「よかった。ちょうど平積みの中にシンちゃんの本見つけたから」


 シンヤの小説と、シンヤの妻で、ユウとレナの小学4年からの親友の麻由マユが編集に携わっているマタニティー雑誌、それから最近話題になっている小説もある。


「レナ、ずっと忙しくてゆっくりする暇なかっただろ?産休に入っても家の事とか頑張ってたし……。いい機会だから、読書でもしてゆっくり過ごしな。安静にしてるしかないんだしさ」

「そうだね……。赤ちゃんが生まれたらゆっくり寝る暇もないって、マユも言ってたし」

「欲しい物があったら、また買ってくるから」

「うん」


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