01◆至高の剣士e

「日輪君、おめでとう」

 誰もいないと思っていた客席から、長い黒髪を揺らした少女が現れる。


 隣国である月乃国げのくに月兎子つきとこだ。


 年は俺と同じで十六。

 艶やかな黒髪をまるで兎の耳のように伸ばしている。

 しなやかに伸びた細身に、薄く透けた黒の布地を巻き付けたエキゾチックないでたち。露出した白い肌に布地の黒がよく映えている。


「サンキュー月兎子。でも、どうやってここへ?」

 日乃国の王である兄貴と、第一位の王位継承者である俺との戦いに、余計な横やりを入れないため、ここでのことは極一部の人間しか知られていない。


 彼女は幼馴染みで、日乃国ここでの暮らしが長いとはいえ他国の要人である。そんな彼女に知られていい情報ではない。


 だが、月兎子はそんな事情を一切気にせず、切れ長の目を細めて笑う。


「愛する日輪くんのことだもの、月兎子にはなんだってわかるわ」

 月兎子は跳ねるように俺に近寄ると臭い付けする動物のように滑らかな肌をすりよせる。


 幼い頃からスキンシップを好んでいた月兎子だが、美しく成長してからもその仕草に変わりはない。

 月乃国の習慣だと主張しているが、彼女以外からそんなことをされたことはなく、本当なの疑わしい。


 微笑ましい仕種ではあるが、男としての自制心を保つのが大変だ。もうすこし胸のあたりが成長していたら俺の自制心は彼女の色香に敗北していたかもしれない。


「なんたって、月兎子は日輪くんのお嫁さんになるんだから」

「おいおい、それはまだ本決まりじゃないだろ」


 彼女は月乃国の王の娘で、幼い頃に俺との婚約を決められていた。

 俺も彼女を嫌いではないのだが、回りによって決められたという意識が強く、それをどこか受け入れがたいと思っている。


「でも、これで一緒に天乃国あまのくにいけるね。さみしくないよ」

「ああ、そうだな」

 まるで遊技場へと行くかのような気楽さだが、俺も彼女に合わせて笑う。


 俺は兄貴に勝ち、ようやく日乃国の勇者に選ばれた。

 だが、これは終わりじゃなく、まだ始まりにすら至っていないのだ。


 今、俺たち人類は未曾有の危機にさらされている。

 その危機を解消するため、サラウエー大陸に残存する七国は、選りすぐりの戦士に『勇者』の称号を与え、この日乃国に集結させているのだ。


 そして、本来兄貴が名乗るハズだった勇者の称号を、俺がいま譲り受けた。


「ところで、勇者って他にどんな人たちが集まるのかな?」

 月兎子が長い黒髪を揺らし首をかしげる。


 童女のような振る舞いをしていても、彼女は俺よりも先に月乃国の勇者として選ばれている。


 一見なんてことのない、おてんばな女の子だが月影げつえい魔法と呼ばれる、月乃国独特の魔法の使い手である。


 さらに比類なき体術の持ち主で、俺は幼い頃から追いかけっこで彼女に勝ったことはない。


「何人かは予想がつくな」

 各国選りすぐりの強者たち。そう言われれば、見当をつけるのは難しくない。


「まずは金乃国こんのくにの王にして獅子戦車ライオン・チャリツオ乗りの金華きんかだろ」

 日乃国と金乃国は同盟を結んでいるので、その国王とは面識がある。


水乃国みずのくに大賢者スペシャル・セージを送り出したって話だ」

 かなりの偏屈者という噂は耳にしているが、俗世に関わらぬ大賢者の情報はほとんど伝わっていない。


木乃国きのくに土乃国つちのくには交流がないからわからないな。火乃国かのくには手強い将軍が多いけど、いったい誰が派遣されて来てるのか……」


「月兎子、火乃国って嫌い。あの国の人ってみんな嘘つきで下品なんだもん」

 月兎子はそう言って頬を膨らませる。


 火乃国は大陸一の領土を誇る強国である。

 自国兵の命を考慮しない数任せな戦術を繰り返し、多方面に侵略の手を伸ばす姿勢は他国からの批判の的であるが、兵を消耗品として扱う戦法は領土拡大に多大な貢献をみせている。


 もっとも領土こそ大きいが文化レベルは高いとは言い難い。

 いまだに前時代的な暴力を肯定し、他国の民族をあからさまに低く見ている傾向がある。

 そして、現在の危機の原因を産みだした国のひとつでもある。

 月兎子でなくとも嫌うのはわかる。

 できるなら、俺としてもあの国とは関わりたくないが、今はすこしでも力ある人材を集めなければならないのだ。


「私怨をまぜるなよ」

 そう言って月兎子を諭す。

 半分は建前だが残りの半分は本音である。


 それにあの国の将軍たちが強いことに間違いはない。

 国の姿勢はともかく、剣士として、彼らに敬意を払うことはできる。


「兄貴はもう知ってるんだろ、どんなやつらが来てるんだ?」

「それは会ってからのお楽しみだ。おまえたちもそろそろ顔合わせにいくといい」


 兄貴はすでにどんな連中が集まっているのか知っているだろうが、なんの意図があるのかそれを教えない。


「そうだな変に先入観を持つよりは、直接会って自分の目で判断したほうが早いな。いこうぜ月兎子」

「その前に、日輪くんはお着替えしないと」


「べつにこのままでいいだろ」

 武者鎧のままだが、鎧に傷があるわけでもないし、失礼にはならないだろう。


「ダ~メっ、お着替えしなさい。それとお風呂も入らないと、ちょっと汗臭いよ」

「そうか?」

 腕を鼻に寄せて臭いを嗅ぐ、確かに汗の臭いはするが、気にするほどじゃない。


「しょ~がないなあ、日輪くんは。月兎子が洗ったげるから、一緒にお風呂いこ」

 そう言って、月兎子は腕を組み替えると、俺の関節をとった。

 そこに力をこめられると肘に激痛が走る。痛みから逃れようと身体を傾けると、足は自然と舞台の外へと向かい動きはじめた。


「いでで、わかった、わかったから離せ、月兎子」

「ダ~メっ、このまま汚い王子様は月兎子がお風呂場まで連行しちゃいます」


 腕力では間違いなく俺のほうが強いのに、関節を極めた誘導には逆らえない。


「ちゃ~んと、すみずみまで洗ってあげるからね。まったくも~、月兎子がいないと日輪くんはダメなんだから~」

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