第8話
「わ、わだじだぢは……えぐっ、あぐっ、ご、ごの魔法学園を……あぶぶっ、ぞ、卒業でぎだごどを……ぐぬふぅっ」
首席であるミラーノ・イゼリアが、壇上で号泣しながら卒業生代表挨拶をしている。……無理もない。彼女は類稀な魔力を備えているとはいえ、元は貧しい平民の出なのだ。その上で努力を重ねてきたミラーノがとうとう首席にまで至り、感極まってしまうのは当然のことである。
愛らしきおさげの秀才魔法使いの泣き顔に、見ている者も涙を誘われるのだろう。会場は、嗚咽や鼻をすする音で満ちていた。
「ううっ……校長……!」
だから、ミラーノがぽつりと呟いた一言は誰の耳にも届かなかったのである。
「卒業ってなぁこんな感じなんだなぁ」
いつもよりも豪奢なドレスをまとい、両膝を揃えて椅子に腰掛けるハチリアーヌは、隣に座るグマニスに微笑みかけた。
「オレァ昔寺子屋にゃ通ってたんだがよ、勉強ってのが嫌でいつも逃げ出しちまってたんだ。今思えば、もちっとやっときゃ良かったなぁ」
「だからここで取り戻せたんでさぁ、アニキ。生まれ変わってよかったですね!」
「ああ、まったくだ」
そういえば、結局トノラ王子による魔力ゼロ暴露イベントも無かったのである。一応全員で警戒してはいたものの、王子は何故か一定の距離を保ち続けていたまま別に近づいてくるでもなかったので、完全に警戒を解いていたのだ。
このまま自分は家に帰るのだろうか。皆と別れるのは寂しいがどうせグマニスはいることだし、次はあちこちオズミカル国を見て回るのもいいかもしれない。
だが、そうやって己の未来に想いを馳せる穏やかな時間もそこまでだった。
「グオオオオオオオオ!!!!」
突如会場中に響いた咆哮が、その場にいた全員の肌を粟立たせる。いち早く異常事態を悟ったハチリアーヌが声のした方向を向いた瞬間、会場の壁の北一面がまるで砂糖菓子のように破壊された。
ガラガラと瓦礫の崩れる音と、舞う砂埃。それを踏みつけ現れたのは、天を衝かんばかりの巨大なドラゴンだった。
「馬鹿な……! この会場は幾重にも魔法障壁を張り巡らせているというのに……!」
セブイレ校長が息を飲む。その後方で、何者かがクククと笑った。
「だ、誰だお前は!」
「俺は反国組織ナンヤネンの幹部、パチュタ」
最終話間近にしてようやく名が明らかになった男は、悠然と腕を組み壁にもたれていた。
「こんな事をして、何が狙いだ!?」
「フフ……ハチリアーヌ・ジャスコを拐う為よ」
「何!?」
「情け深きハチリアーヌ嬢であれば、決してこの状況を見過ごせまい。だが、この我が組織が誇る遺伝子組み替えドラゴンに敵うものか。のこのこ出てきた所を取っ捕まえてくれる!」
「グオオオオオオオオ!!!!」
おぞましきドラゴンの雄叫びに、生徒や教師、PTAの皆さんは一斉に南の出口に向けて逃げていく。しかしその狂乱の中、ハチリアーヌだけはまっすぐドラゴンを向いて立っていた。
「ア、アニキ! 何してんです! 早く逃げねぇと……!」
「オメェはすっこんでろ、クマ。オレァちょいと野暮用を済ませてから行くからよ」
「だ、ダメです! いくらアニキとはいえあんなバケモノにゃ勝てませんぜ!」
「何、勝とうなんて大それた事は思っちゃいねぇ。ただ、そうだな、……」
ドラゴンの熱い息に、ハチリアーヌの金色の巻毛が美しくなびく。
「――コイツに、ちぃと小便ひっかけてきてやるだけだ」
「アニキィ!!」
ドラゴンが大口を開け、大きくのけぞる。何が起きるか察したハチリアーヌは、振り返って大声で叫んだ。
「オメェら隠れろ! でっけぇ花火が来るぞぉ!!」
しかし彼女自身は、一歩踏み出す。そうして、少しでも人の盾にならんと両腕を広げた。
轟音が会場を揺らす。並みの人間ではとても立ってはいられない。だがハチリアーヌは、まばたきすらしていなかった。
「ギャオオオオオオオオ!!!!」
ドラゴンの口から火球が吐き出される。迫りくる死に、ハチリアーヌがぐっと歯を食いしばった次の瞬間。
「アイアンバルク!!!!」
「マジカルシールド!!!!」
同時に発動された呪文に、瞬く間にハチリアーヌの体は鋼鉄の肉塊と化する。サバンナ地帯にそそり立つバオバブの木を連想させるたくましい腕は、なんと灼熱の火球を耐え受け止めた。
「オメェら……なんで戻ってきやがった!」
そこにいたのは、“人が行き着ける筋肉の最果て”グマニス。
そして、“秀才にして英知、可憐なるインナーマッスル”ミラーノであった。
「アニキ!! あっしがアニキを一人にするもんですかい! 死ぬ時は一緒ですぜ!!」
「私も!! 私の魔法は……筋肉は!! ここで貴方を見捨てる為に育て上げてきたんじゃないわ!!」
「……てんやんでぃっ! べらぼうめ……!!」
思わず涙ぐみそうになったハチリアーヌだが、感傷に浸っている暇は無い。いくら無敵の筋肉を手に入れたとはいえ、所詮は人の体。体重はドラゴンの火球に押し負けてしまうのだ。
だが退くわけにはいかない。今自分の真後ろには、魔力を送り続けてくれている友人達がいるのである。
「チクショウ……しかしこのままじゃ……!!」
「ダメよ! 負けないで、ハチリアーヌ様!!」
「シャシャシャ!!!!」
「!?」
ふいに、自分の背中を押すツタの圧を感じた。――ああ、これは振り返らずとも分かる。あの日魔法植物室で筋肉質好敵手(マッスルライバル)なった、凶暴植物ゴッツェエである。
彼女の後ろで、レンチン家の令嬢がグマニス達に並んだ。
「私……何かハチリアーヌ様のお役に立てないかって植物室に行こうとしたの! そうしたら、自力で地面から根を引き抜いてこちらに向けて猛ダッシュしてくるこの子を見かけて……!」
「連れてきてくれたのね。本当にありがとう!」
「わ、私も力になれるかしら!」
「百人力でさぁ! ささ、アニキに魔力を送ってやってくだせぇ! あっしのチンケな魔力じゃあ、もう底が尽きちまいそうなんです!」
「合点承知!!」
ハチリアーヌの体に新たな魔力が追加される。極限まで膨れ上がった三角筋、上腕二頭筋、上腕三頭筋が軋む音を耳のすぐ近くで聞く。
しかし、まだだ。まだ足りない。
「ふんばりやがれよ、ダチ公……!」
「キシャッ……!」
業火と全身を巡る熱い血に、汗が額を伝う。――パワーは申し分ない。あとは体重。重量。それが、それさえあれば――。
「……よく耐えてくれた、ハチリアーヌ。君が粘ってくれたお陰で、ついに呪文が完成したよ」
どこからともなく、トノラ王子の声がした。
「いつか君に見せようと思っていたんだ。物の重さを増やす魔法はすごく難しいけどね、君に釣り合う男になりたくて必死で習得しようとして……」
「何をペラペラ喋ってやがんでぃ! つべこべ言わずにとっとと魔法でもアホウでもかけやがれ!!」
「はい」
トノラ王子の口から複雑な呪文が唱えられる。途端に、ハチリアーヌ自身はっきりと分かるほど己の体が微動だにしなくなった。だが、自分の意思で体を動かすことができる。まるで超巨大ロボットにでも搭乗したかのような感覚だ。
「……やっぱり花火ってなぁ、お空に向かって打ち上げねぇとな」
火球を掴み直す。呼吸を整え、一旦自分の胸に引き寄せる。
そして。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
火球が、ドラゴンに向けて返された。
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