第11話

 僕と母は〇〇さんに案内されてリビングへ向かった。

「お茶とジュースしか無いですけど、どうしますか?」

「私はお茶がいいかな?」

 母は迷わずにお茶を選んだ。

「あー、何ジュースですか?」

 夏場はお茶が飲みたくなるけど、冬はあまり飲みたくならないんだよな。コーヒーは季節関係なく飲むんだけど……。コーヒーは依存性があるって聞いたことあるけど、本当だろうか? ふと思ったんだけど依存症はどうすれば治るんだろう? それを摂取してる時にを当てたら治るかな。でも、元からコーヒー好きだし、好きなものが減るのは何だか悲しいから、コーヒーについては治す気はないけどね。まあ、他の依存症なら治せるかもしれないし、試してみるのもいいかもしれない。

「りんごジュースとオレンジジュースがあります」

 そういや、子どもってりんごジュース好きな子多い気がするな。商店で働いてる時、ちびっこが欲しがるジュースってだいたいりんごだった。

 かく言う僕は小さい頃からオレンジジュースの方が好きだったし、他のジュースの方が好きな子もいるけど。

 酸味も強くないし、甘みもしっかりしてて、スッキリ飲めるから人気があるのかな。

「じゃあ、オレンジで」

「はい」

 〇〇さんはそれを聞いて飲み物を用意する為にキッチンへと向かった。僕たちはテーブルに着いて無言で待つ。

 しかし、思いもよらない時に〇〇さんの『ありがとう』を貰って、感極まって腰が抜けるかと思った。踏ん張ったけど。

 でも、〇〇さんの居る場所へ向かうと決めた時、いや、父の口から名前が出た時には決めていた気がするな。

 僕は〇〇さんの事を、小さい頃の名残で心の中で呼び捨てにしていたけど、改めて会うと面影は有っても全然雰囲気も顔つきも違って、呼び捨てになんてできなくなってしまった。年月を感じて、懐かしいような、寂しいような、虚しいような気持ちになる。でも、どうやら悪い気はしない。

「はい、どうぞ」

 〇〇さんが飲み物をテーブルに並べた。

「ありがとうございます」

「ありがとうね」

 〇〇さんも椅子に座る。

「あの、お邪魔して良かったんですか?」

「家主は今仕事で出ていますが、大丈夫ですよ。私の父と△△くんのお父さんの共通の友達ですし、私自身も小さい頃からお世話になっている人です。あと、私と息子の恩人でもある△△くんを門前払いなんてできませんよ」

「そうですか」

「〇〇ちゃん、あれから嫌がらせは大丈夫?」

 何を話したら良いか悩んでいたら、母が先に口を開いた。

「ここに来てからは無いですね」

「前はやっぱり酷かったんですか?」

「はい……。窓を割られたり、ゴミを投げ入れられたり、物を盗まれたり、酷い事を書いた紙を至る所に貼られたり……」

「でも、募金詐欺で、しかも裏も取れていないのに、何でそれ程まで酷くなったんですかね?」

 〇〇さんは少し顔を下に向けて話した。

「額が大きかったのもあると思います。でも……、言い方悪いと思いますけど、公共の電波を使って、しかも皆の同情を誘ってお金を集めたから、余計に酷くなったんだと思います」

「詳しく訊いても良いですか?」

「はい。……最初は入院費くらい集まれば良いと思って募金活動を始めたんです。植物状態から目覚める症例は殆どありませんから……。それくらいなら、怪我の治療費は相手方から頂いたお金と、私は考えたくはありませんでしたけど、夫が万が一だからと私を説得してかけておいてくれた保険で、何とかなりました。受け取らずに済むならそれが良かったですけど、夫はその万が一を引いてしまった……。

 息子も生きてさえいてくれたらと初めは思っていましたけど、私達の事を知った方が、海外で植物状態の人を治したっていう脳神経外科医の人がいるって教えてくれまして、少しでも良くなるならと藁にも縋る思いで調べていきました。

 その後丁度、募金活動しているのをたまたま知ったテレビ局から、番組に出ませんか? って連絡が来まして、我が子を治せるチャンスだと思って承諾しました。そして番組でその人の治療を受けたいと言ったら、皆が協力してくれてどんどんお金が貯まりました。海外ですから治療費も手術後の入院費も馬鹿にできない額だったんですけど、芸能人の方や政治家の方までお金を出してくれて何とかなったんです」

 〇〇さんはお茶を一口飲んで喉を潤した。

「私はすぐに向かいたかったんですけど、息子の怪我がもう少し治って体力が戻らないと、治療は受けられないとの事でしたので、それを待ってたんです」

「もしかして、そこで僕が治したんですか? それなら、余計なお世話だったんじゃ……。申し訳ありません」

「いえ。怪我の治りも遅く、日に日に弱っていってて、息子は助かる気が無いかもしれない。って、お医者さんが言ってたんです。そんな状態で負担の大きい手術をしたら、まず失敗するし助からないとも。だから、いつ治療を受けられるかも全然わかりませんでした」

「助かる気が無いって?」

「多分、事故による精神的ショックが大きかったんだと思います」

「そうですか……。あ、そう言えば、えっと、息子さんの病室に有った花は萎れてましたけど、何日も会えてなかったんですか?」

「はい、そうですね。声をかけても反応はありませんでしたし、お医者さんも殆どお手上げでしたから、お恥ずかしいですけど、私も精神的にやられてしまって……。何日も眠れず、不安定になって、"いっそ死んでいく命なら、私が楽にしてあげた方が良いんじゃないか? そして、息子を殺した後自分も死のう"って、考えが何度もよぎるようになりました。そこで、あの病院のお医者さんが精神科医を勧めてくれたんです。普通なら自分は正常だと主張して拒否するかもしれないんですけど、私、あの時凄く自信かあったんです」

「自信ですか?」

「はい。自分は冷静だ、自分は正しい判断ができる、自分は誰かに何かを言われた所で意見を変えたりしない。って。だからこそ、それを証明する為に紹介してもらった精神科医に通う事になりました。今なら判るんですけど、正常じゃないから精神科を勧められたんですよね。だから私が心中するって言ったら少し驚いた顔されて、入院させられました」

「他に誰か頼る人はいなかったんですか?」

「頼れば助けてくれる人は何人もいると思います。現に今助けて貰ってますし。でもその時は、同情するだけで私の本当の気持ちを分かってくれる人なんか、誰もいないと心の底から確信していましたので……」

「そこまで追い詰められてたんですね……」

「そこで嘘みたいな事が起きたんです」

「息子さんの事ね?」

 母は事情を既に聞いていたのか、疑問符はつけているけど尋ねている様子では無かった。

「はい。入院してから何日経ったか分かりません。いつもの通り病室で天井を眺めていたら、お見舞いが来たって看護師さんが言ったんです。『私は誰にも会いたく無いから、追い返して下さい』って言ったんですけど、息子が会いに来たって言うんです。耳を疑いました。とうとう死んじゃって、私の知らない間に葬式でもして、お骨として来たんだと思いました。つらくて、悲しくて、最期に一緒に居てあげられなかったとやりきれなくて、俯いていたら、『お母さん、お母さん』って呼ぶ声が聞こえたんです。涙で前が霞んでましたし、下を見てましたから、私にもお迎えが来たのかな? と想いました。でも、すぐに息子が私にハグをしてくれたんです。温かかった。そこで私は幽霊でも幻でもない体のある、本物の息子なんだって」

 その後自殺を選んだ未来を知ってるから複雑な気分だけど、〇〇さんの顔を見ると、少なくともその瞬間は幸せが存在したんだと知って、僕は少しだけ嬉しかった。

「その後、ですかね? 詐欺だと言われたのは」

「はい。息子の怪我は全部治っていて、数値も全て正常。入院する必要も無いから退院できて、お義母さんが連れて来てくれたんです。私も原因が解消されたので精神が安定しまして、通院は必要ですけど退院できました。それで、息子とゆっくり過ごそうと一緒に帰ったら、カメラとかマイクを持った人が沢山居て、家の玄関前を塞いでいたんです。事情は分かりませんでしたけど、面倒事に巻き込まれたく無かったので裏口から入ろうと遠回りしました。そこで入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、庭で隠れていた人が飛び出してきて、大きな声で誰かを呼びながら、私の手を掴みました。凄く恐かったですけど、息子は守らなきゃと思って、その人が目を離した隙に家に避難させました。間もなく玄関前に居た人達も裏口に到着しまして、私は質問攻めにされて、そこで何が起きてるのか理解したんです。確かに奇跡的な事が起きたわけですから、気になるのは分かります。ですから、自分の分かる範囲で答えました」

「動画見ましたけど、しつこく聞かれたんですか?」

「はい。私の体調も万全とは言い難い状態でしたし、同じ様な事を何度も聞かれたり、心無い事を何度も言われたりして、恐くて恐くて、止めて下さいとか、息子と一緒にいたいとか言っても聞いてもらえなかったんです」

「酷いね……」

「一時間以上質問攻めにされて、ようやく開放されました。これで楽になると思ったら、次の日から徐々に嫌がらせが増えました。テレビとかでも悪者扱いしてる所が多くて……。あ、勿論、中立の立場で判断してくれたり、誹謗中傷から庇ってくれる人もいました。でも、初めて見ました……。窓ガラスを割られて投げ入れられた物……。何だと思います?」

 僕は少し考えた。

「ゴミ……ですか? でも、初めてですもんね」

 昔聞いた事あるもので衝撃的なのは……。

「動物の死体とか……?」

 ニュースで聞いた時、凄く衝撃的だった。人を困らせる為だけに、簡単に命を奪う人がこの世に存在するなんて、その時は信じられなかった。酷い人間が存在するのは知識として知っていたけど、現代に、しかも同じ国にいるとなれば話は別だ。正直に言えば知りたくは無かった。

「違います。それもありましたけど……」

「そうですか……」

「正解と言うのも嫌ですけど、火炎瓶です」

「え……?! 大丈夫だったんですか?」

 火炎瓶は寝耳に水だ。

「幸い割れずに済みましたので、火事にはなりませんでした。でも、連日のこんな仕打ちに辛くなってしまって、自殺を考えたんです。近くに住む義実家に息子を預けて、少しでも高い建物を探して町を回りました。でも、あまり高い建物は無かったので、オートロックが無いアパートを選びました。上から見ると高いですけど、死ねるかはわかりませんでした。飛び降りは下手をすれば、大怪我をして苦しいだけで死ねないなんて聞いた事がありましたし、恐くて長い間下を眺めていました」

「そうですか」

「夕方頃でしたかね? 下を眺める私に、後ろから誰か話して来たんです。引き止められてたら、きっと反発してすぐに飛び降りてたと思います。でも、『辛いなら死ねば良い』とか、『背中を押してあげます』とか、『────さんもそれを望んでる』なんて言われて、怖気づいてしまって。でも、その人は近寄ってきて、何を思ったのか私は、逃げたい気持ちでいっぱいになってしまって、何も考えられなかったんでしょうね、押しのけるとかできたと思うんですけど、階段へ続く道にはその人がいたので通れないと判断して、私は手摺りをよじ登って飛び降りました」

「え……? それって、自殺というより他殺に近いじゃないですか……? 警察には言ったんですか?」

「いえ。あの人は手は下してないですし、女性って事以外憶えていないですし、後で確認しても、もういませんでしたからね。それに、〇〇くんが治してくれた後、私、追いかけたんです。息子と離れ過ぎるわけにもいかないんで、結局見つけられなかったんですけど。まあ、言った所で無傷ですから相手にもしてくれないですよ、きっと」

「恐いですね……」

 防犯カメラもない建物だったはずだし、人混みを利用して逃げたなら、逮捕してもらうのは不可能に近いだろう。証拠がなければどうもできない。恐ろしい人はどこに潜んでいるか分からないものだ。

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