第8話
その後僕は男性と別れ、彼の友達の娘だったか? に、実家まで送ってもらう事になった。
「何か違和感があるなと思ったんですけど、失礼ですけど皆始終笑顔なのに貴女は笑ってないですね」
「はい」
「何でですか?」
「可笑しいですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……。一人だけとなると、気になってしまって」
「笑顔で居る事も強制されているわけではありません。他の方は違う道を歩んであそこに辿り着いたので幸せでしょうけど、私は物心ついた時には既にこの生活をですので幸せか判りません」
「ふーん。難しいですね」
「……………………。あそこが私にとって唯一の居場所です。ですから、例え何があっても離れる事はないでしょう」
「未知の世界に行くのって勇気が必要ですし、行った先で必ず幸せになるか分からないですけど、少なくとも居場所は一つだけではないですよ。幸せじゃないんなら、思い切って別の道に行ってみてもいいんじゃないですか? 僕にできることがあれば言ってくださいね、あんまり役に立たないかもしれないですけど力になります」
「…………」
「ああ、ごめんなさい。別に何か改宗しろって言ってるんじゃないんですよ」
「……はい。そろそろ到着です」
実家前に到着すると僕は車から降りて、彼女にお礼を言った。
「ありがとうございました」
「いえ。騒動が収まるまでは極力外出は控えてください。もし必要であれば人を送りますので、要件を申し付けてください。あと、ご実家も危険であれば安全な場所へお連れします」
「わかりました。手を打つって言ってましたけど、どれくらいかかりますかね? ああ、分からないなら良いですけど」
「そうですね。細かい事は何とも言えませんが、ひと月は覚悟しておいて下さい」
「結構かかりますね」
「申し訳ありません」
「いや、こちらこそやって貰う側なのに文句言っちゃって」
「その点はお気になさらず。皆好きでやっている事ですから」
「助かります」
「ではくれぐれもお気をつけて。後、スクーターはすぐに届けますので、お待ちください」
「あ、忘れてました。すみません、お願いします」
「はい。では、さようなら」
「さようなら」
彼女は少し間僕の顔を見ると、少し、ほんの少し口角を上げて、
「もっと早くにお会いしたかったです」
そういって去って行った。
「どういうことだ? まあ、いいか」
久しぶりの実家だ。らくがきとか張り紙みたいな悪戯の跡は見当たらず、殆ど数年前に僕が飛び出した時のままだった。そして、その景観に安心しつつも、何故か他人の家に来たみたいな緊張があった。
僕はこの家の鍵は持っているけど、あえてインターホンを鳴らした。
『はい』
当たり前だけど、返事が返ってきた。僕は乾ききった喉を、なけなしの生唾で潤して声を出した。
「えっと、僕。△△だけど……」
インターホンからもう声は返ってこなかった。
「やっぱり嫌われてるのか……」
すぐそこにある家が遠くに離れていくような感覚に襲われる。
そして僕が長い長い一分を味わった後、玄関が開き、五十代の女性が出てきた。僕の母親だ。母は感情昂らせる事無く、でもそっけなくも無く、僕が出ていく前と同じ調子で、何度も言って、聞いた、
「おかえり。遅かったね」
僕を迎え入れた。
「ごはん食べるでしょ? すぐに作るから先に風呂に入っちゃって」
僕が家に入ると、母は他に何も言わずにそう言った。
「え、それより……」
僕はメールの事や騒動の事を言おうとするけど、そんな事はお構いなしに奥に入ってい行った。間もなく包丁の音が聞こえたので、どうやら本当に料理をしているみたいだ。
今話しかけても無駄だろうから、ひとまず風呂に入ろうか。話はご飯の時でもいいだろう。
「殆どそのままか……」
風呂に入る前に、嘗ての自分の部屋に訪れた。いや、今も僕の部屋なんだろうな。そう、僕の部屋は、多少片付いてるものの、家具や小物の置き場所はそのままだった。時間が止まっているみたいで、何だか不思議な気分だ。僕は身体が憶えているままにタンスを開け、着替えを取り出し、風呂場に向かった。
脱衣所には既にタオルが置かれていた。
「洗濯するものがあったら洗濯機に入れておいてー」
キッチンから指示があった。僕は下着とか服をその指示通り洗濯機に入れると、風呂に足を踏み入れた。
さっきまで他人の家のような気がしたのに、シャワーの水圧も、足に伝わる感触も、風呂の広さも、全部懐かしくて思わず笑ってしまう。
風呂から上がると良い香りが漂ってきて、思わず僕のお腹が鳴ってしまう。服を着替え直して髪が濡れたまま行くと、母がそれに気付いて「もう少し時間かかるから、乾かして来なさい」と言ったので、その言葉に甘える事にした。
なんとも言えない懐かしさは、本当に何も言葉に表現できなくて、そわそわしつつも暖かい空気で満たされている。まるで外とは別の世界にいるみたい。
「あ、玉子焼き……」
「うん。好きだったでしょ。あと煮物ね、最近外寒いから」
「ありがとう」
食卓にはご飯と玉子焼きと煮物が並んでいた。
「食べていい?」
僕は確認をした。自分に出されたとは分かっていたけど、時間の隔たりが壁になって、どうも遠慮がちになってしまう。
「どうぞ。冷める前に食べちゃって」
「じゃあ、いただきます」
僕は煮物に手を付ける。味はちゃんと染みていて柔らかくなっていた。
「美味しい」
そう言えばここを出る前、ちゃんと母のご飯に『美味しい』って言えてたかな?
「ありがとう」
この『ありがとう』は新鮮な気がするので、もしかすると今までまともに言って無かったかもしれない。
次に玉子焼きを食べた。僕の好きな味だ。
「どう、これは?」
「味、変わってない気がする」
「良かった」
「最近作って無かったの?」
「いや。何年も経ったから、そのままか心配で」
「そうか。大丈夫だよ」
言葉に淀みは無いんだけど、どうも距離が空いていて、ぎこちなさが滲み出てしまう。
少し食べ進めて、空腹がある程度収まった頃、僕は切り出した。
「ニュースとか、見た?」
「見た」
「詐欺師だとか、嘘つきとか思わないの? あと、メールは何で返事くれなかったの?」
暫し沈黙が流れたけど、母はゆっくり口を開いて、
「…………ごめん」
と言った。
けど、何の"ごめん"か判らなかったから、僕は返事を返さなかった。
「母さんじゃ力に成れないと思って、何て返信すれば良いか分からなくて」
「何で? 一言くらい有っても良かったでしょ」
語気が強くなる。
「中学生の時に進路希望でヒーローって書いてたの憶えてる?」
「うん。何言っても聞き入れてくれなかったし、ふざけた事を言うなって否定されて、無理やり
「△△が頭のおかしい人だって、先生達に思われてしまっていたのは? 精神科医を勧められたのは?」
「そうだったの?」
確かに、『怪我を治せる魔法みたいな力があるから、僕はヒーローになります』なんて言われたら、まず頭がおかしいと思うだろう。
「それと、怪我とか治せるのが世に出てしまった場合の事を考えてなかったでしょ」
「あれ? 能力の事知ってるの?」
「私もお父さんも知ってる。△△が〇〇ちゃん治した時から」
初めからって事か?
「いや、信じてくれなかったんじゃないの?」
「信じるも何も、初めの頃は何度も人前で使ってたじゃない。人前で話始めたら普通は"そんなもの無い"って言うに決まってる」
「それは、そうだけど……」
「それに、憶えてないだろうけど、噂を聞きつけたいくつもの変な宗教の人が訪ねて来ることもあったし。我が子の身の安全を考えるなら、無いものとして扱うのが当然でしょ」
「うん……」
返す言葉も無い。
「何度も、"
一度話し始めると母は徐々に感情が昂ぶって、怒りながらも悲しそうに話した。
「ごめん……」
そうだ。初めの頃は何度も連絡してきて、話すと喧嘩になるのが分かってたから煩わしく思ってしまって、僕はそのまま無視したんだ。ここ一年以上連絡してこないな、と思ったけど、そうか待っててくれたのか……。本当に悪い事したな。目の前しか見えてなかった。いや、目の前も見えてなかったのかもしれないな。
「ごめん……」
僕は謝罪を重ねるしか、何もできなかった。
「もういい。ご飯冷めるから早く食べよ」
ご飯を食べ終えて、ふと気付いた。
「母さん、父さんはどこにいるの?」
母は洗い物をしながら答える。
「警察署」
「何で?」
「いたずらで張り紙だけじゃなくて、玉子を投げられたり、庭に入って荒らされたりしてね、それを警察に電話したんだけど、『怪我人もいないからその内収まるでしょ』ってあしらわれて、あの人、直接言いに行ったわけ。そしたら△△について何か知ってるだろうと、事情聴取されることになったんだよ。多分、それが聞きたいだけかもしれない」
黙ったままの僕に、母は気を使ってくれた。
「大丈夫。父さんは△△の事を悪いように言ったりしないから」
「……うん」
この後僕と母との間には最低限の会話しか交わされず、そのまま一日を終えたのだった。
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