哲学者 仲違い チャンネル
動画の撮影終わり、チヒロは何かに不満を抱いていそうな、長いため息をついた。
どうした、と聞きたくなる。理由は薄々分かっていても。
「お疲れ様、チヒロ。今日、この後久しぶりに、飯とか行かないか?」
「……ごめん、疲れたから」
本当にこちらが謝ってほしいと思うような時には謝らないくせに、こういう場面では謝る。
あてつけのようだ。
チヒロはバッグを持って、さっさと部屋を出て行こうとする。
古今東西の哲学者たちの問題提起や考えを分かりやすく解説するのが、チヒロの仕事。
機材の用意や動画編集、聞き役が、タカヤの仕事。
このチャンネルはそういう役割分担で成り立っている。
それでも、チャンネルを始めたばかりの頃は、タカヤが片付けを終えるまで、チヒロは残ってくれていた。その日撮影した動画で話した内容を、さらに掘り下げたような話を、あるいはマニアックな与太話を、椅子に腰かけて、楽しそうに話しながら。
「チヒロ、それなら、せめて、駅まで送る」
「いい。これから大変だろ、編集」
「駅まで送るくらい平気だよ。急いでるなら、今行くから」
片付けなんてあとでも出来る。財布だけ持って、チヒロのあとを追った。
チヒロはほんの少しだけ立ち止まったが、タカヤが追いつく前に、再び歩き出した。
「何か、雨降りそう」
潰れた靴のかかとを指でのばしながら言うと、苦笑いの混じった返事があった。
「夜降るって」
「うわ、やだなぁ。朝まで続くかな」
「どうだろ」
中身のない会話だ。意味のあることを言うのを、避けるように。
最近チヒロは、タカヤがチヒロへの興味をなくすのを待つように、言葉少なだ。
タカヤと一緒にいたくない。それをタカヤのせいにしたくない。だから「ごめん」と謝り、「大変だろ」と気遣うようなふりをする。
分かるよ、と中身のない話をしながら、内心でチヒロをなじる。哲学や思考実験の話には時々ついていけなくなることもあるけれど、チヒロという一個人については、よく知っている。
ただ、そう思われているのも、チヒロには気に食わないのかも知れないけれど。
動画チャンネルを始めてすぐの頃は良かった。チヒロはタカヤ以外にも話し相手が増えたようだと、嬉しそうにしていた。
チヒロが持つ知識や思考ではなく、チヒロという個人に関するコメントが増えてから、タカヤの方が変わってしまった。だって、チヒロという個人に焦点を当てた企画を撮った方が――数字が増える。
それがチヒロには気に食わない。
けれどタカヤは、自分一人が聞いていた頃と、そう変わっていないと思う。だってタカヤは、チヒロの話す知識よりも、楽しそうに話しているチヒロという個人が好きだったから、ずっと話を聞いていたのだから。
「じゃあ。企画とか……何かネタ思いついたら、送る」
「うん。俺も今日の動画、すげー面白くするから」
人混みの中に、友人の姿は消えていった。
まだ、はっきりと「仲違い」とは言いたくない。
けれど、違ってしまっている。
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