スタイル 突沸 幽霊部員
私の在籍している科学部には幽霊部員がいる。
在籍だけしていて活動には来ないという意味の幽霊部員ではなく、幽霊の部員だ。
「キリコちゃん」
「は、ぁ、い?」
一番後ろから二番目のトイレに呼びかけたら返事がある、という七不思議は、結構誰でも聞いたことがあるのではないかと思う。
キリコちゃんは別にトイレの幽霊ではないのだけれど、キリコちゃんの返事は、それに似ている。
「何か実験上手くいかないんだけど、見てくれない?」
「は、ぁ、い。どんな実験をしているの?」
キリコちゃんは幽霊のくせに、スタイルがいい。長い脚を軽やかに動かして、問いかけた部員の方へ歩いていく。
私は何となくその姿を目で追う。
キリコちゃんが着ているのは制服だ。襟にはこの学校の校章がある。
だが、現在の制服とはデザインが違う。
一度、キリコちゃんには内緒で、いつ制服のデザインが切り替わったのか、部員で調べたことがあった。切り替わったのは、六年前だった。
六年よりも前に、この学校、科学部に在籍していた生徒。
キリコという名前。
さらに調べれば、生前の姿は特定できただろうが、それ以上はプライバシーの侵害では、ということになって、私たちは追及を止めた。
「わっ、あっつ!」
「大丈夫!? 何かゴミが落ちて、突沸が起きたのね。早く冷やさないと。私が触れてもいい?」
「あ、ありがとうキリコちゃん……」
ほんの少し向こう側の透ける手が、熱湯が飛んだらしい場所に触れた。
私もあの手に触れられたことがある。肌の表面だけでなく、骨から冷えていくような感覚を残す、冷たい手だ。
その感覚自体は恐ろしいものだけれど、代々、科学部でキリコちゃんについて分かったことを書き記している「幽霊部員記録」によれば、冷たい以外には害はないらしい。
「もう。本当に気をつけてよ。先生にバレたら部活停止になるんだから」
火傷をした部員の代わりに、私は飛び散ったお湯を拭く。先生が来る前に証拠隠滅をしておかなければならない。
雑巾を絞っていると、理科室の扉が開いた。
「みんな、集まってるようだね」
顧問のタトリ先生は、クリアファイルを片手に理科室に入ってきた。
部員で顔を見合わせ、火傷をした部員をこっそりと、他の部員で隠した。
既に実験器具は片付けられている。
「集まってます! 早く部活しましょう、先生!」
私も、さも掃除をしている途中みたいに、絞った雑巾でテーブルを拭く。
先生は疑う様子なく、定位置である黒板前に移動しながら言う。
「うん、その前に。キリコさんはどこにいる?」
部員みんなで、黒板横の窓辺にたたずむキリコちゃんを見た。
タトリ先生、と言うよりも十八歳の誕生日を過ぎた人間には、キリコちゃんの姿は見えなくなるらしい。
部員の視線を追って、先生は窓辺を見る。
持っていたクリアファイルを持ち上げた。
「興味があるかなと思って、先日やっていたロケットの打ち上げの新聞記事を持って来たんだ。ここに置いておくよ」
「ありがとう、タトリくん……」
「先生、キリコちゃん、ありがとうだって!」
「どういたしまして。それじゃあ、始めようか」
テーブルに置かれたクリアファイルをキリコちゃんは嬉しそうにのぞき込む。
けれど、新聞記事を読み終わった後は、ずっとタトリ先生を見ている。
見た目には二十くらい歳が離れている。
けれど、二人はお互いに、親しい友人かそれ以上の相手に向けるような感情と、切なさを、目や声にこめている。
今までに科学部に在籍していた人間は誰も、キリコちゃんが何者なのかは知らない。
ただ、キリコちゃんが誰を好きなのかは、みんなが知っている。
科学部では、「幽霊部員記録」と共に、タトリ先生が退職する前に、タトリ先生にキリコちゃんの姿を見られるようにするという目標が、代々受け継がれている。
「あれ? このビーカー、今日は使っていないはずなのに、濡れているんだけど」
実験に費やせるのは、授業が終わってから、先生が部活に来るまでの、短い時間だけなのだけれど。
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