無限 ロープ 酔う

「死んでんなぁ」

「死んでますねぇ」

 だから通報した人間も救急を呼ぼうと思わなかったのだろう。

 老刑事はゆらゆらと揺れ続ける首吊り死体を見上げつつ、煙草に火をつけた。煙は風に吹かれることもなく、ゆらゆらと空に向かって立ち上る。

 そう、風はない。

「うーん、これ、どうして揺れてるんでしょうね」

 若刑事は近くに落ちていたバケツ(恐らく自殺者が足場にしたのだろう)をひっくり返して上に立ち、死体と枝を結ぶロープをつついた。揺れていた死体はその分だけ少し動きを変えるが、少し経つとまた同じ揺れ方に戻る。

 死体が奇妙なのか、死体を吊るロープが奇妙なのか。他の要素か。

「えぇ、ホトケは、深夜に集天通りで酔っ払ってふらふら歩いてるのが目撃されてる。そこからどうしてここまで来て首吊ったんだかは不明だが、距離的に言えば徒歩で来られる距離だ。事件性はなし。ただの自殺だ」

「センパイ、揺れてるのはいいんですか?」

「何かの具合だろ」

「何がどんな具合なら、ずっと揺れ続けるんです?」

「さぁな」

 老刑事は煙草を吸殻入れに入れた。

「下ろすぞ」

 それで刑事二人は死体を下ろすことにしたのだが、二人とも何の道具も持って来ていなかった。通報があった時に偶然近くに二人がいたというだけで、しかも通報は「不審な死体がある」というだけで、首吊り死体ということも現地に来て初めて分かったのだ。

 死体は揺れ続けているから、余計に下ろし難い。

「ロープを切るもんが必要だわな」

「オレ探して来ますね」

「いいよ。どうせ二人じゃ厳しそうだし、ついでに人手も呼ぼう」

 老刑事は電話をかけ始める。その間、若刑事は手持ち無沙汰に死体を見上げていた。若刑事は実家にあった振り子時計を思い出していた。

「酔って、死にたくなったのかなぁ。お酒って怖いなぁ」

 心にもないことを呟く。

「連絡はついた。その内応援が来るから、俺たちはそれまで待機だ」

「はい。……暇ですねぇ」

 老刑事は黙殺する。若刑事は揺れ続ける死体の周りを犬のように見回り始めた。それだけならいいが、一々老刑事に話しかけてくるので鬱陶しい。

「ね、ね、センパイ。この死体、応援が来るまでに止まりますかね」

「……知らんよ」

「オレたちがここに来るまでもずっと揺れてたんでしょうか」

「知るかって」

「俺、昔、振り子時計っていつか止まるもんだと思ってて。何回揺れるのか数えてたことがあるんです」

 若刑事は言う。

「この死体は何回揺れますかね」

 そして死体が揺れるのに合わせて、数を数え始めた。老刑事はうるさいなと思ったが、話しかけられるよりいいような気がして、止めなかった。

「9、10、11、12」

 老刑事は再び煙草に火をつける。

「20、21、22、23」

 周囲に民家はない。この首吊り死体の周囲は小さくも鬱蒼とした森になっている。

 森の外側から見えない訳でもないが、通報した人間は朝早くからこんな場所に何の用があったのだろう。

「101、102、103、104」

 ここへ来るまでは通報した人間が殺したという可能性も考えてはいたが、ここへ来たらそれはないと思えた。周囲にも死体にも抵抗した後はない。

「4305、4306、4307、4308」

 死体を下ろすのが終わったら、一応死体の人物の足取りを調べるべきだろう。今追いかけている事件と関係がないとも限らない。それに身元の確認だ。死体を下ろしてからにしようと思っていたが、待っている間にポケットなんか確認した方がいいか。

「365469、365470、365471、365472」

 でも面倒だ。酔っ払いだと言うのなら、所轄の人間が見知っている可能性もある。やはり待とう。死体は動かないし。

「88441232、88441233、88441234、88441235」

 それにしても、応援が遅い。ロープを切る物を探すのに時間がかかっているのだろうか。

「963800393274、963800393275、963800393276、963800393277」

 煙草が尽きた。

 老刑事は若刑事に、煙草をくれと声をかけようとして、声が出ないことに気がついた。

「∞!」


 揺れ続ける死体の足元に、刑事二人の白骨死体。

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