祝杯

 セロは、震える手で契約書にサインを書いた。その様子を満足そうに見届けた女は口を開く。

「これでこの金は君のものさ。好きに使うといい。それから連絡についてだが、私から君のところへ週に一度程度フクロウを遣わせる。そいつに進捗状況と必要なものを記入した書類を預けてくれ。私はあと2週間もせずこの町を出る予定だ。ここにいるうちは毎日1度は直接この店に顔を出すことにしよう。私が来なければこの町を去ったのだと思ってくれて構わない」

「ちょっと待ってくれ、あんたがどこにいるのかは、俺には分からなくなるってことか? まぁ別に問題はないけどよ。それにしてもあんた一体何者なんだ? まさか魔女なんて言わねえよな?」

 セロの言葉に女の口角がゆっくりと、不気味に上がる。

「そうだとしたら何か問題でもあるのかい?」

 否定もせず、肯定に限りなく近い意味を含んだ質問に、セロは言葉を慎んだ。

「そんなに警戒しなくてもいいさ。確かに僕は本来悪い魔女だが、今は君と同じ人間を気取っているんだ。別に君を取って食ったりはしないさ」

 あり得ない女の言葉を容易に嘘だと笑い飛ばせない自分がいることに、セロは驚いていた。自分は、この女の言葉を、全てではないにしても真実を含んでいると思っているようだ。そこでようやく自分が気圧されていることに気付くことができたのだ。

 今は、まともな思考が働くような状況でないことがわかると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

「あんたが魔女ってんならいろいろと納得がいくな。なによりとても同じ人間とは思えねえよ。とりあえず俺はこれから飲みに出かける。宿屋にでもなんでもいいからとっとと帰ってくれ」

 出かける準備をするために背を向け背後の女に片手を上げ別れを告げた。工房の方へ歩き始めたセロに女が答えた。

「そりゃいいね。僕もご一緒しようかな。こんないい女と飲めるなんて君は幸せ者だな」

 セロは咥えたばかりの火もついていないたばこを地面に落とした。驚くほどに開いた口を閉じ、勢いよく振り返り叫んだ。

「はぁ!? 何言ってんだあんた! なんで俺があんたと酒を飲まねえといけねんだよ! ざっけんな!」

「まさかそんなに怒るとは思いもしなかったよ。僕はこう見えて小心者でしかも傷つきやすいんだ。言葉には気を付けてくれよ」

 先ほどまでの張りつめていた空気はどこへ行ったのか、ゆるたゆんだ空気がこの場を埋め尽くそうとしている。

「嘘つけこの野郎! いいから帰れ!」

「そんなに邪険にされると照れるな。まあ確かに僕はよこしま危険きけんな存在だが、今は契約も無事結ぶことができ気分がいいんだ。仕方がない、一杯だけ付き合ってあげようじゃないか」

 会話が成立しないと踏んだセロは女を無視して工房へと向かった。

「早くしてねー」

 セロの背中に女の軽すぎる発言がフワフワとってくる。


 女の人物像は二転三転し、最早どんな人物演じるべきなのか、魔女自身にもわからなくなっていた。


 ただし、この上なく楽しいと、そう魔女は思っていた。



[第4章 完]

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