勇者アラザンの伝説
紅亜真探
第1話
勇者アラザンは、いままさに死のうとしていた。
とある大蛇にさらわれた姫を助け、その毒牙に倒れたのだ。
しかし、アラザンには悔いはない。未練もない。
ただただ、なにかを成した満足だけがあった。
ああ、上出来だ。
なんという、上出来な人生だ。
アラザンは、姫に抱かれながら逝けるその幸せを噛みしめ、この上は、自分を支えてくれた友と家族の行く末のみを頼むと言い残して目を閉じた。
アラザンは、深い底なしの沼に落ちこんでいくかのような、しかし、決して不快ではない不可思議な感覚を覚えた。
これが死か。
アラザンは、またしても満足した。
しかし、アラザンの安らかなる眠りは、長く続かなかった。
何者かに呼ばれ、目蓋をひらくと、星々のない、夜の闇を漂っている。
これはどうしたことだ?
アラザンは、浮き沈みする自らの身体が、自らのものでないように感じた。
「お目覚めかしら」
アラザンは、そこに女の姿を見た。
なんという美しさか。
この娘の美しさは、自分の救い出した、あの姫にも勝るとも劣らない。
しかし、その娘の身体からは、生きているものの、においが感じられないのであった。
「あなたは何者か」
「わたしは神」
なるほど、そうしたものかと、アラザンは納得した。
これならば、その類まれなる美貌も、生き物のにおいがしないことも、うなずける。
「その神が、いかなる御用か」
女神は、妖しげに微笑んだ。
「話は簡単。異世界へ行き、世界を救ってちょうだいな」
「なに、異世界と言われたか。お待ちください、神よ」
「いいえ、待つことはできない。あなたには特別に、最強の力をあげるから」
「ふざけるな!」
アラザンは叫んだ。
「あなたが真の神ならば、その異世界に行き言うがいい! おのれの世界の問題は、おのれで解決せよと! 神々の力は、その異世界の者に授けるがいい!」
妖艶な女の神は、舌打ちをして去っていった。
アラザンが中空を漂っていると、またしても、神が現れた。
その神は、幼い少女の姿で、アラザンを見てこう言った。
「アラザン。わらわの婿になれ」
「ふざけるな!」
アラザンは叫んだ。
「おまえのように上からものを言う娘を、わたしが嫁にすると思うか! おまえは断じて、わたしの嫁ではない!」
幼い神は、腹を立てて去っていった。
アラザンが出会った三人目の神は、年端もいかぬ少年であった。
「アラザン、お前が死んだのは手違いだった。別の世界へ転生させてやろう」
「ふざけるな!」
アラザンは叫んだ。
「別の世界へ転生させるくらいならば、わたしをもう一度、父と母の子として返せ! おまえのような者には、卑しいターベどもが眠る、トーレプンテの冷たい石の下がお似合いだ!」
少年の神は、肩をすくめながら去っていった。
そしてアラザンが最後に出会ったのは、角と尾を持つ男であった。
男は、自分が悪魔であることを告げ、こう言った。
「アラザン、何者にも勝るおまえの力は、魔王にこそふさわしい。魔王となって、我々を導いてくれ」
アラザンは言った。
「悪魔よ。いかに誘いの手管を変えようと、わたしはおまえの魔王にはなれぬ。わたしの胸には、まだ正義を成そうという心が残っているのだ。一片の情さえも、魔王には不要のはず」
「いかにも、しかし、時代は変わったのだ」
「いいや、いかに時代が変わろうと、真理が変わるものではない。帰るがいい、悪魔よ。しかし、ここでわたしが出会った中でも、おまえは一番まっとうな男であった」
悪魔は誇らしげに笑い、黒き煙と共に去っていった。
そして、ひとりになったアラザンの前に、ついに、光の柱が立った。
間違いない。これこそが、我が神なのだ。
アラザンは悟った。
神よ。
わたしは、正しく生きてきた。
たしかに、老いた両親を残してはきたが、父と母は、これから先も、わたしを誇りに思って生きてくれるだろう。
それが、なぜ、この仕打ちなのだ。
アラザンは諸手を差し出し、神の祝福を願った。
そしてアラザンの神は、アラザンの願いを聞き届けた。
アラザンの魂は、おのれの愛した山と風へ帰り、すべての魂がそうであるように、ふるさとを形づくるもののひとつとなった。
そうしてようやく、アラザンは、真の満足を得たのであった。
勇者アラザンの伝説 紅亜真探 @masaguri
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