私の友人の話
飯田三一(いいだみい)
私の友人の話
私は、友人と、ひょんなことから「思想」の話になった。
その友人というのも付き合いが長く、私は、彼については大体知っていると思っている節があった。しかし、その時聞いた思想は、私の想像を超えたし、おおよそ分からないものだった。
勿体ぶっても仕方ないので言うと、「特に理由がなくとも、人へ暴力を働きたい」という意思がある。と言うのだ。
これに私はひどく驚いた。
私はもっぱらそういう衝動が起こったこともなく、平和主義、ついでに言うと、人の悪口をすぐには思いつけないくらい、人の悪い側面を見ることが苦手な人であったのでその思想への真新しさに驚いたし、なぜ今まで知らなかったんだろうと後悔もした。そして何より好奇心が掻き立てられた。
彼に詳しく訊こうとすると、今までそれを告白した人からは、無理に矯正しようとして来て、詳しく訊こうとする人は現れなかったと、驚いたように語った。
私はそういう人たちをもったいないなあと正直思った。それは自分の思想の押し付けではないか。それが今の秩序に反しているからと言って、それに対して現代の普遍の押し付けしかできないのは非常にもったいない。
そう言う理由もあってか、普段自分のことを喋りたがらない友人も、詳しく話し出した。
大雑把に言うと意地悪をしたいだとか、そう言う感じらしい。陥れることへの幸福感、殴ることで示される自己への肯定感、そういう今の社会で言えば、純粋な悪とも言えるその感情を友人は心に秘めていたのだ。最初に言ったように、トラブルを避け、いい人ぶってこれまでの人生を歩んできた私からすれば、それは格好の餌だった。しかし、彼の話を聞けば聞くほど、これは私には表現しきれない感情だと思った。
理由は、私の基本思想と真逆だったからだ。川の合流地点で色が混ざらない川がカナダかどこかにあるそうだが、まさしくそういう感じだった。
その感覚を決定づけたのが、少し話が逸れた時。
友人は、その思想は揺るぎない、その根底は、少しずつ逸れることはあったとしても、大きくは変わらないと言った時。
彼はそれを、自動車を電車に改造していく例えで話した。私はその例えでいくならば、改造するより、今まで乗った自動車を投げ捨てて電車に乗り換えるような人だったからだ。
自分の根底の思想さえ、周りに流され、周りにいい顔をいて、そうやって多数派に根底から切り替えていたように思う。最初に言った悪口が思いつかないというのも、自分の根底が確立できていないからなのかもしれないというのも、この時気付いた。
あくまで友人の思想がテセウスの船の如く、完全に作り変わったとしても、根幹は自動車なわけで、それは変わらない。それを持っていたという事実は変わらない。そういうところに、私は、強く感動した。
この話で、やはり彼の思想は全く違うものだとわかった。昔から考え方が違うところに惹かれていたが、ますますそれについて思い知らされた。
そしてただ純粋に、その会話はとても楽しかった。
私の友人の話 飯田三一(いいだみい) @kori-omisosiru
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