閉じられた物語
万寿実
第1話
しんしんと冷たい雪が降り、もともと辺り一面の銀世界にさらなる静寂をもたらす。吐息の白さが濃くなり、冷えきった空気に熱を奪われる。刀を握る手もかじかむなか、ひたすらにハルは城の中庭で空を斬る。
ロータル王国は治世七百年を誇る大国であり、魔力の発展に寄与するほど王家や貴族といった為政者も積極的に魔法や魔術を研究している。現国王は珍しく魔力を扱わない人間だが、それまでの国王は全員が魔法術師か魔導士であり、国王の二人息子も魔法術師だった。
しかし、ロータル王国は魔力の研究だけではない。広大な土地からは豊かな資源が手に入り、食物だけではなく鉱物や燃油もある。自然豊かなため珍しい動植物も存在するし、長い歴史があるだけに工芸品にも困らない。食べることにも、生活することにも、観光することにも困らず、世界屈指の平穏を保っている。
長く王政をとっているが、今まで独裁政治に走ることもなければクーデターが起きることもなかった。ハル──
「よぉ、ハル」
黒髪、黒い瞳のハルは対極の色彩である真っ白な雪の世界ではその存在が一際目立つ。声をかけられ振り向き、ハルは鍛錬の手を止め刀を鞘に収める。
「相変わらず護衛もつけずに呑気なもんだな、レティルト王子」
淡い茶髪に深い緑の瞳の一人の男が立っていた。凛と立つその存在は、そこにいるだけで全てを圧倒させる風格がある。まだ国を統治する立場ではないが、確実にその地位につくであろうと空気だけで悟らせてしまうほど、彼には王位が期待されている。
「お前がいれば十分だろ」
中庭に続くバルコニーの手すりに腰掛け、レティルトは寒さなど気にもせずハルに話しかける。ロータル王国の第一王子に頭も下げなければ、言葉も改めない一人の騎士にレティルトは機嫌を損ねることなく気軽に言葉をかける。
「俺はあんたの直属じゃないけどな」
呆れ気味に溜息をつき、ハルは口元を緩めて笑うレティルトを見る。ハルの祖国──倭国はロータル王国よりも南西にある小さな島国だが、そこでもレティルトの噂は広がっていた。誰よりも王の器に相応しいと人物で、文武両道かつ品位方正、そして容姿も整った完璧な王族だと聞いたことがあった。確かに目の当たりにしたレティルトはそんな人物であり、そんな完璧な人物がいるものなのかとハルは内心驚いたこともあった。
「俺の下につけって何回も言ってるんだけどなー」
「それは断った話だ」
笑いながらも真剣な目つきのレティルトに、ハルも同じく真剣な眼差しで答える。
ハルは異国人でありながらも、その腕前が認められ王子直属の騎士となった。王子直属近衛騎士へ昇進となる際、第一王子のレティルトが自分の下につかないかと勧誘してきた。王国騎士のなかでも色々な部署があるが、王子──それも次期王であることが確実と言われている第一王子の直属となることは出世以外のなにでもない。誰もが喉から手が出るほど欲しがるその地位を、ハルは蹴った。
レティルトにとって、ハルのように家柄も何の繋がりもなく、実力だけでここまで上り詰めてきた人物は興味深かった。さらにハルは権力者であろうが上司であろうが、自分の信念に背く命令には従わず、自分の信念というものを持っていた。それは王子であるレティルトに対しても同様であり、レティルトに権力や地位を求め近づいてくる周囲の人間とは全く異なった。王となるにあたり腹を割って話すことのできる側近が欲しかったレティルトにとって、ハルの存在は手に入れたいものだった。
だが、ハルが選んだのは弟の第二王子・ナーセルトだった。もともとハルがロータル王国にきたのも、まだ祖国で前の主人に仕えていた時にナーセルトが彼らを偶然助けたという縁があったからだった。ナーセルトに恩返しをしようと決意しハルは祖国を出て、主人と家族に別れを告げて異国の地へとやってきていた。その事情を知っていたが、それでもレティルトはハルが欲しかった。
「そういう頑固なところも結構、気に入ってる」
「物好きすぎるだろ、あんた」
ハルは稽古をやめレティルトの腰掛けるバルコニーの手すりを難なく飛び越え建物の中へ入る。
「で、要件は?」
建物への扉を開け、ハルはレティルトに中に入るように促す。レティルトは促されるがままに建物の中に入り、ゆっくりと歩き出す。ハルはその半歩後ろをついて歩きながら、第一王子の出方を待っていた。
単なる散歩で一介の騎士の元へ訪れることはないであろうし、なによりレティルトは第一王子である。常にその身辺を直属や軍部の騎士が護衛しているが、それがいないということは人払いをしているのだろう。
「嫌な噂を聞いてな。我らが誇る将軍殿が水面下で何かを画策してるって」
レティルトの醸す空気が瞬時に張り付き、建物の中だというのに何もかもが凍りついてしまいそうだった。
「あー、あの女か。死神さまね」
将軍と聞いてハルは明らかに嫌そうな表情をうかべる。その口からは軍部のトップを敬っている雰囲気は感じ取れず、レティルトは思わず苦笑する。
「お前相変わらずリーシェルのこと嫌いだな」
「嫌ってねぇよ」
相も変わらず嫌そうな顔をしながらハルはレティルトを見る。
「で、あの女がなにか企んでるって?」
「あくまで噂だがな。何か聞いてるか?」
この手のことは殆どがリーシェルのことを羨んだ人物による誤情報であること思われる。あまりに優秀すぎるリーシェルはその功績を賞賛するものと、彼女を陥れようとするものの二つの派閥に分かれる。
「さあ、俺のとこに目ぼしいネタは届いてねぇよ。ま、俺のとこに届く頃には事は動く直前だろうしな」
ハルは腕を組みながらそう言う。レティルトも頷き、「何かあったら教えろ」とだけ言い去っていった。
ハルは異国人であり、この国では浮いていた。しかも異例の出世スピードと、王族ともラフに接する態度もあり、軍部や騎士から距離を置かれている。同じナーセルト直属近衛騎士たちからは距離を置かれるようなことは無いが、それでも何かと情報や噂などが届くことは遅かった。レティルトはそのこともわかっており、あえてハルに接触していた。
ハルが情報を掴んでいるとすれば、それはかなり広範囲にその情報が広がっているということになる。まだそこまで至っていないのか、それとも誰かが流した冤罪であり広まっていないのか。
(まあ、レティルト王子がいる限りこの国は安泰だろうけど)
黒い噂は度々聞くが、その度にハルはそう思う。これほどまでにまだ即位もしていない王子を頼もしく思えることなど、そうそうない。だが、何があっても何とかしてくれるだろうという信頼をレティルトにしてしまう。それほど、レティルトの実績は確かなものだった。
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