Nameless Hero~名も無き正義が悪を裁く~

牛☆大権現

第1話~謎の焼死体篇~前半

 ヒトとは、いかなる存在なのか。

 容姿、遺伝子、文明、知性──

 その定義は、揺らげば崩れる砂上の楼閣のごとし。


 恐竜人、という仮説がある。

 もしも恐竜が絶滅を免れ、知性を持つ生物へと進化していたなら。

 あるいは彼らが、自らを"ヒト"と呼び、文明を築いていたなら。

 人間は"哺乳人類"という名で彼らに分類されていたかもしれない。


 ──それはただの仮定。

 だがこの地球には存在する。

 人間と似て非なる生物が。


 彼らは"雷人らいじん"と呼ばれている。

 人間との違いは、僅か数%の遺伝子と、発電能力を持つことだけ。

 だが、それだけの違いが深い溝を生む。


 人類は彼らを"ヒト"として受け入れられるのか。

 いや──同じ人類内ですら争うこの世界で、それは可能なのだろうか。



 ________________________


 深夜2時過ぎ、冷えた空気が肌を刺す。

 俺、柏木かしぎ直樹警部補は、新人警官としての初仕事に臨んでいた。

 子供の頃から憧れていた職業だが、この現場の重たさに、期待以上の緊張を感じている。


 目の前には、黒く焦げた地面。

 周囲には血の匂いではなく、焼けた肉の臭いが漂っている。

 白いチョークで描かれた人型が、ここで何があったかを語りかけてくるようだった。


酒巻さかまき警部、司法解剖の結果が届きました!」

 上司である酒巻警部は、この地域で名の知れた敏腕刑事。

 難事件を数多く解決してきたが、それを鼻にかけることはない人物だ。


 俺の報告を聞いた警部は、タバコを咥えながら一言だけ呟く。


「感電死か……雨も降ってないのに、妙な話だな。」


 現場は山中の小さな街外れ。夜明け前の薄明りが遠くの山の稜線を浮かび上がらせていた。

 周囲には人気がなく、ただ冷たい風が枯葉を巻き上げる音だけが耳に届く。


 道路から少し入った小道を進むと、事件現場となった開けた場所が見える。

 そこには電線もない。感電死の原因となる人工物は、どこにも見当たらない。


「柏木、これをどう思う?」

 

酒巻警部が俺に声をかける。彼の表情には、僅かな苛立ちと興味が混じっている。


「現場を見る限りでは、雷によるものとは考えづらいです。しかし……この焼け焦げた跡、そして被害者の状態は、自然現象の域を超えているように思えます。」


 警部は短く頷くと、煙草を灰皿代わりの空き缶に押し付けた。


「この事件、お前に任せる。」


 突然の言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


「俺に、ですか?」


「研修の一環だ。お前がこの事件をどう捉え、どんな判断を下すかを見てみたい。」

 

警部の視線が、冷たくもどこか期待するような色を帯びている。


 俺は深呼吸をし、拳を軽く握りしめた。


「分かりました。全力で取り組みます。」


 俺は、現場近くの草むらをじっくりと観察していた。冷たい風が頬をかすめ、足元に落ちた枯葉が微かに揺れる。事件が起きた夜の状況を再現するように、慎重に一歩一歩進む。足跡や何らかの痕跡が残されている可能性は十分にある。


「こっちだ。ここに土が乱れている。」 


 部下の声に柏木が振り返ると、地面に奇妙な跡があった。人間のものとは異なる、幅広くて深い爪痕のような形状だ。


「獣か…?いや、人間の靴の跡に重なっている。」


柏木は屈み込み、慎重にそれを記録した。


 だが次の瞬間、耳をつんざくような轟音が近くで響き渡る。地面が震え、葉の間から青白い光が漏れてくる。

 俺は反射的に身を低くした。



「なんだ…?爆発か?」 


 心臓が早鐘を打つ中、俺は音の方へ視線を向けた。


 俺の目に映ったのは、常識では説明できない光景だった。一人の巨大な影と小さな二人の影が、互いに激しい攻撃を繰り出している。

 巨体の体からは電流のような光が放たれ、二人組は驚異的なスピードで回避しながら反撃を試みている。

 肉と肉がぶつかる音、そして空気を裂く音が周囲にこだまする。


 俺は息を呑んだ。


「まさか…、これが人間だっていうのか?」


 俺が見ているものが、通常の人間の範疇を超えているのは明らかだ。

 俺は震える手で懐から双眼鏡を取り出し、その戦いをじっと観察した。 

 視界に映る彼らの姿は、驚くほど人間に似ているが、どこか異質な存在感があった。


「警部補!酒巻警部から、急ぎこの場所を離れるようにとの指示が!」


 背後から部下の声が聞こえたが、俺は振り返らない。俺は、この光景を見逃してはならないという本能的な確信に囚われていた。



 俺は双眼鏡を握りしめ、草むらの中から視線を戦場に向けた。電光が閃き、空気が焼けるような匂いが鼻を突く。青白い閃光の中心に立つ男の姿が見えた。

 その顔は険しく、まるで雷そのものを操っているかのような異様な迫力を放っている。


「俺の名前はサトシ、お前達を葬る者の名だ!」


 大柄な方の男は、そう大声で叫びながら、大きく拳を振り回す。


 一方で、彼に向かい合う二人の少年たちの動きは驚くほど俊敏だ。

 年齢は中学生くらいか?正面の一人は短髪で体格の良い少年。

 もう一人は少し華奢だが鋭い目つきが印象的だ。それぞれに個性があるが、どちらも常人のそれを超えた動きを見せている。


 サトシが再び手をかざし、放電の閃光を放つ。

 眩しい光に目を細めながら、その行方を追う。

 だが、少年たちはものともせず、素早いステップで攻撃を躱しもせず距離を詰めていった。


「なんだあれは…?」


 俺は言葉を失った。


 サトシが鬼の形相で苛立ちの声を上げる。  


「どうして効かないんだ!?」


 短髪の少年がサトシに向けて冷静に答えた。


「雷人に放電は通じにくい、常識だろう?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭に疑問が閃く。


(雷人?それは何だ?)


 思わず声に出そうになったが、すぐに口を押さえた。 

 彼らが何者であるにせよ、俺がこの場にいることが知られたら危険だ。

 だが、「雷人」という言葉の響きは、俺の中で一つの疑問として深く刻まれた。


 権の言葉を聞いたサトシは、鋭い目つきで二人を見据えながら後ずさった。

 彼の目には困惑と苛立ちが混じり、それが状況を理解できていない俺の胸に、さらなる緊張を生み出していた。


「そんなもの、俺の知識にはないぞ!権!!」 


 サトシの声には苛立ちが滲んでいる。


 権と呼ばれた少年は冷静だ。


「お前、雷人の癖に知らないのか?そんなことだから、焼死体を作るなんて犯罪に手を染めるんだ。」

 その言葉は、嘲笑にも似た響きを持っていた。


 サトシが目を剥くと、再び手を振りかざして放電の準備をする。

 だが、華奢な少年が一歩前に出て、静かな声で遮った。


「無駄だよ、サトシ。放電は俺たちには効かないと、何度も言っただろ。」


 彼の声には妙な自信があった。それがさらにサトシを追い詰めるように見える。


 俺は草むらの中で身動き一つせず、彼らのやり取りを見守っていた。

 雷人――その言葉が何を意味するのか、どうして放電ができるのか、どうして放電が効かないのか、まるで理解が追いつかない。

 ただ、目の前で繰り広げられる異常な状況に飲み込まれていた。


 サトシは低い声で呟くように言った。


「くだらない、俺には関係ない、権、そして正一!お前たちの存在そのものを否定してやる!!」


 その瞬間、彼は地面を蹴って権と正一に突進した。

 常人の目では追えない速度だ。

 俺の視界には、まるで稲妻が走るような錯覚すら覚えた。


 しかし、権は動じない。 

 軽く身を引き、まるで動きを先読みしていたかのように、サトシの攻撃を紙一重でかわした。

 そして次の瞬間、正一がサトシの懐に潜り込んで拳を突き出した。


「ぐっ…!」


 サトシは一瞬よろけるが、すぐに体勢を立て直した。

 その瞳には憎しみと何か得体の知れない焦燥が宿っているように見えた。


「警部補!離れるべきです!」


 部下の声が背後から再び聞こえた。

 だが、俺の体は動かなかった。

 この場を去るべきだという理性は理解していたが、目の前の異常な光景から目を離せない。


 彼らの存在は、何か重大な秘密を抱えている。俺にはそれを知る責任がある気がしていた。


 俺は心の中で自問する。


(雷人…お前たちは一体何者なんだ?)


 サトシの攻撃は徐々に苛烈さを増していった。

 地面を抉るほどの力で踏み込み、電撃が周囲の木々を焼く。その様子を見ながら、俺は再び双眼鏡を構えた。

 視界に映る権と正一の動きは、驚異的なまでに正確で無駄がない。


 特に権は攻撃を完璧に受け流し、サトシを翻弄している。


 そして、正一の表情にはまだどこか余裕が感じられた。

 その理由がすぐに分かった。

 正一がサトシの隙を突いて低い姿勢から蹴りを繰り出すと、それがサトシの腹部に直撃した。


「くっ…!」


サトシが苦しそうに声を上げ、数歩後退する。正一は冷静な口調で言った。


「サトシ、お前の負けだ!放電も打撃も効かない、お前に勝ち目はない」


 その言葉を聞き、俺は再び「雷人」という言葉について考えた。

 何だそれは?放電能力を持ち、放電が通じない…それが雷人と関係するのか?

 しかし、この戦いが示しているのは、単なる生物学的な違いではない。

 権や正一の立ち居振る舞いからは、何かもっと深い目的が感じられた。


 サトシは悔しそうに唇を噛む。だが、次の瞬間、彼は突然笑い出した。


「俺の負けだ?バカを言うな、俺を今更倒しても、死んだ下等種族が生き返る訳じゃねぇだろ?」


 その笑みには狂気が滲んでいた。俺は背筋が凍る思いだった。


「警部補!応援を呼びましょう!」


 部下の焦った声が耳に入る。

 だが、俺は答えない。

 この状況を説明できる言葉が見つからない。


 常識を超えた戦いの最中に割って入る危険を、俺自身も理解していた。


 サトシが再び体勢を整え、両手を広げる。

 その掌から青白い電光がほとばしり、まるで新たな一手を見せつけようとするかのようだ。

 権と正一も緊張感を増し、互いに視線を交わす。


 サトシが両手をかざすと、空気が一気に張り詰める。雷のような轟音が響き渡り、俺の目には青白い閃光が映った。その一撃が繰り出されれば、この場所がどうなるか想像もつかない。


 だが、権が一歩前に進む。口元には余裕のある笑みが浮かび、その姿勢には恐れが微塵も感じられない。彼は、正一に短く指示を出した。


「正一、次で決めるぞ」


「了解」


 正一は頷くと、一瞬で地面を蹴ってサトシの懐に飛び込む。

 驚くべき速さだった。

 俺がその動きを目で追う間もなく、彼はサトシの攻撃をかわし、正確な一撃を加えている。


「ぐっ!」


 サトシが呻く声が響く。

 正一の拳が彼の体を捉えた瞬間、雷光が霧散し、辺りが静寂に包まれる。


 俺は双眼鏡を外し、ゆっくりと息をついた。

 これ以上の戦闘はないだろうと確信したが、同時に自分が何を目撃しているのか、理解が追いつかない。


 権がサトシを見下ろしながら冷静に言葉を続ける。


「これが終わりだ、サトシ!お前の暴走は、俺たちが止める。」


「くそっ…!」


 サトシが地面に膝をつき、悔しそうに吐き捨てる。だが、まだ完全に降伏したわけではない。

 その目にはまだ闘志が残っているように見えた。


 俺はその場から動けなかった。

 圧倒されるような存在感を放つ三人の姿と、その中で語られる「雷人」という言葉――俺が理解している世界の枠を超えた何かがここにある。


 その瞬間、俺は確信した。

 この戦いの裏には、俺がこれまで知らなかった世界が広がっている。

 そして、「雷人」という存在がそれを象徴している。俺はここでこの光景を見届けなければならないと心に決めた。


(雷人…お前たちの正体を暴いてみせる。)


 我々警察は、「雷人」というものについて詳しく知らなければならない。

 幸い、サトシは倒れて動けないようだし、権と正一は人間に協力的な発言をしていたように思えた。

 そう考えて行動を決めた。


「動くな、警察だ!決闘罪の現行犯で拘束させて貰う!!」


俺は知らない世界に足を踏み入れるため、声を張り上げ、勇気を出して倒れたサトシに拳銃を向ける。


 その瞬間、正一が振り返る。

 彼の目は冷静そのもので、まるで俺の存在など初めから織り込み済みだと言わんばかりだった。


「そちらこそ、動かないでください!倒れているのは罠です!!今はまだ、サトシにも余力があり危険です」


 正一が低く落ち着いた声で言う。

 だが、その声にはどこか威圧感があった。

 俺の背筋が凍る。


 その時だった。

 俺の目の前で、サトシが突然動いた。

 倒れた状態から何かを仕掛けようとしたのだろう。


 その動きに反射的に引き金を引いてしまった。


 パン!

 銃声が森に響き渡り、俺の手が震えた。恐怖と焦燥感で、何が起きたのか一瞬理解できなかった。

 放電されるかもしれないという恐怖が、知らず知らずのうちに引き金を軽くしていた。

 俺の暴発した弾は、サトシのすぐ横の地面を抉っていた。


 確実に当たる弾道だったはずだ、何故当たっていない?

 弾丸が当たる前に、何かに軌道を逸らされた感覚があった。

 その疑問よりも前に、状況が動き出す。


「危ないから下がってください!」


 正一が咄嗟に叫び、権が素早く俺を睨みつけた。

 その視線には怒りと苛立ちが混じっている。


 俺は、言われた通りに2、3歩下がると、恐怖で呼吸も出来なくなり、腰を落とす。

 そのまま身体が動かなくなった。


「落ち着け!俺達に敵意は無い」


 権が短く言うと、俺はようやく呼吸を取り戻した。

 そして、サトシも動きを止めていた。彼の顔には汗が滲み、完全に力を失っている。



 権がゆっくりとサトシに近づき、肩を掴む。そして振り返りながら、俺に向かって言った。


「この男は、雷人としての規律を破った存在だ。しかし、俺たちの世界と、人間の世界にも、犯罪を犯した雷人に裁きを下す組織など存在しない。」


 俺は言葉を失った。 

「裁く組織がない」――それがどういうことか、すぐには理解できなかったが、権の言葉は続いた。


「だから、この男を警察に引き渡す。それが最善の方法だと俺たちは判断した。」


「引き渡す…だと?」 


 俺は驚きの声を漏らす。

 この状況で、彼らが自分たちの世界の問題を警察に託すというのは予想外だった。

 だが、その言葉には揺るぎない決意が感じられた。


 正一が権に近寄り、小さく言葉を交わす。

 そして、権は俺に歩み寄ると、サトシの腕をこちらに差し出した。


「この男の管理は、そちらに任せる。だが、一つだけ忠告しておく。世界には、俺たち『雷人』の存在がまだ知られていない。迂闊な行動は避けろ。」


 その言葉を受け、俺はただ頷くしかなかった。

 拳銃を収め、サトシを受け取ると、その重みが異様に感じられた。

 彼がただの犯罪者ではないことは、俺の体が本能的に理解している。


「俺達は、あくまで共存を望んでいる。」


 権の声が耳に残る。彼と正一は振り返ることなく森の奥へと消えていった。


 俺はサトシの無力な姿を見下ろしながら、自分がとんでもない状況に足を踏み入れたことを改めて感じた。 

 そして、心の底から呟いた。


「雷人…本当に俺たちが裁ける存在なのか?」


 冷たい風が吹き抜け、俺はサトシを抱えながらゆっくりと現場を後にした。

 この事件は、きっと俺の人生を大きく変えるものになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る