夜の紫煙
とうわ
愛とか煙とか
端に小さなヒビが入ったiPhoneXRが2時8分と表示している。大学のテニスサークルメンバーで宅飲みをしていたのだが、殆どは酔い潰れてしまいぬるくなったストロングゼロの缶とタバコの吸殻が散乱している。潰れずに残ったのは僕と西条葵さんだけだった。
寝る気分にもなれなかった僕たちは散歩がてらローソンを目指して歩いた。
街はビル群の灯りで照らされているものの静かで、聞こえる音はたまに通る車の音と心地良い風くらいだ。
目指している途中で話したことといえば、サークル内の赤城と齋藤がこっそり付き合ってるとか伊織先輩の単位が足りないとかそんな感じの話で正直あんまり覚えてない。それよりも、普段から気になっていた西条さんと二人きりで夜の街を歩いて、話せることの方が嬉しかった。
嬉しさを噛み締めているうちに、ローソンについた。四十代くらいの男の店員が一人で品出しをしていて、他には店員も客もいなかった。店内ではどこかで聴いたことがあるような無いような曲が流れている。
僕はメビウスの紫オプション八ミリを一箱を買って店の前で買い物している西条さんを待った。
車止めに腰をかけてビル群を眺める。青白く光を放つ東横インの看板が一際目立つ。
「吸わないの?」
西条さんの声と同時に右頬に冷たい缶が触れて、少しだけ驚いた。
「はい、缶コーヒーあげる」
そう言って冷えたエメマンを僕に渡してくれた。ありがとうとお礼を言って缶を開けた。
「煙草吸いたいんでしょ?私、気にならないから吸っていいよ。それにもう少しこのままでいたいし」
西条さんはそんなことを言いながら隣の車止めに座って、僕にくれたものと同じエメマンを飲み始めた。
僕はさっき買ったメビウスの箱を開けて一本口に咥えた。火をつけて、カプセルを潰した。
「え?今のカチッって音何?煙草?」
西条さんは興味津々だった。
「あぁ、これ、煙草の中にカプセルが入っていて潰して吸うんだ」
吸わない人からしたら知らないよなと思った。
「へー、私も吸ってみたいな。一本貰ってもいいかな?」
「いいけど、西条さんって煙草吸ったことあるの?」
西条さんが吸っているところを一度も見たことがなかったので驚いた。もしかしたら自分の知らないところで、自分以外の誰かの前では吸っているのかもしれないという不安すら覚えてきた。
「いーや、吸ったことないよ。でも志賀くんが吸ってるとこ見たら吸ってみたくなっちゃった。ダメ、かな?」
「いや、まあ一本くらいなら」
僕は一本渡した。火つけるから、咥えたままゆっくり息を吸うように、と教えた。僕がライターで火をつけようとして西条さんに近づくといい匂いがした。風が吹くたびにフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。
火がついた後、カプセルを潰そうとしたが噛む位置がズレていて一回で綺麗に潰せなかった。西条さんは、潰れないねと笑いながら歯形のついた煙草を見せてきた。
二回目でちゃんとカプセルを潰して、西条さんの、人生で初めての煙草。すぐにむせた。咳き込む彼女の背中を軽くさすって、吸わない方がいいと言ったが西条さんはもう少しだけ吸ってみたいと涙目で笑いながら言った。
次はゆっくりと、本当に少しだけ吸うように教えた。むせることなく吸えたが西条さんは苦しそうな表情をして、美味しくないと呟いた。
「もう吸わなくていいや、志賀くんにあげるよ」
そう言って歯形のついた煙草を渡してきた。まだ半分以上残っていて捨てるには勿体ない煙草。これを咥えたら間接キスになることはわかっていたがこのまま捨てる気にはなれなかったし西条さんも意識してなかったように見えたので煙草を口に咥えた。
「あ、咥えた。それ間接キスじゃん」
今度は僕がむせた。甘い葡萄の香りがする煙草だが、いつもよりも甘い気がする。
煙草を捨てて、アパートを目指し歩き始めた。お互い無言で、歩く。
風が心地良い。星はいつにも増してはっきりと輝いているように見える。
隣には西条さんがいる。この幸せをずっと感じていたい。
並んで歩いていたから、彼女の右手の甲と僕の左手の指が不意に軽く触れた。ほんの一瞬、彼女の温もりを感じたような気がして胸の鼓動が高鳴った。
もし、想いを伝えるのであれば今しかないと思った。アルコールが回って判断力が鈍っているかもしれないけど、それでも今しかないと思った。
「あの、西条さん」
自分でも気がつかないうちに声を出していた。感情を言葉に、声にしようとしている。
「どしたー?」
西条さんはこちらを見ずに、前を見ながら歩き続ける。
僕は立ち止まった。
「一つ、言いたいことがあって」
西条さんも立ち止まる。僕より、少し前で。
「改まってるじゃん〜」
「西条さんのこと好きだ。付き合ってくれないか?」
時間が止まったか、或いは、時の流れが著しく遅くなった。実際に長かったのかそう感じただけなのかはわからなかったが世界で、人生で一番長かった。
んー、と悩むような西条さんの声で時間の流れが元に戻った。
「嬉しいんだけど、私じゃ志賀くんのこときっと不幸にしちゃうなー」
「そんなことないよ!僕は西条さんと一緒にいるだけで幸せだと思った」
「志賀くんには私より似合ってる人が絶対いるよ。だから私じゃなくてその人を見つけてよ」
振られたことに気づいた。言葉が出なくなる。頭の中が白く染まっていく。
僕はどうしていいかわからず、ごめんとだけ言った。
その後、西条さんは少し具合が悪いからと言ってまっすぐ家に帰った。
それ以降、僕は西条さんに話しかけることをやめたし、なるべく目が合わないように努力した。
そして2ヶ月後、西条さんがサークルの先輩と付き合っているという噂を聞いて僕はサークルを抜け、自堕落な生活を送り次第に大学に行くことも面倒になり、いつの間にか大学を辞めていた。
夜の紫煙 とうわ @touwawawawawa
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