もしもここから

かすみん。

あおいそら

「今度すねたら、ここから飛び降りるって、約束!」

さやかが、4階の教室のベランダを指差す。

「わかった?!約束できる?!」

やえこはちょっとばかりきつめの口調で言った。

まゆは、にたっと笑ってうなづく。

「これ、冗談じゃないからね!」

もう一度、やえこがまゆを睨んだ。

さやか、やえこ、まゆは小学6年。クラスの仲良し3人組だ。休み時間になると、ほんの10分間の休みでもすぐに3人がくっついている。何をするわけでもないけれど、いつも一緒。

ただ、いつも、まゆが拗ねることが多い。ちょっとしたことで拗ねるので、さやかとやえこは、その度にまゆの機嫌をとって、その場をおさめていた。

それに嫌気をさしたやえこが、さやかに「いい加減にしてほしいよ。」と、呟いた声を聞かせてしまったことが発端でとんでもない約束をさせるに至ってしまったのだ。

自分は悪くない、拗ねてもないし!なんて、軽く考えていたまゆは、飛び降りろと言われても、何にも考えず、いい加減な返答をした。



と、これは、ほんの1週間前の出来事。

この日は担任が出張で、午前中はずっと生徒のみでの自習になった。本来なら担任が不在の時、代わりの先生が教室に来るはずだったが、生憎空いている先生がいなかった。

自習の時間に与えられた課題は、グループに分かれてバリアフリーについて調べようというものだった。まゆはグループで何かをするというのがとても苦手だ。人と合わせる、とか一緒に何かをする、という協調性がなく、その場にいるだけでも心がしんどくなってしまうから。でも、今日の課題はグループで調べなければならない。

つまんないなぁ。

始めからやる気のないまゆの態度は、あからさまだった。もちろん、グループは、仲良し3人組。それに3人の男子が加わり、6人で構成されていた。

やえこがみんなの意見をまとめていく司会者的役割を、さやかがみんなの意見を書き留める書記役をしていた。まゆは、ふてくされたようにぼーっと座っているだけ。

「バリアフリーが、どんなところにあるか、意見出して。」

やえこの質問に、こうじが、

「どんなとこって、学校?とか?そーゆーの?」

「うーん、そうだねー、学校の、どこにあるか?とかの方が具体的にわかりやすいんじゃない?」

「なるほどね!」

「スーパーとか、レジャー施設みたいなとこにもいろいろあるよね」

と、まぁ、こんなふうに、会話が飛び交う間もまゆは窓の外を眺めていた。別に私なんて加わる必要ないじゃん。ってな感じで。

もちろん、その姿をやえこもさやかも見逃してはいなかった。

「まゆは、どう思う?」

急に自分の名を呼ばれ、えっ?!とやえこの顔を見ると、明らかにそれは怒りに満ちたものだった。


何怒ってるんだろう?


怒りの矛先が自分に向いているのは明らかだ。でも、その理由は、まゆにはわからない。

「まゆ、みんなで考えてるんだから、まゆも参加しないとダメじゃん!ちゃんとして!」

さやかが怒鳴る。


ちゃんとして?

なに?ちゃんとしてるじゃん。

ちゃんと座ってるじゃん!

なんで怒られなきゃならないの?!


かちん!


まゆの怒りスイッチオン。

そして、またもや拗ねモードに入ってしまった。

この1週間。とりあえず拗ねることもなく穏便に過ごしてきたのに。

そして、この1週間、飛び降りるという約束なんてとうに忘れてしまっていた。  


「もう!私のことなんかほっといてよ、かってにそっちでやればいいじゃないの!」

そう言うとまゆはみんなと並べてくっつけていた机をサッと話して1人孤島のようにして座り直した。


あまりに大きな声でのやりとりにクラス中まゆの方に視線をやった。


さやかとやえこはこそこそ2人で話している。

そして、まゆのところにくると、

「まゆ、飛び降りないとね!」

やえこが言った。

もちろん、本気ではない。

まゆに謝って欲しかっただけだ。

拗ねた自分を反省して欲しかっただけだ。

まゆは大きな目をさらに大きく見開いてやえこを見上げた。

「いやだ!」

まゆも負けじと大声で叫んだ。

「約束したじゃない!拗ねないって。でも、また拗ねた!だから約束守って飛び降りるしかないじゃん!」

やえこも負けてない。


そのうち、まゆの周りは人だかりになった。

「おりろ!おりろ!」

「とべ!とべ!」

とびおりろコールが始まった。


なによ、みんなして!


「わかったよ!飛び降りれば良いんでしょ?!」


そう言うと、まゆは教室からベランダへ飛び出した。

手摺りに手をかける。

よいしょっと、飛び上がると、あとは足をかければ難なくベランダの手すりに飛び乗れそうな高さだ。

空は青かった。澄み渡るような美しい青。

雲が一つもない綺麗な空がずーっと遠くまで続いている。

飛び降りても良いや、と思っている自分がいた。

不思議と恐怖はない。ここから落ちたら死んじゃうのかなー、なんて考えている呑気な自分もいた。

でも、ベランダの向こうに見える運動場には、1年生の子たちが、体育の授業をしているのが飛び込んできた。楽しそうにグランドを駆け回っている下級生たち。


あれ、これ、私がここから飛び降りたら、あの子たち、ものすごく怖い思いをするよね?

私のせいで、怖くて学校に来れなくなるかもしれないよね?


まゆの脳裏に自分の命のことより、下級生への心配が湧き上がってきた。


ベランダの手すりにかけた腕がじわじわ痛くなってくる。

教室で囃し立てている声は全てかき消され、どうしようかという思いが頭をぐるぐる回り始めた。


ジャンプして登りかけたその手すりからトンッと手を離し、教室へ戻ろうとした瞬間、誰かが部屋に入れないように扉を閉めた。


火事場の馬鹿力とは、よくいったものだ。

まゆは、その扉を全力で開き、教室に入ると、こんどは、そのまま廊下に飛び出し、階段を駆け下りた。


やえことさやかがまゆを追いかけた。

さやかは、先回りして、職員室へ行き、たまたま居合わせた教頭先生を連れ出し、まゆを引き止めてもらうようにお願いしていた。


「まゆちゃん、どうしたの?なにがあったの?」

さすがに、先生を無視するわけにもいかず、まゆは階段を降りきったところで止まり、

「もう、家に帰ります!」

と涙声で言った。

教頭先生は、まゆを落ち着かせようと肩にとんと手をやり、

「教室に戻りましょう」

ごく普通に当たり前のように促した。

「絶対嫌だ!もう学校なんかこない!」

そう言うと引き留めようとする教頭先生の手を振り切り靴箱へ向かった。

先回りしたやえこに靴は隠されていてなかった。

まゆは迷いもせず上靴のまま学校を飛び出し家へ向かった。


もう、私なんか、死んだらよかったのに!

やっぱり飛び降りた方がよかったのかな。

でも、一年生が。


まゆの頭の中は、ぐるぐるぐるぐる。

メリーゴーランドのように駆け巡る。


素直に、ごめんね、

って言えば、やえことさやかは、許してくれたのに。

苦手でも、少しだけ頑張ったら、みんなで仲良く楽しく自習もできたのに。


でも、あの時のまゆは謝るなんて考えもつかなかった。

だって、まゆは思っていた。


私は悪くない!



いつもなら、片道30分以上かかるはずの道は意外にも近く感じられあっという間に家に着いた。

着いてから思った。


あ。お母さん、びっくりするかな。

上靴のまま帰ったし。

鞄も置いてきたし。

学校まだ終わってないのに帰ったし。


でも、今更学校へひき返すわけにもいかず。

「ただいまー。」

ドアを開けると、

「まゆ!」

母が慌てて出てきた。

大方の事は、学校から母に伝えてあったようで、

まゆのびっくりするかな、という心配は、必要なかった。

「みんなにいじめられたのね」

そう言われた時、まゆは初めて、

え?いじめられてたんだ。

と思った。目から温かいものが溢れてきて頬を何度もつたった。母はまゆをギュッと抱きしめて、我が子が飛び降りなくてよかったと、心から安堵した。そして、学校から家にちゃんと帰ってきたことを褒めてくれた。


教頭先生が、まゆのランドセルと靴を家まで届けてくれた。

まゆは、嫌だったから先生には会わず、母が受け取ってくれた。


夜、やえこから電話がかかってきた。

「ごめんなさい」

やえこは、母に謝った。

母は烈火の如くやえこをせめていた。

なんだか、自分のせいでやえこが怒られるのがそばで聞いていて辛かった。

ちゃんと飛び降りてあげたらよかったなぁ。

ごめんね、やえこちゃん。

お母さん怒ると怖いよね。

ごめんね、さやかちゃん。

あ、さやかちゃんからは電話なかったや。

まゆは、いじめられたんじゃなくて、約束破ったからもう一つの約束守れって言われただけなんだよ。

まゆは、今日あったことを思い出しながらそんなことを考えていた。

でも、みんながとべ、おりろ!と言った時、どうしたら良いか分からなくなっていた自分がいたことも考えていた。


翌日。

まゆは、何事もなかったかのように、普通に起きて普通に学校へ行った。

母の方が、

「大丈夫?休んでも良いのよ?」

と言っていた。

でも、まゆは休む理由がわからなかった。

大好きなやえこが自分の母から怒られたことが申し訳なくて、謝らなくちゃ、と思っていたから。

学校へ行くと、事務員さんが、シロっとまゆを見て、険しい表情を浮かべた。

クラスの子たちは教室に入ったまゆを見て、

「まゆちゃん、大丈夫?」

と聞いてきた。

何が大丈夫なのか、よくわからなかったけれど、

「うん。」

と答えておいた。

やえことさやかが、登校してきた。

「まゆ。」

まゆは、ニコッと笑った。

「ごめんね、やえこちゃん、さやかちゃん。」


いまさら、謝るのか。

やえことさやかは、ちょっと呆れた。

でも、これがまゆだ。

空気読めなくて、自分勝手ですぐ拗ねたり泣いたりしてしまう。

それでも、自分たちのことが好きみたいで、いつもくっついている、まゆ。


「まゆちゃん、清先生が呼んでるよ!職員室に来なさいって。」

なみこが、遠慮しがちに3人に向かって言った。


まゆが職員室に入ると、痛いくらいの視線がまゆを貫いた。

担任の清先生のところへ行くと、笑っているのか怒っているのか、よくわからない顔で、

「怖がらなくていいんだよ。ちょっと聞きたいんだけどね、昨日先生が出張でいなかった時のことを、日記に書いてる子がいてね、まゆさんがしたことがすごく怖かったと。まゆさん、本当に飛び降りようとしてたの?」

声に、戸惑いを感じるような質問。

まゆも思わず無表情になり言った。

「いいえ。ふりをしただけでした。」

はーっ。とそれは長い重たいため息の後、

「もう、2度とこんなことはしたらダメだよ。頼むから。」

頼むから。頼むから。頼むから。

小さくこだましてくるようなお願いの一言。

先生も、怖かったんだね、ごめんなさい。

まゆは、ペコっと頭を下げた。


それから、もう二度と、いくらまゆが拗ねても、やえことさやかは、まゆに約束させようとはしなかった。

でも、もう二度と、まゆも、やえことさやかを困らせるようなことはしないと自分に約束した。


あれ。

今日も、空、青いや。

見上げた空には雲ひとつなく。

どこまでとどこまでも、続いていく青。



どこまでも。



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