4.ヴァスロの末裔
ロスタルはあれから丸一日、目を覚まさなかった。死んだように眠り続ける彼に、流石のファナも心配になって再び昼時を過ぎた頃に医学士を呼び寄せたが、今は安静にさせるべきとそれだけ言って帰ってしまった。空腹になれば起きるだろうとも言っていた。
不満が残るものの、文句を言っても仕方がない。
ファナは見習いに頼んで病棟に歴史書などを持って来させ、仕事をしながらロスタルの看病をすることにした。
看病と言っても、ロスタルが苦し気にうめいた時、水を含ませた布で口を湿らせる程度だった。時々、他の修道女が見に来ては「体を拭いてあげたら?」「また医学士を呼んだ方がいいんじゃないの?」「あなた一人で大丈夫?」と妬ましそうにされた。
その何人かには「代わってくれる?」と尋ねてみたが、みんな一様に「シューキハさんに関わらないよう言われているから」と罰が悪そうに答えて、代わってはくれなかった。
正直なところ、面倒以上に今は、忘れた頃に苦しそうな声を出すロスタルを誰かに任せ、一人になって考えたいことがあった。
あの箱は、間違いなく英雄神の時代の代物だ。それを軸に考えると、やはり疑問なのは、なぜ過去の人がこの時代にいる「ロスタル」に精霊印を施した箱を残したか、だ。
そんなこと予知でもしないかぎり、できるわけがない。
鈴の音が聞こえて、箱が光り、ロスタルが現れた。
どうしてそんなことが起きたのか。歴史書を読み解くことで何か答えが出やしないか、ファナは何時間も没頭して本を読み進めて行った。
ファナが本を読む手を止めたのは、低い掠れた声で「明かりを」と言われた時だった。
すでに日が落ち、病室に灯されていた蝋燭は消えかけている。
気づけば寝台にまで本を広げていた。頭を抱えてロスタルが起き上がる。
「なんだ、この本の山は……」
驚きと言うより、呆れに近い言い方だった。
「あなたが事情を話さずに寝てしまったから、何か手掛かりをと思って」
「……そんなことか」
すべてわかっているという態度のロスタルに胸がもやもやする。
「きちんと話して」
「それならまず、何か俺に食わせろ」
「あ、私も食べてない……」
昼に一度、焼き菓子を食べたくらいで、後はずっと歴史書を読み漁っていた。
意識したとたんに空腹感に襲われ、ファナは一度本を部屋の端に積み、病室を出た。
厨へ行って、芋をすり下ろし、小鍋に水と塩、残っていた野菜を入れ、とろみのある煮込みを作った。皿に取り分けて病棟へ持っていく。
ロスタルがいる病室へ行くと、寝台に彼の姿はなかった。いなくなってしまったのかとドキッとする。だが、部屋の端が明るくなっていることに気づき、そっちを見て安心した。
ロスタルが床に座り、ファナが持って来させた本を読んでいる。
「あの、食事……持ってきましたけど……」
「ここにくれ」
本に目を向けながら手を出す。
ファナは彼の分の皿を渡し、自分も床に座った。
ロスタルが読んでいたのはヴァスロ神の教えや教訓が書かれた聖典だった。
匙を使わず、皿に直接口をつけて料理を胃に流し込むようにして食べるロスタル。あっという間に食べ終え、また背を丸めて本を読み始める。
ファナはそれを見ながら、食事を済ませた。
ロスタルはファナが食事を終えたのをちらりと目だけで見て、また本に視線を戻す。
「俺に何か聞きたかったんじゃないのか」
「そう、だけど……」
「読みながらでも答えられる」
急かすように言われ、それならとファナがずっと考えていた疑問を口にした。
「どうして、大昔の人が、今ここにいるあなたに箱を託したの?」
ロスタルは一瞬、本を読む目を止めたが、また文字を追い始めた。そして短く答える。
「俺がその差出人と同じ時代を生きていたからだ」
当たり前のように紡がれた途方もない話に、ファナは息をのむ。
「俺は一千年もの間、眠っていた。いや、眠らされていたと言うべきか……」
昨日の夕暮れに、騎士に襲われかけた衝撃で忘れていたが、ヴァスロ神に対し、知ったような口をきいていたことを思い出す。本当にその時代を生きていたのだとすれば、英雄神も今よりは気安い存在だったのだろう。
思えば、精霊を用いた奇術には、現代の科学も遠く及ばないと言われている。今は空想の域を出ない人工睡眠も、精霊術を用いれば可能だったのかもしれない。
ファナは修道服の下で鳥肌が立つのを感じた。
「なぜ……どうして眠らされていたの?」
「その話をまさか、しなければならない事態になっているとは思わなかった」
「……え?」
ロスタルは読んでいた本を閉じて、ファナの前に放り投げる。
大切な聖典をぞんざいに扱われ、思わず叫んだ。
「何てことを!」
ロスタルは本を抱きかかえるファナを見て鼻で笑った。
「そんなもの、嘘っぱちだ」
「……え?」
ロスタルは蝋燭でファナを照らし、まっすぐに見つめた。
何かを探すように瞳を動かす。じろじろと見られるのは居心地が悪く、ファナは顔をそむけた。
「一千年も経てば面影も消えるか……それとも、もう……」
ロスタルは低い声でつぶやき、ファナの頬を手で掴んで振り向かせる。
「っやめてったら!」
「お前はヴァスロの末裔か?」
「はあ……⁉」
ファナ自身、信じられないような低い声が出た。
「私が英雄神の末裔なわけ……。どうして、そんな」
ロスタルの指がファナの唇に触れた。突然のことに驚き、口を閉じると「まず」と睨まれる。
「ヴァスロが英雄神だなんだという信仰心を一度捨てて聞け」
「そんな……う」
顔を引いて反対しようとすると、指で鼻を弾かれた。
「できないというのなら、到底理解しようのない話だ。わけを聞きたいのなら俺の話を、真正面から真実として受け入れろ」
それは誰かを騙そうとする人の目ではなかっ。ロスタルの赤い瞳に見つめられ、ファナは小さく顎を引いた。
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